ローリング・ストーンズ『ブルー・アンド・ロンサム』に寄せて

『ブルー&ロンサム』は収録曲の半分しか知らない音楽評論家を
青ざめさせ、ブルーズ愛好家を意気揚々とさせるブルーズのカバ
ー・アルバムだ、と昨日書いた。その気持にいささかも変わりは
ない。ビギナーや一般的なリスナーはともかくとして、少なくと
も公の場で文章を書いている音楽ライターや評論家だったら、最
低でも半分は原典作品を知っていなきゃ。そんな意味を込めた。

実際のところ、ぼく自身も”青ざめた”書き手の一人だった。勿論
個々のアーティストに関してはレコードを持ち、それぞれの音楽
性を把握していたのだが、楽曲単位での記憶という点ではおぼつ
かないものが少なくなかったのだ。ブルーズという音楽の構造上
個々の楽曲の識別が難しいという側面を考慮したとしても、実に
脇が甘いと言わざるを得ない自分を呪った。

そのように『ブルー&ロンサム』は激渋のブルーズ集となってい
る。例えばハウリン・ウルフであれば「44 Blues」や「Evil」もし
くは「Smokestack Lightnin'」、リトル・ウォルターだったら「
My Babe」や「Off The Wall」あるいは「Mellow Down Easy」と
いったナンバーが看板だろうが、そうした犬でも知っているよう
な(手垢に塗れた)作品を外し、もう少し地味な選曲を心掛けた
様子が伝わってくる。シカゴ・ブルーズを軸にライトニン・スリ
ムのルイジアナ・サウンドまでに足を伸ばす。そんなストーンズ
が魅力的だ。

それにしてもミック・ジャガーの精気に満ちたヴォーカルやブル
ーズ・ハープはどうだろう。とても70歳を超えたおじいさんの姿
とは信じられない。むろん他の三人にしても、生き生きと活気漲
る演奏を繰り広げている。原点回帰と言ってしまえばそれまでだ
が、やはりローリング・ストーンズという母船が帰っていく場所
とは、ブルーズという大きな港なのだろう。若さに物を言わせて
いた時期をとっくにやり過ごし、年齢と闘いながら築いてきた長
い道のり。もしかしたら彼らのそうした歩みこそがブルーズだっ
たのかもしれない。老練したロック・バンドの現在地点として、
これほど正直で誠実なアルバムは他にないだろう。今ぼくはそん
なことを思い始めている。

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# by obinborn | 2016-12-03 07:29 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

『この世界の片隅に』

1日はシネマ豊島園にて『この世界の片隅に』を鑑賞。こうの史
代さんのアニメは『夕凪の街・桜の国』で親しみ、彼女の世界観
に触れていたので、今回も安心してその物語に身を委ねることが
出来た。ストーリーは公式サイトを参照して頂くとして、徹底的
に抑制されたタッチで大戦下の呉市を描いていることに好感を持
った。こればかりはこうのさんの資質に依るものだろう。戦争が
主題となり映画化されてきた作品は過去ピンからキリまであるも
のの、アニメでしか出来ないことに精を尽くしたという点で特筆
したい。いわば戦場を殆ど見せない反戦作品であり、呉で暮らす
市井の人々に原作者や監督は徹底した視点を注ぐ。もっともらし
い言葉でも道徳的な主張でもない、淡々としたアニメ表現のささ
やかな勝利を称えたい。わずか70数年前の地方ではこのような生
活が当たり前だったことに驚愕する若い人もいるだろう。その一
方で賢明なる諸氏ならば、人々の営みが昔も今もそれほど異なる
わけではないと気が付くに違いない。最後になってしまったが、
足りない資金をクラウド・ファウンディングで補ったという点を
特筆したい。これは21世紀の映画のあり方として、多くの表現者
たちを勇気付けることだ。

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# by obinborn | 2016-12-01 18:40 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ボビー・アーウィン(ロバート・トレハーン)の仕事

ボビー・アーウィン(本名:ロバート・トレハーン)のドラムス
を初めて耳にしたのは、ニック・ロウ『ニック・ザ・ナイフ』(
82年)のことだった。ロックパイルの解散を受けたロウは新たな
バック・バンドを探すのが早急課題であり、ポール・キャラック、
マーティン・ベルモントとともにアーウィンを起用。このメンバ
ーはやがてノイズ・トゥ・ゴー~カウボーイ・アウトフィットと
名乗り、以降しばらくロウを支えた。カウボーイ・アウトフィッ
トが自然消滅し、ロウが新たにインポッシブル・バードを結成し
てからもアーウィンは残り、ゲラント・ワトキンス、ビル・カー
チェン、スティーヴ・ドネリー、ポール・ライリー、マット・ラ
ドフォードらと、渋味を増したロウの音楽に貢献していった。

そんなアーウィンの演奏がヴァン・モリソンの目に止まり、彼の
スタジオ・アルバムに初めて起用されたのは99年の『バック・オ
ン・トップ』から。アーウィンと同時にゲラント・ワトキンスも
抜擢されたこのアルバムは、冗談半分にヴァン・ミーツ・パブ・
ロックと呼ばれたりもした。以降もヴァンは『ダウン・ザ・ロー
ド』『ホワット・イズ・ザ・ロング・ウィズ・ディス・ピクチャ
ー』『ペイ・ザ・デヴィル』『マジック・タイム』と暫くアー
ウィンと活動をともにしたから、一時の埋め合わせではなく、互
いに何かしら共振するものがあったに違いない。

残念なことにアーウィンは一年ほど前に死去してしまった。世間
一般的には話題にもならなかったが、幾度にも及ぶニック・ロウ
の来日公演でその姿を見た方々は少なくないだろう。個人的には
ロンドンのヴェニューで体験したバラム・アリゲイターズでのス
テージが忘れ難い。終演後ビール片手に彼と「ボビー・チャール
ズは最高だね!」の会話をした。まさに最高のパブ体験だった。
アーウィン(トレハーン)の素晴しい演奏は、近年ではニック・
ロウの『ザ・オールド・マジック』クリスマス・アルバムの『
クォリティ・ストリート』、ゲラント・ワトキンスの『モスキ
ート』などでも聞ける。どれが最後のレコーディング・セッショ
ンになってしまったは定かではないものの、新しい順に言えば
やはり『モスキート』だろうか。

無駄のない、しっかりしたビートを刻むドラマーだった。オカズ
は少なく、その代り次第に膨らみを増していく演奏に真価を発揮
する職人肌のプレイヤーだった。ヴァンとアーウィンが最初に出
会った『バック・オン・トップ』は記念碑的な名作だと思う。

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# by obinborn | 2016-12-01 05:13 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

渋谷・ブラックホークを回想する

渋谷・ブラックホークについてはいつか総括しなくちゃなあ、
とはずっと思っていました。というのも私がいくらホークの
世界に反旗を翻したとしても、今も自分の栄養になっている
音楽の多くは、かつてそこで流れていたものだからです。

やはり大前提となるのはネットが到来する遥か以前という時
代状況でしょう。テレビでもラジオでも掛からないマニアッ
クなSSWやスワンプあるいはトラッドを聞きたい!となると
実際に百軒店の坂道を登り、その場に行くしかなかったとい
う条件は、個々それぞれの若い頃の体験としてしっかり刻ま
れたのでした。以降ホークを真似た店が幾つか出来ては消え
ていきましたが、一番の違いはネット環境の有無だったと思
っています。それ故にホークは今も語り継がれる伝説となっ
たのです。

ノスタルジックにホークを語る大人たちに共鳴しつつも、時
に疎ましさを感じてしまうのは私だけでしょうか?もう少し
具体的に言うとブラック・ミュージックへの視座をホークが
持ち得なかったこと、通常の優れたポップスを「上から目線」
で見下していたことは彼らの致命的な欠点でした。店員と私
との喧嘩を振り返ってみても、根本にあるのは閉じられた空
間への苛立ちでした。ホークの帰りにすぐ近所のB.Y.G(今
も健在)へ駆け込んだ時の安堵とともに、私の古い記憶が甦
ってきます。

いずれにせよ、多くの聞き手たちがホークに集い、会話が禁
止された空間で黙して音楽に聞き入り、やがて巣立っていっ
た。それは愛すべき(守られるべき)時間の経過でしょう。
それでもまるで古傷のように残る違和感は忘れないほうがい
い。私はホークではないし、ホークは私ではない。つまりそ
ういうことだと思っています。

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# by obinborn | 2016-11-30 19:15 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ボブ・ディラン「まるで女のように」

あれは確か『新譜ジャーナル』もしくは『ヤング・ギター』に
掲載された記事だったと記憶する。シンガー・ソングライター
の西岡恭蔵さんが、ディランの「女の如く」について書かれて
いたことを思い起こす。この曲は平たく言えば女性にフラれた
男の追想歌なのだが、恭蔵さんが「もし今度きみに会ったなら、
ただの友だちなんだね」と訳されていたことに衝撃を覚えた。
さらに元の歌詞を辿っていけば、「きみはまるで大人のように
振る舞う。でもまるで小さな女の子のように崩れてしまうじゃ
ないか」とある。それも刺激的な一節だった。

いずれにしても筆者がまだ中学生だった71~73年の頃のことだ。
むろん恋愛など未体験で、たまに見るテレビ・ドラマや、その
頃から読み始めたヘルマン・ヘッセの小説で夢想する遠い世界
に過ぎなかったけれど、背伸びしたい気持と相俟ってぼくはボ
ブ・ディランの「女の如く~Just Like A Woman」を次第に好き
になった。教室の後方にある黒板に原歌詞を殴り書きするほどの
影響を受けた。今でもよく覚えている。それを見た英語教師の北
村先生はこう言った「誤字だらけ。文法も間違い。でも何となく
伝わるものはあるわ」

毎年冬になると無性に『ブロンド・オン・ブロンド』を聞きたく
なる。「女の如く」を奏でるウェイン・モスのナイロン弦や、ケ
ニー・バトレイーが叩く心臓のようなドラムスに耳を傾けたくな
る。まったく進歩していない自分を嗤いたくなることもしばしば
だ。それでもぼくは「きみのリボンはすっかりほどけてしまった」
と歌うディランに今も心奪われている。「ぼくは土砂降りの町に
いる。もうここには居られない。残酷なまでに」と声を詰まらせ
るジンジャーマンの背中を見つめている。

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# by obinborn | 2016-11-28 18:08 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

11月24日のサーディンヘッド

まさにエレクトリック・エクスペリエンス!音の粒が弾け、自在
に飛翔する。24日はそんなサーディンヘッドのライブを青山の月
見ルにて。romanchicaに始まりnew spiralへと間髪入れずに繋ぐ。
そんな序盤の展開から早くも胸が一杯になった。ロック・カルテ
ットという体裁を取りつつも、繰り出す音楽はどこまでもフリー
・フォーム。その自由闊達な丁々発止のなかに彼らの実力が伺える。         二本のギターが細かいリフを重ねながらシンクロしていくか
と思えば、そこから片方が抜け出してメロディアスなフレーズを
そっと挟み込む。まさに変幻自在な演奏スタイルだ。

グレイトフル・デッドの詩情やキング・クリムゾンの精緻。ある
いはフランク・ザッパ的な奇想天外やプリンスの濃密なファンク。
それら先人たちの遺産を継承し、組曲の如く2時間のステージへ
と束ねていく。90年代に活況を呈したジャム音楽のシーンは、そ
の後すっかり定着したけれど、海外からも絶賛されるサーディン
へッドが、今なお歩みを止めていないことを誇らしく思う。

今年で二度目となった今回の無料ライブfor Freeは、そんなサー
ディンたちの自信の現れだ。都内のクラブでも最も優れた音響と
称えられる月見ルとの連携。熱心なファンたちと交わした信頼の
感情。そして優れたインディのマインズ・レコードの存在。それ
らがこの夜を特別なものにした。会場には歓喜の声が鳴り響いて
いる。


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# by obinborn | 2016-11-25 02:05 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ダグ・サームを追悼した三組のライブを聞いた

20日はダグ・サームのトリビュート・ライブを荻窪のBUNGA
にて。いやあ〜、楽しかったなあ!出演したサザンライツ、ガ
ルフコースト・バウンズ、ロス・パラダイス・グルーヴァーズ
の三組が、それぞれダグに因んだナンバーをしっかり掴み取り
ながら、力感漲る演奏へと訴えていく。そんな3時間に酔った。
彼らはギターやベースを弾けない、キーボードもドラムスも出
来ないぼくに代わって、亡きダグへの想いを無言のうちに語っ
てくれた。そのことに感謝せずにはいられない。ありがとう、
ありがとう!以下出演順のセットリストです。

◎サザンライツ

GROOVER'S PARADISE
I'M NOT THAT KAT ANYMORE
BEAUTIFUL TEXAS SUNRISE
DEALER'S BLUES
NUEVO LADELO
TEXAS ME
TEXAS TORNADO

◎ガルフコースト・バウンズ

SHE NEVER SPOKE SPANISH TO ME
懐かしきテキサン・ボーイズ
WASTED DAYS AND WASTED NIGHTS
POQUITA FE
SHE'S ABOUT A MOVER
LAREDO ROSES
FOUR ACES

◎LOS PARADISE GROOVERS

MENDOCINO
JUST A MOMENT
NEXT TIME YOU SEE ME
REAL ME
THE GYPSY
DYNAMITE WOMAN
(HEY BABY)QUE PASO
MICHOACAN
(IS ANYBODY GOING TO) SAN ANTONE

〜ONE MORE MILE TO GO〜

SHE'S ABOUT A MOVER (With Everyone!)

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# by obinborn | 2016-11-21 10:44 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツ『LIVE FAVOURITES』

ブリンズリー・シュウォーツの『LIVE FAVOURITES』がようや
く我が家に到着!昨年のレコードストア・デイに発売された限定
のLP盤を買い逃してしまっただけに、今回のCD化は本当に嬉し
い!何でも5人めのメンバー、イアン・ゴムが所有する秘蔵音源
が元になってるらしいが、この手で最も気になる音質は軽く標準
レベルをクリアしていて問題なし。彼らの場合公式なライヴ・ア
ルバムは一枚もなく、過去幾つかのブートレグやBBC音源がリリ
ースされてきただけだが、それらに続くものとして歓迎したい。

時は1974年の6月19日、ウェールズ州のカディーフにあるトップ
ランクで行われたコンサート。ちょうどブリンズリーズが最後(
6枚め)のアルバム『NEW FAVOURITES OF』を発売する一ヶ月
前のツアーであり、そこからオーティス・クレイの「TRYING TO
LIVE MY LIFE WITHOUT YOU」「SMALL TOWN,BIG CITY」
のちにニック・ロウの看板曲として人気を博す「PEACE,LOVE
AND UNDERSTANDING」の3曲を取り上げているが、全体的に
は初期の「COUNTRY GIRL」やジム・フォードの「JU JU MAN」
ソングライターとしてゴムの才気を印象付けた「HOOKED ON
LOVE」など、彼ら5年のキャリアから万遍なく選曲されている。

またライブならではのカバー・ソングとしては、ボビー・ブラン
ドがデュークに録音した「HONKY TONK」ウィリアム・ベル&ジュ
ディ・クレイのスタックス・ナンバー「PRIVATE NUMBER」
ジョニー・オーティスの「YOU'RE SO FINE」ジュニア・ウォー
カーのタムラ・モータウン「HIP CITY」が選ばれ、ブリンズリー
ズが何でも演奏する”トップ40・バンド”もとい真のパブ・ロッカ
ーだったことを裏付ける結果となった。ちなみに「PRIVATE NU
MBER」は、テストプレスのみで市場に出回ることがなかった
”本当のラスト・アルバム”『IT'S ALL OVER NOW』にスタジオ・
ヴァージョンが記録されている。

74年前後といえば、ブリンズリーズがデイヴ・エドモンズに接近
した時期であり、デイヴのセカンド・ソロ『一人ぽっちのスタジ
オ』に彼らが客演したり、逆にデイヴが『NEW FAVOURITES O
F』をプロデュースしたりと、交流は次第に本格化していく。つ
まりロックパイル結成への萌芽である。そんなことに想いを馳せ
ながらこのライブ盤を聞いていると、解散間際だったブリンズリ
ーズ、オイル・シティから台頭しやがて全英を席巻したドクター
・フィールグッド、ソロ活動に向かうニック・ロウなど、当時の
パブ・シーンのことが走馬灯のように甦ってくる。

ニックはこう回想している「74年が潮時だったんだ。メンバーの
なかには子供が生まれてツアーに出るのを嫌がる者が現れ始めた
し、ぼくたち長髪のピッピー・ロックは過去のものになりつつあ
った。『平和と愛と理解』にぼくはちょっとばかりの皮肉を込め
た。そう、ぼくは自分を老いぼれ老人に譬えて『平和と愛と理解
の気持はそんなに可笑しいことかい?』ってね。バンドが解散し
たら一体どうしよう?ぼくは世界の淵に一人立ち尽くしているよ
うな心境だったんだよ」

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# by obinborn | 2016-11-20 14:57 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

11月19日の東京ローカル・ホンク

19日は東京ローカル・ホンクのワンマン・ライブを高円寺の
JIROKICHIにて。7月16日に彼らを同会場で観て以来四ヶ月ぶ
りの対面となったが、弾力ある演奏と歌心に今回もたっぷり3
時間酔った。ロック・カルテットとして各自が持てる限りの力
を出しながら、木下弦二のソングライティングを膨らませてい
く。まるで一番いい時のザ・バンドを体験しているみたい。

「ロンドンがスウィングしていたと言われてもぼくには解りま
せん。キース・リチャーズがダニエルズをラッパ呑みするよう
な世界がロックだとも思わなくなりました。それよりぼくはど
うして自分が生まれ育った戸越銀座から見える景色を歌に出来
ないんだろう?そんなことでずっと悩んでいました」以前弦二
はそんなことを私に語ってくれたのだが、その答えがまさに今
現在の彼らの逞しい姿に他ならない。

地に足を着けた日本語が綺麗に響き渡る。そこには昨今のJ・P
OPのようなヴォーカル・ピッチの不自然な補正や、ただせわし
ないだけのファストなBPMなど一切ない。自分たちの町(彼ら
の場合は品川や太田区)から歌を育み、膨らみのある演奏のた
めに修練を重ねる。思えば彼らのキャリア20数年はその一点の
ために注がれてきた。何とまっすぐで困難を伴う道のりだった
ことだろう。

まだスタジオ・レコーディングされていない「身も蓋もない」
や「ダーク・マター」といったシリアスな楽曲が、息苦しい今
という時代を映し出す。その一方で初期の「お手紙」や「遠い
願い」を演目に加えることで、ホンクメンは自分たちがかつて
青年だったことを確かめてゆく。そんな現在と過去とが互いに
交差する得難いライブだった。

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# by obinborn | 2016-11-20 01:06 | 東京ローカル・ホンク | Trackback | Comments(0)  

追悼:モーズ・アリソン〜TELL ME SOMETHING

今年も様々な音楽家が亡くなった。世紀の変わり目というのは
このように10数年経ってから初めて意識されるものなのかもし
れない。それは親しかった者の不在が、慌ただしく興奮状態の
葬儀前後ではなく、半年くらいしてからやっと突然実感される
のと似ている。20世紀を彩った多くの偶像たちの退場。何だか
寂しいね。

モーズ・アリソンは50~60年代にプレステッジ、コロンビア、
アトランティックなどに結構な量のレコードを残しているけれ
ど、本人も参加したトリビュートに近いアルバムとしては、96
年に発売された『TELL ME SOMETHING:THE SONGS OF MO
SE ALLISON』をお薦めしたい。ヴァン・モリソン、ジョージィ
・フェイム、ベン・シドランと”大人の粋”を知り尽くした三人
が、大先輩であるモーズの歌を歌い、敬意を込めたナイスな作
品だ。

むろんモーズがこだわったスモール・コンボによる無駄のない
シンプルな演奏が用意され、幾多のモーズ・ソングスが最高の
形で再提示されるといった塩梅。彼の歌(その多くはぼやき節
やほろ苦い人生訓話)がザ・フー、カクタス、ボニー・レイッ
ト、ザ・ルーモアなど数多くのロック音楽家によって広まった
ことも忘れられない。この『TELL ME SOMETHING』では、
ポール・バターフィールドもベターデイズ時代に取り上げたIF
YOU LIVEが最もお馴染みだろうか?軽妙洒脱で足回りのいい
シャッフル・ビートのなか、ベン・シドランが憂いのヴォーカ
ルを、ジョージィ・フェイムが腹八分目のハモンド・オルガン
を弾く会心の演奏だ。さぞかし作者モーズはご満悦だったろう。

青年時代にはよく解らなかったモーズ・アリソンの良さが、今
では五臓六腑に染み亘る。やっとのことだ。ぼくの経験も人生
もまだまだだね、ミスター・モーズ。享年89歳。いままであり
がとうございました。

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# by obinborn | 2016-11-16 13:09 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

11月14日のヘロン

14日は英国フォークの伝説的カルテット、ヘロンの初来日公演
を高円寺HIGHにて。音域が微妙に違う鮮烈な三声ハーモニー、
秘めやかに小躍りするパーカッション、暖色のエレピなどに酔
った。遠い昔にぼくがレコードで慣れ親しんだヘロンよりも、
遥かに立体的で粒立ちが良く、ユーモアを交えたステージング
に祝杯を上げたい。ここら辺は互いに時間をやり過ごし、何人
かの死者たちを松明とともに見送り、少しだけ賢くなったこと
へのご褒美かもしれない。

新旧交えたオリジナル・ソングの数々に、ボブ・ディランの曲
を加え、アイリッシュ・トラッドを交える。穏やかな人々の慎
ましい暮らしぶりをそのまま映し出したような歌が、熟慮を重
ねた超満員のお客さんたちと笑みを交わし合う。チャス&デイ
ヴやゲラント・ワトキンスと共振するようなブギウギ・ナンバ
ーが奏でられ、ロンドンのパブへと思いを馳せる時間もあった。
9・11事件以降、あまりに残酷になってしまった世界に異議
を申し立てる人種ソングもしっかりと用意された。

明日からまた二カ所三公演が待っている。それらに行かれる方
々のためにも、本日のセットリストは公開しないでおきたい。
終演後のぼくは、温めた想いとともに友人たちと一緒に飲み、
終電に乗り込んだ。電車の窓にはかつて若者だったぼくと、今
現在の自分が写し出されていた。

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# by obinborn | 2016-11-15 01:36 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

追悼:レオン・ラッセル〜タルサに還る

レオン・ラッセルのエピソードにこういうものがある。まだ
18歳だったにもかかわらずバンドでピアノを弾いていた彼だ
が、大人向けのクラブに出演する許可はなかなか下りず、苦
肉の策としてバックステージ・パスを偽造していたという。
時は60年代半ばのハリウッド。すでにこの青年は故郷オクラ
ホマ州タルサを後にしていた。ジェリー・リー・ルイスから
直々にピアノの腕前を誉められていた。

そんなレオンの訃報が届いた。フィル・スペクターの門下生
となり、レッキング・クルーの一員として60'sポップス黄金
時代を陰から支えたこと、ダラス出身のマーク・ベノと出会
いアサイラム・クワイアというデュオを組み、サイケデリッ
クの時代に反応したこと、そしてジョー・コッカーらとマッ
ドドッグス&イングリシュ・メンを結成し、英米混成のメン
バーによる一大R&Bレビュー・ツアーに繰り出したこと…。
それらが走馬灯のように甦る。デラニー&ボニーを見出し、
彼らの音楽監督となったスワンプ・ロックの日々、ジョージ
・ハリソンやボブ・ディランとともにバングラ・デシュ難民
のベネフィット・コンサートに出演したことも今では懐かし
い。ハンク・ウィルソンという変名でカントリー・シンガー
に化けたり、『STOP ALL THAT JAZZ』というタイトルで
ジャズを仄めかしつつ一曲めがティム・ハーディンといった
茶目っ気も素敵だった。英国人のデニー・コーデルとともに
インディの先駆とも言えるシェルター・レーベルを興し、フ
ィービー・スノウやJ.J.ケイルといった新しい才能を世の中
に問い掛けたこともある。

豪放にうねる熱狂的な南部ロックが看板だったせいで、ソロ
・アクトの一部があまり顧みられていないのは残念だ。なか
でもレオンのソロ作としては3枚めに当たる72年の『CARN
EY』は、ソングライターとしての才能が全面開花した記念碑
だと思う。普段のワイルドなロックとは裏腹の、ひたひたと
降り注ぐ雨のように静謐なソングライティングが光る。「タ
イト・ロープ」では綱渡りのような人生の危うさを歌い、「
マスカレード」では華やかな社交パーティのなかにある空し
さや孤独を写し取った。仮面を剥いだピエロの独白のような
アルバム・ジャケットが、それらの歌とピタリ呼応しながら、
この男の実像を伝えていく。昨夜悲しい知らせを聞き、真っ
先にレコード棚から抜き出してきたのは、ぼくの場合この『
CARNEY』だった。カーニーを「人生の舞台」と意訳したい。

鮮やかに時代を彩り、シーンを牽引し、音楽ジャンルを軽々
と跨いだ人だった。銀色の長髪を振り乱し、ぎょろっとした
不敵な眼つきと生めかしくセクシーなヴォーカルで聴衆たち
を興奮の渦に巻き込んだ人だった。そんなレオン・ラッセル
が今、人生という舞台からそっと退場する。彼によって導か
れた土地のことを考えてみる。その土地はよく耕され、草花
を咲かせた。樹木を育てた。そしてレオンは故郷タルサの土
地へと還っていった。

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# by obinborn | 2016-11-14 12:21 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

服部高好氏の労作『アンシーン・アンド・アンノウン』に寄せて

名古屋在住の音楽研究家、服部高好氏が『アンシーン・アンド・
アンノウン〜アンサング・ヒーロー達から聴こえる米国ルーツ
音楽』を上梓された。A4サイズ・全400ページというヴォリュ
ームも凄いが、それ以上に氏が長年に亘って温めてきた構想、
及びその広範な音楽体験のうねりが伝わってくる点に圧倒され
る。

『アンシーン・アンド・アンノウン』(Unseen And Unknown)
という書籍タイトルを聞いて、アーカンソー出身のオルガン奏者
ベイビー・フェイス・ウィレットのアルバム『モー・ロック』
(64年)に収録された同名曲を思い起こす方は、どれくらいい
らっしゃるだろう? 実際に服部氏はウィレットに一章を割くほ
ど、この余り知られていないプレイヤーに熱量を込める。そんな
”知られていない、無名の音楽家”に温かい視点を注ぎ、ジャンル
や時代を軽く超えながら、アメリカ(とイギリス)の音楽を俯瞰
したのが本書である。

リトル・ジョニー・ジョーンズを切り口にしながらマディ・ウ
ォーターズやハウリン・ウルフとの接点を探る。一般的にはハ
ングリー・チャックのメンバーとしてのみ語られがちなジム・
コルグローヴのキャリアを丹念に調べ上げ、その”知られざる”
姿を現在の地点までリサーチする。あるいは英国のロックパイル
を俎板に乗せながら、ジョー・テックスやキップ・アンダーソン
のR&B/ソウルを語る。さながら音楽マニアの友だちとレコード
を聞きながら、ワイワイと楽しく会話しているような趣だ。

結局こうした良書が既存の音楽出版社から出ない(出にくい)
ところに現在の音楽業界が抱える不幸を感じてしまう。服部
氏のこの労作、残念なことに一般的な販売ルートには乗らない
「私家版」である。それでも彼の情熱に勇気付けられる音楽ファ
ンは少なくないはず。スター(大物)志向、リジェンド志向を
強めるばかりの書籍編集者たちに反省を促し、ルーツ音楽を
愛する者たちに歓迎される。そんな究極の一冊だと思う。

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# by obinborn | 2016-11-13 09:13 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

11月11日のスーマーwith桜井芳樹

レーナード・コーエンが亡くなった夜に一体どうしよう?そ
んなことを思いながら、11日はスーマーwith桜井芳樹のライ
ブを阿佐ヶ谷のSOUL玉TOKYOにて。折しもスーマーは第二
作『泥水は揺れる』がリリースしたばかり。そのプロデュー
を担った桜井(eg)とのデュオをたっぷり堪能した。

一曲め「あさき夢みし」に始まり、ステージは「風の女たち」
「もうない船」「烽火」そしてアルバム表題曲と、新作『泥
水』の収録曲を約半数交える。方やパイレーツ・カヌーのエ
リザベスがものにした名曲「グッドバイ・ジャックリーン」、
スーマーのロード・ソングとして実感がこもる「道路」、あ
るいは暮らしをそのままスケッチした「雨がひらひら」など、
前作『ミンストレル』で馴染みになった歌もある。そのいず
れもが彼の落ち着いた深みのあるテナー・ヴォイスと、桜井
が奏でる音色にまで気を配ったギターによって彩られる。ス
ーマーがアクースティック・ギターを置いて、四弦バンジョ
ーで繰り出すピッキング。桜井の繊細なトレモロ・アーミン
グ。細かく耳を傾けていけばいくほどハッとさせられるサウ
ンド・スケープだ。アンコールではお客さんのリクエストに
応えてボビー・チャールズのI Must Be In A Good Place Now
を歌うサーヴィスも。きっと来月になれば、ザ・バンドのCh
ristmas Must Be Tonightをやってくれるだろう。

朴訥とした語り口。気負いのない歌世界。日本全国を毎日の
ように旅して歌うスーマーの目には一体何が映っているのだ
ろう。彼の愛車〜水色のボディと白いバンパーのワンボック
ス・カー〜は走行距離が二十万キロを超えたらしい。スーマ
ーは気ままな旅の愉しさを、暮れなずむ町の寂しさを、夜明
けの孤独を、焼べる薪の暖かさを、よく知っている人だ。

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# by obinborn | 2016-11-12 12:55 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

デヴィッド・ボウイ『ピンナップス』を時代順に組み直す(監修:Mr.Morrie)

ザ・バンド『マチネー』を時代順に組み替えたテキストはお陰
様で好評を頂きました。ありがとうございます。今回は同じ73
年にリリースされたデヴィッド・ボウイのカバー集『ピンナッ
プス』に焦点を当ててみました。といっても英国モノに疎い私
ではまるで歯が立たないので、今回はクラブDJ・英国音楽研究
家のMorrieさんに全面監修をお願いしました。氏に感謝します。

こうして見渡してみると、64年から67年までの比較的短い期間
に英国シーンを席巻した英バンドの選曲に特化した様子が伺え
ます(豪州のイージー・ビーツも渡英後の代表曲)いわばボウ
イによるブリティッシュ・ビートへのオマージュ。最後にピン
ク・フロイドの「エミリーはプレイガール」が入ってくる辺り
も、サイケデリック・イヤーの到来を告げるようで興味深いで
すね。なおチャート・リアクションはすべて英国でのものです。

☆     ☆     ☆

SIDE A

1 Everything's Alright ( The Mojos)64年3月9位
2 I Wish You Would ( The Yardbirds)64年5月ランクインせず
3 Rosalyn ( The Pretty Things)64年5月41位
4 Don't Bring Me Down ( The Pretty Things)64年10月10位
5 I Can't Explain(The Who)65年1月8位
6 Here Comes The Night (Them) 65年3月2位

SIDE B

1 Anyway,Anyhow,Anywhere (The Who) 65年5月10位
2 Where Have All The Good Times Gone(The Kinks)65年11月8位
3 Shapes Of Things(The Yardbirds) 66年2月3位
4 Sorrow(The Merseys) 66年4月4位
5 Friday On My Mind (The Easybeats) 66年10月6位
6 She Emily Play (The Pink Floyd) 67年6月6位

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# by obinborn | 2016-11-07 16:52 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

ヴァン・モリソンの新作『KEEP ME SINGING』を聞いて

訳もなく雑踏に紛れ込みたくなって、久し振りに新宿の町へ出
掛けてみた。しかも普段の自分なら避けるであろう日曜日に。
こうして休日の町並を眺めてみると、若く放蕩なグループから
仲睦まじそうなカップル、家族連れ、そして杖を付いたお年寄
りまで、本当に様々な人達が町を訪れ、約束を交わし、とめど
もなく談笑し合っていることに気が付く。そうした人々のうね
りが愛おしい。そんななか、果たして自分は一体何をしている
のだろう? とふと思う。

ヴァン・モリソンの新作『KEEP ME SINGING』が素晴しい。
三つ前が『KEEP IT SIMPLE』で、次が『BORN TO SING :
NO PLAN B』そしてデュオ集。直裁なアルバム・タイトルが
続いてゆく。音楽も若かった頃のがむしゃらな唱法ではなく、
ずっと抑制が効いた歌い方だ。キーは明らかに低くなってる。
でもそれに何の問題があるだろう。むしろ音は優しく粒立ち、
言葉が発せられる以前のニュアンスや、言葉にならない想いを
そっと包み込んでいくようだ。私事になって申し訳ないけれど、
ぼくが最初にモリソンと出会ったのは77年作『A PERIOD OF
TRANSITION』あれから38年が経って、今日新宿の町で彼の
新作を購入するなんて、当時は夢にも思わなかったさ。

自分探しの旅を終え、現在のヴァン・モリソンは平穏な日々の
なかで、歌うことの価値をそっと噛み締めているようだ。木々
の葉たちは次第に秋色になる。やがて厳しい季節を迎えながら
朽ちていく。何ヶ月か前の若葉の面影はもうない。そろそろ、
洋服棚から厚いコートを取り出してこようか。いささかの綻び
があったとしても、それは自分に馴染んだ大事なコート。毎年
冬が訪れる度に向こうから「大丈夫かい?」と声を掛けてくれ
るような。きみは元気かい? 夜汽車のシートのなかで寒くな
いかい? 大事だと思われたものを、いとも簡単に誰かに売り
渡してはいないかい?

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# by obinborn | 2016-11-06 18:41 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ニール・ヤング『DECADE〜輝ける10年』に寄せて

ニール・ヤング最初のベスト・アルバムは76年に発売された
『DECADE』(輝ける10年)だった。ワーナー・パイオニア
(現ワーナーミュージック・ジャパン)から国内盤もしっか
りリリースされたが、何と3枚組で価格は確か¥6,000だった
と記憶する。そんなものは諦めるに越したことはない。何し
ろこっちは浪人確定組の高校3年だ。卒業記念に買ったのは
マンフレッドマンズ・アースバンド『ローリング・サイレン
ス』と『ザ・バーズ・グレイテスト・ヒッツ』所沢・ミノヤ
のカウンター越しにいた店員のお姉さんは長身の美女で、私
は萌えたが、当然交際には至らず。それでも300円分まけて
くれたことは今でもはっきり覚えている。確か初めて購入し
た輸入盤がこの2枚じゃないかな。

私が通った所沢北高等学校は、今でこそ立派な進学校となっ
たが、当時は落ちこぼれの巣窟であり、埼玉ベース住吉連合
の予備軍バイカーとノンポリと、川越高校に落ちた優等生の
混血であり、野戦病院のようなものだった。それでも幸せな
気持になったのは、ラジオから流れてくる「プラウド・メア
リー」であり、美容院の息子が持ち込んだ「セックス・マシ
ーン」であり、治外法権の「津軽じょんがら節」だった。私
は同級生の兄が弾く寺内タケシの津軽に圧倒されて、何故か
バックマンターナー・オーヴァー・ドライヴと、西の町から
やってきたキャロルをコピーするバンドに誘われたが、いか
んせん実力は伴わず。

そんな個人史はともかく、大事なのはニール・ヤングの最初
の10年を見つめられたことだろう。バッファローからCSN&
Yへと栄光の駒を進めながらも、何故か「俺ってだめだもん
ね〜」とか、「あかんべ〜」とか、そんなことを当時から彼
はずっと歌ってきた「川面に裸足で突っ込み、ハイスクール
の頃のように手足を伸ばしたい」普通そんなことを大人たち
は歌わない。むしろ見ては見ないふりをするのではないだろ
うか?それに加えて、死んでしまった友人たちのために、弔
いのレコーディング・セッションを、テキーラの杯をしこた
ま重ねながら深夜に行うなんて、あまりに青臭さ過ぎるじゃ
んか。

友の一人は自死をした。憧れて止まなかった師も息絶えた。
明日からの私は一体どうすればいいのだろう? 書き込まれ
ることのない日誌。閉じられたままのノート。冬は長い。そ
れでも私はこれからも書いていく。長い冬に逆らうように、
もっともらしい態度に異を唱えながら。

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# by obinborn | 2016-11-06 05:03 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

ザ・バンド『ムーンドッグ・マチネー』を、オリジナルの時代順に組み直してみました!

ザ・バンドの73年作『ムーンドッグ・マチネー』は、彼らが
音楽の先輩たちに敬意を表したカバー・アルバムとしてあま
りに有名ですね。ぼくも長年愛聴してきましたが、ちょっと
ばかり気になって、オリジナル・ソングがリリースされた年
を調べ、年代順にシークエンスを組み直すとどうなるのか?
を試してみました。以下にご報告しましょう!

☆      ☆      ☆

SIDE A

1 THIRD MAN THEME 49年 オーストリアのチター奏者、
アントーン・カラスによる映画挿入インスト。邦題は「第三
の男」

2 MYSTERY TRAIN 53年 メンフィスのブルーズマン、
ジュニア・パーカーのSUN吹き込み。ほぼ速攻でエルヴィス・
プレスリーが54年に取り上げた

3 THE GREAT PRETENDER 55年 コーラス・グループの
プラターズが同年12月にヒットさせ、全米チャート一位に

4 AIN'T GOT NO HOME  57年 ニューオーリンズのR&B
シンガー、クラレンス”フロッグマン”ヘンリーが同年1月に全米
チャート20位へと送り込む

5 I'M READY 59年 ニューオーリンズの偉大なシンガー/ピ
アニスト、ファッツ・ドミノが同年5月に全米チャート16位へ

SIDE B

1 SAVED 61年 気風のいい女性R&B歌手、ラヴァーン・ベ
イカーのヒット曲 61年5月全米で37位と大健闘した

2 SHARE YOUR LOVE 63年 メンフィス〜テキサスをベース
にしたボビー”ブルー”ブランドが絶唱したバラード曲。ザ・バン
ドはみんなブランドやパーカーを愛していたね

3 PROMISED LAND 64年 勿論オリジナルはチャック・ベリ
ー。多くのヒット曲を生み出したベリーだが、これは何故かチャ
ート・インせず。だからこそ、この勇気あるカバーを讃えよう

4 A CHANGE IS GONNA COME 65年 言わずと知れたサム・
クックの記念碑。65年の2月に全米31位。折りしも時は公民権
運動の真っ只中。サムの願いを聞き取りたい

5 HOLY COW 66年 ニューオーリンズR&Bの新世代、リー
・ドーシーが同年11月に全米チャートの23位へ。インディ・レ
ーベルAMY発。プロデュースはアラン・トゥーサン

と、まあ物好きなことをしてしまいました(笑)皆さんがこれを
機会にまた『ムーンドッグ』アルバムを棚の隅から引っぱり出し
てくだされば、それに勝る喜びはありません!

*ジョエル・ウィットバーン氏の労作『THE BILLBOARD BOOK
OF TOP 40 HITS』を参考資料にしました。ありがとう、ミスタ
・ウィットバーン

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# by obinborn | 2016-11-05 17:59 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

ニール・ヤング『TIME FADES AWAY』

やばいやばい。懐かしい写真を見て昔を思い出していたら眠れ
なくなってしまい、起き出して深夜ニール・ヤングの『TIME
FADES AWAY』(73年)をコーヒー飲みながら聞いている。
ヤングにとって最初のライブ・アルバムとなった本作は、当時
行われた全米ツアーからシアトル、クリーヴランド、サンディ
エゴ、サクラメントでの音源を収録しているが、全8曲がすべ
て新曲で構成されるという画期的なものだった。通常ライブ作
といえばファン・サーヴィスのためのグレイテスト・ヒッツ集
であったり、アーティストにとって活動に一区切り付ける意味
合いがあったり、またはレコード会社が人気にあやかって勝手
にリリースする場合もあるのだが、そうした慣習をヤングは覆
して、73年時点での”現状報告”にしたのだった。そういう意味
では、のちにジャクソン・ブラウンが新しいナンバーばかりの
ライブ作『RUNNING ON EMPTY』を発表する伏線となったの
かもしれない。

72年〜73年のヤングといえば、アルバム『HARVEST』が全米
で第一位に輝き、シングル・カットされたHEART OF GOLDも
また72年の2月、堂々と一位にチャート・インしている。そん
な意味では彼にとって最初の頂点であり、ジェイムズ・テイラ
ーやキャロル・キングの活躍とともにシンガー・ソングライタ
ーの大ブームを巻き起こしたわけだが、必要以上の名声を得て
しまったヤングは新たに苦悩を抱え込むことになった。「もう
僕は大きな会場ではやりたくない。これからは無名のバーや小
さなクラブ、つまり聴衆の顔がはっきり見える場所で歌いたい
のさ」これはヤングの本音であっただろう。

『TIME FADES AWAY』が収録された会場が比較的大きいこと
は歓声の大きさからも容易に想像出来る。そういう意味ではヤ
ングの意思に背いていたのかもしれない。しかしヒット曲のH
EART OF GOLDや当時の最新作『HARVEST』からのナンバー
を焼き直すのではなく、新曲ばかりで徹底的に固め打ちしたと
ころに、ヤングのアーティスト魂を感じずにはいられない。そ
れも内省的なピアノの弾き語り歌L.A、苦みに満ちた自己遍歴
を吐露したDON'T BE DENIED、ヤング自らが監督となった映
画のタイトル・トラックJOURNEY THROUGH THE PAST、の
ちに定期化される障がい児のためのベネフィット・コンサート
の名前を冠したTHE BRIDGEなど、重要曲が演奏されているの
だから、ファンにはたまらない贈り物だ。

とりわけB面最後を飾る長尺のLAST DANCEは劇的な盛り上が
りを見せる。ジャック・ニッチェのピアノもいいし、ティム・
ドラモンドのベースとジョニー・バーバータのドラムの骨太な
コンビネイションが何よりもヤングの実像を伝えようと懸命に
なっている点が素晴しい。加えてクロスビー&ナッシュがコー
ラスで盛り上げ、ベン・キースのペダル・スティールが砂埃を
舞い上げていく。クレイジー・ホースとの荒れ馬ぶりが湾岸戦
争への抗議とともに轟音で示されたのちの『WELD』も価値あ
るライブ作であり、その際に共演したソニック・ユースに刺激
されたノイズ・エクスペリエンス王『ARC』も重要な副産物だ
が、その発端は間違いなくこの『TIME FADES AWAY』にある。
そのことを忘れずにいたい。このアルバムはハル宮沢的なナイ
ーブと中山義雄の黙示録の肖像。傷だらけのロック、血塗れの
国旗、果たされなかった約束の縮図なのだ。きみは元気かい?
もうすぐ夜が明け、エレクトリック・ギターの凱旋が始まる。

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# by obinborn | 2016-11-04 04:47 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

クラン・レコードの平野実さんを偲ぶ

何の変哲もない私鉄沿線の町にその店はあった。今や伝説として
語られる輸入レコード店・クランのことだ。テックス・メックス
とルイジアナのスワンプ・ポップ&ザディコを看板にした同店は、
いつしか人と人の交差点となり、何人かのミュージシャンやライターを輩出していった。その渦の真只中にはいつも店主の平野実さんがいらっしゃった。今や故人となってしまった彼をクランの思い出とともに偲びたい。そう、1978年から2008年までの30年、平野さんはずっと店を支え続けたのだった。

☆      ☆      ☆

開店は78年 当初は当時潮流だったSSW~スワンプ・ロックを中心に掛けるロック喫茶だった

私が最初に行ったのは79年の夏 初めてのリクエストは『ジェシ・ウィンチェスター』

リクエストはLPの片面単位ごと あの頃はこうした店が主流だった

トム・ウェイツ『クロージング・タイム』をフルで流す夜も

西武池袋線江古田駅北口から約5分 三叉路前の青梅(現:西京)信用金庫が店の目印だった

コーヒーは豆を挽いていた 値段は250~300円前後と記憶する

夜は次第に呑み屋へと変化  私はサントリーホワイトのボトルをよく入れていた

美味しかったフードはボルシチ ごく初期にはカレーも置いていたらしい

まだSNS環境がない時代 店に置かれた一冊のノートが「つぶやき」の場だった

渋谷のブラックホークを意識してか、月曜夜に英トラッドを聞く会を開催

トイレには「ウンコは家でしましょう」の張り紙が

店では野良猫がよく平野さんに懐いていた 心温まる風景だった

マチケン(町田謙介)、クランでソロ・ライブ

友部正人が自主制作盤『何でもない日には』販促のため来店

湯布院のSSW通販店タンボリンと親交 「田圃林通信」を配布

八王子のロック喫茶「アルカディア」と親交  「アルカディア通信」を配布

常連の長谷雅春氏、「ビール・ストリート」~「レッドビーンズ(赤豆報)」と自らミニコミで大活躍

私(小尾)のミニコミ「ハックルバック」にも平野氏は寄稿して
くださった

当初から委託中古盤などを扱っていたが、やがて輸入盤専門レコード店へと方向転換

Pヴァインがチェスの権利を獲得した80年代前半頃から、同社と取り引き開始

平野氏、本格的な音楽体験のため、幾度かテキサスへと旅立つ

スワンプ・ポップに着眼 大河シリーズ『ジェイ・ミラー・セッションズ』を取り扱う

フラーコ・ヒメネスの貴重なインディー録音盤をがっつりと輸入

ジョー・キング・カラスコやバックウィート・ザディコら新世代もいち早く紹介

ロス・ロボスのメジャー・デビュー作『AND A TIME TO DANCE』を輸入 音楽メディアなど各方面に衝撃を与えた

ファビュラス・サンダーバーズやリロイ・ブラザーズも積極販売

スティーヴ・レイ・ヴォーン来日時には「SRV公演のため本日臨時休業」の張り紙も

サニー・ランドレスが帯同したジョン・ハイアット来日公演のため臨時休業

スティーヴ・ジョーダンやフレディ・フェンダーの輸入盤を国内配給開始 ライナーも平野氏(ときにペンネームの黒岩姓で)担当

アコーディオンやラブボードといった楽器、スラック・キーの教則本、ルイジアナ音楽研究の第一人者であるジョン・ブローヴェンの著作なども販売 音楽ファンから信頼を得る

ダグ・サームのビデオ上映会を開催 小型テレビ画面で見せられた

レコを買うとポイント制の割引券(茶色の名刺サイズ)が貰えた

レア盤の購入には、例えば¥2,800円プラス割引券20枚要というハードルあり

そのハードルでリードーシーのポリドール盤やSDQのマーキュリー盤を購入した思い出も

ブレイヴ・コンボのカール・フィンチ、来日時のステージで招聘の平野氏を讃える

平野氏、『ミュージック・マガジン』『レコード・コレクターズ』に幾つかの記事を寄稿

『ミュージック・マガジン』の連載で店が紹介される

山崎直也、中山義雄といった鋭い感性の音楽評論家諸氏も店を愛した

さらにチカーノ・ラップのカセットまで取り扱うマニアックぶりを発揮

この頃からクレイジー・ケン・バンドの横山剣氏と親交

90年代後半からは古着や中古オーディオ機器の扱いも始める

平野さんは配線回路に詳しく、機械の修理にも長けていた

クラン閉店は2008年の春 とくに告知はぜず、粛々と

平野さんは常に無口で淡々とした風情 「世間に動ぜず」が基本姿勢だったように思える

私が最後にお会いしたのは2014年秋のスクイーズボックス・ナイト
お元気そうだったのに…

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# by obinborn | 2016-11-01 18:36 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

ボブ・ディラン「リリー、ローズマリーとハートのジャック」

ソニーからボブ・ディラン『リアル・ロイヤル・アルバート・
ホール』のサンプル盤が届いた。66年にザ・ホウクスを率いて
行った伝説的なツアーの音源だ。むろん以前から長らくブート
レグの時代を経て、近年やっとオフィシャルな形で商品化され
たものだが、今回はその”完全版”という触れ込み。本来であれ
ばそれを真っ先に紹介したいところだが、時流に乗っかったパ
ブ記事は書きたくない(そんなものはいくらでも転がっている
だろう)ので、今日はぼくが最も好きなディランのアルバム『
血の轍』(75年)についてメモしておこう。

73年にザ・バンドとともに録音に臨んだ『プラネット・ウェイ
ヴス』それに伴って74年の初頭から始まった彼らとの全米ツア
ーによって、ディランは久し振りに公の場に立ち、音楽家とし
てのカンを取り戻しつつあった。74年の9月16日ユダヤ人にと
っての新年祭ロッシェ・ハサナのこの日、ディランは突如レコ
ーディングを思い付いたという。彼はエンジニアのフィル・ラ
モーンにこう言ったという「記念すべきニューイヤー。どうし
て今日じゃ駄目なんだい?」

そんな風に一気呵成に進められたレコーディングだったが、そ
のセッション終了間際の12月、ディランは突然録音し直したい
と言い出し、それまでのニューヨーク吹き込みとは違うミネア
ポリス周辺の演奏家と新たにスタジオへと向かうことになった。
アルバム『血の轍』にはそれらミネアポリス・セッションから
「ブルーにこんがらがって」「きみは大きな存在」「愚かな風」
「リリー、ローズマリーとハートのジャック」「彼女に会った
らよろしくと」の5曲が採用されている。没になったレコーデ
ィングの幾つかは『バイオグラフ』や『ブートレグ・シリーズ
1〜3』に聞けるのだが、それらを比べてみると、ディランが成
熟した手練手間のバックより、もっと生々しい手触りを欲して
いたことがよく解る。ディランの故郷でもあるミネアポリス在
住の"無名な”プレイヤーたちが彼を煽り、支え、目線をしっか
り合わせながら演奏を共にした。ディランを本気にさせた。そ
のことを忘れたくない。

無名であり無冠であること。それは”自由”とどこまでも相似形
を描いていく。『血の轍』に描かれたディランの歌の多くは、
男女の別れ、宛のない旅、時の政府への怒りといった内容であ
り、それらを彼はときにストレートに、ときにカットアップや
遠近法を用いながら歌詞とメロディに託している。歌詞がこと
さら難解だとされるディランだが、ポール・ウィリアムズによ
れば、アメリカ人でさえ彼の歌詞はよく解らないらしい。そこ
はひとつ奔放なイメージの飛躍、優れたメタファーが散りばめ
られたそれを、音粒とともに感じるままに感じていけばいいの
ではないだろうか?

もしきみが町の無名の人達の声を聞きたいと思うなら、「リリ
ー、ローズマリーとハートのジャック」に耳を傾けてみるとい
い。そこにはキャヴァレーの喧騒と夜明けの寂しさがあり、リ
リーとローズマリーの視線が一曲のなかで入れ替わり、しまい
には判事や銀行強盗までやってくる。まるで一篇の西部劇のよ
うだ。この歌にどう生きろとか、人はどうあるべきか、といっ
た説教めいた結論は一切ない。そういう意味では迷宮に投げ出
されるような感覚を味わうかもしれない。それでもきみは以前
よりもリリーやローズマリーやジャックといった知らない人達
の無名の物語を、自分に引き寄せながら感じていることだろう。

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# by obinborn | 2016-10-23 05:15 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ボズ・スキャッグスの72年作『マイ・タイム』を顧みて

先日なんばのphoe~beさんに持ち込んだ音源がボズ・スキャッ
グスの72年作『マイ・タイム』(Columbia PC31384)でした。
けっしてゴリ押ししたわけではなく(笑)マスル・ショールズ
録音を含むプレAOR的な本作なら、このお店にも受け入れられ
るのでは?と思ったからです。いわば土臭さと洗練との超克。
何も私に限らず、ここら辺のさじ加減にグッと来る方々は少な
くないことでしょう。

今でこそAORの象徴となってしまったボズですが、元々はテキ
サス生まれの南部人。やがてシスコに出てスティーヴ・ミラー
・バンドに参加します。そこでもブルース・ライクな感覚を染
み込ませていましたが、やがて独立。ヨーロッパで修行した時
代のデモ録音集(筆者は未聴)もあるようですが、アメリカに
戻った彼はアトランティックと契約し、マスル・ショールズに
向かい、ブルーアイド・ソウルの名盤『ボズ・スキャッグス』
でソロ・デビューしました。デュエイン・オールマンのむせび
泣く押弦ソロが収められたフェントン・ロビンソンのブルース
「10セントを俺に」はとくに評価を高めましたが、すぐにボズ
はコロンビアに移籍し、『ボズ&バンド』『モーメンツ』とい
う2枚のアルバムを、ともにグリン・ジョンズをプロデュース
に迎えながら試行錯誤していきます。グリンとはスティーヴ・
ミラー・バンド時代から旧知の仲。何らかの方向性を彼に委ね
てみようというボズの心の動きはそれなりに伝わってくるので
すが、残念ながら今ひとつ成果を上げることは出来ませんでし
た。

そんな彼が再びマスル・ショールズを探訪して作り上げたのが
このフォース・アルバム『マイ・タイム』です。いわば原点回
帰であり、選曲もアル・グリーンの「オールド・タイム・ラヴ
ィン」、アラン・トゥーサンの「フリーダム・フォー・ザ・ス
タリオン」などR&B色が濃厚に漂ってきます。それでもこれら
2曲をマスルで録音するのではなく、ボズにとって第二の故郷
と言うべきサンフランシスコでのセッションに託したところに、
ボズの卓見を見る思いがします。そのシスコ録音ではサイモン
&ガーファンクルでおなじみのロイ・ハリーの手腕も鮮やか。
次作『スロー・ダンサー』の制作をモータウン~ホットワック
スのソングライター&シンガーであるジョニー・ブリストルに
委ねたボズは、更に都会的なシンガーへと変貌していきます。
私は74年の『スロー・ダンサー』も、76年の記念碑『シルク・
ディグリーズ』も高く評価しています。そこら辺はブラックホ
ークの故:松平維秋さんの価値観との違いかもしれません。そ
れも決定的な感覚の差というか、埋められない断層というか。

ドナルド・フェイゲンのライブを観た友人が、いささか興奮気
味に私にこう語ったことがあります「単なるR&B大好きオヤジ
じゃん!」と。スタジオ録音に精緻を極めたフェイゲンやボズ
がライブという場面で、もっと生々しいブルーアイド・ソウル
へと戻っていく。ふと自分の原点を確かめてゆく。そんな営為
の発露として、私はボズの『マイ・タイム』を忘れることが出
来ません。エディ・ヒントンとピート・カーのオブリ・ギター
が交錯するMight Have To Cryが、私のベスト・トラックです。

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# by obinborn | 2016-10-21 01:07 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

10月15日のラリーパパ&カーネギーママ

15日は横浜サムズアップでラリーパパ&カーネギーママのツア
ー初日をたっぷり2時間堪能した。久し振りの活動再開とはいえ、
そこは勝手知ったる我が家の如し。これまでのスタジオ・アルバ
ムを遥かに上回る骨太いバンド・サウンドが堂々と繰り広げられ
ていった。豪放に唸りまくるガンホのスライド・ギターはもとよ
り、ヒョンレとスチョリによる声質の異なるリード・ヴォーカル
の対比といい、それを後押していくコーラスといい、断続的なが
らも長くキャリアを積み上げてきた者たちならではの連携を思わ
ずにはいられない。

アメリカ南部の音楽に憧れ、オクラホマ出身のロジャー・ティリ
ソンの日本公演に帯同しつつ信頼を得た。さらにラリーパパたち
は自分たちのソングライティングに磨きを掛けながら、普段暮ら
している町や人々の光景をスケッチしていく。そうした営為がど
れだけ尊いことだろう。どれだけ隣人たちの心を溶かせていくこ
とだろう。いわば日本から発せられた言葉とアメリカ音楽との共
振だ。第一部はザ・バンド「チェスト・フィーヴァー」に、第二
部はジェシ・エド・ディヴィス「ナチュラル・アンセム」に導か
れながら始まったラリーパパ&カーネギママのステージ。

それは音楽という女神が微笑み、客席へと舞い降りてくるような
愛おしい時間の流れだった。私はそれらを抱きしめながら終電に
乗った。

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# by obinborn | 2016-10-16 00:53 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

語る言葉〜words

昨日久し振りに宮本望くんとお会いしました。彼は90年代後半
頃音楽ライターとしてバリバリ売り出し、私もその才能を高く
評価していたのですが、業界の慣習に嫌気が差したのか、本業
であったレコード・バイヤーとして再出発し、今はしっかりと
その道で食べています。そんな彼の健在を確認出来て嬉しかっ
です。宮本くんは音楽に限らず人の価値観や社会に関してもは
っきり好き・嫌いを言うタイプなので、初めて出会う方はやや
面食らうかもしれませんが、私は彼のそんな部分がむしろ好き
ですね。きっとオブラートに包むのではない直言の数々の彼方
に、壊れやすいナイーブの塊のようなものが見える(見えてし
まう)からかもれません。

宮本くんと私の共通する部分は、例えば音楽評論家の山名昇氏
を最大限にリスペクトしていることかもしれません。山名さん
もまた好き嫌いをはっきり言う、確かな審美眼を持った大先輩
です。私などは山名さんに憧れて文章を書き始め、出版社に売
り込み、今もなんとか細々と暮らしているくらい(笑)それは
ともかく、何でも誉め囃す自称音楽ライター・評論家連中が偉
そうにのさばっているなか、宮本くんが何らかの形で傷付いた
ことは容易に想像出来ます。彼ほど明確に違和を唱えられなか
った私でも、せめて自分に相応しくない、好きではない音楽の
原稿はすべてお断りする矜持は持ち合わせているのでした。

いやあ〜、懐かしかったよ、宮本くん。互いに確認し合ったの
は「とにかく徹底的に聞き込む」「文章はそれからでいい」こ
の2点!いやマジ、サムシング・エルズが沸き上がってくるま
で言葉を待つ、他人の書いた記事の上塗りのような原稿は書く
まい、といった謙虚さは絶対に必要だよね。私は少なくとも、
自分がどういう物事に心を寄せるのか、どういう態度が嫌いな
のかを峻別したいと思っています。自分がともすれば忘れがち
な感情のかけら。断片。言葉にならない想い。それを宮本望く
んが思い起こさせてくれました。事実70年にアトランティック
・レーベルから発売されたラウドン・ウェインライト3世のデ
ビュー作について、私は未だ語る言葉が見つかっていないので
した。こんなに素晴しいシンガー・ソングライターなのに。

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# by obinborn | 2016-10-10 17:40 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

10月8日の中井大介

8日は武蔵小山のアゲインにて中井大介のレコ発ライブを。第
2作となる『SOMEWHERE』を携えて京都からやって来たこ
の青年は、幾分衒いの表情を見せながらも、堂々と彼ならでは
ソングライティングと歌とギターで満員となった会場の空気を
じわじわ満たしていった。何一つ偉ぶらず、結論を急がず、た
だひたすら感じたままをスケッチしていく。そこには町のざわ
めきがあり、寂れた漁港を一人見つめる視線があり、夜明けま
で回り続けるミラーボールとともに踊っていたいという無邪気
な心がある。これらの歌詞はどこまでも散文的ではあるけれど
も、聞き手それぞれが自由に解釈出来る余白を残す。優れた楽
曲、雨風に晒されながらもじっと芽を出す季節を待っているよ
うな歌とは、きっとそのようなものではないだろうか。

彼のファミリーであるパイレーツ・カヌーから岩城一彦(g)、
谷口潤(b)、吉岡孝(ds)が、しっかりと中井の歌世界を守
護しながら飛翔させていく。打ち上げの会場では冗談しか言
わなかった彼らだが、ステージでの綿密なバンド・アンサン
ブルに、パイレーツが試行錯誤しながらも歩んできた歳月を
思わずにはいられない。音色にまで気を配ったリゾネイター、
寡黙に底辺を支えるべース、ソウル音楽の16ビートをしなや
かに叩き出していくドラムス。それらが中井の宛先のない手
紙のような歌を補完する。そう、花に水が必要なように。限
りなく続く砂漠の道を潤すように。そして後方でコーラスす
る河野沙羅と、この日の特別ゲストだった木下弦二が、歌の
行き先を見守っている。

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# by obinborn | 2016-10-09 06:25 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

追悼:平野実さん(江古田クラン・レコード)

今日は悲しいお知らせをしなければなりません。長年に亘って
テックス・メックス音楽の紹介に尽力されてきたクラン・レコ
ードの平野実さんが死去されました。正確には15年2月のこと
だったらしいですが、親族の方々の控えめな御意向もあり、私
たち一般に知らされたのは昨日から今日にかけて。約一年半が
経ってからのことでした。

彼は80〜90年代を通して、東京は練馬区の江古田にある自分の
お店クランを媒介に、フラーコ・ヒメネス、ロス・ロボス、ブ
レイヴ・コンボ、スティーヴ・ジョーダンなど、日本ではまだ
知られていなかったテックス・メックスのレコードをいち早く
輸入し、やがてクラン・レーベルを立ち上げました。配給網を
Pヴァイン・スペシャルに委ね、日本語の解説と帯を付けたそ
れらの盤を各地の店頭で見かけた方も少なくないと思われます。
個人的な思い出を少しばかり語らせてください。私は江古田で
学生時代を過ごしていたせいで、1978〜79年頃からまだレコー
ド店になる以前の喫茶『CLAN』に通っていました。当時はそ
の頃人気だったシンガー・ソングライター〜スワンプ・ロック
をメインにした小さなお店でした。今でもよく覚えています。
私が最初に同店を訪れた時、掛けてくれたジェシ・ウィンチェ
スターのファースト・アルバムのことを。

平野さんは無骨で気取らない方でした。淡々としているという
か、世間一般の俗っぽさをちょっと斜に構えながら眺めておら
れる。そんな諦観のようなものに学生だった私はそっと憧れま
した。直情タイプの私とは違う人物像ゆえに、大人になったら
こうなりたいものだ、とカウンター越しに密かに思いました。
彼の店だけではなく、時に呑み屋で語り合いました。終電がな
くなってしまい、彼を私のアパートに泊めながら翌朝出勤した
社会人成り始めの頃などが、とても懐かしく思い出されます。

平野さんと最後にお会いしたのは、2014年に開催されたテッ
クス・メックスの祭典『SQUEEZEBOX NIGHT』、その会場
である目黒のリトル・テキサスにて。この時も俗世間からは
離れたような彼の佇まいが印象に残っています。確か最後の
会話はこのようなものだったと記憶しています。「小尾くん、
最近オレはクリームの2枚組を聞いているよ。カッコイイよ
ね。江古田ヤーマンの塩ラーメンはすごく美味しい。今度食
べてみるといいよ」

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# by obinborn | 2016-10-07 19:14 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

追悼:バックウィート・ザディコ


バックウィート・ザディコ(スタンリー・デューラル)が癌
のため亡くなりました。遅ればせながら何枚かの所有盤を持
ち出してきて追悼しています。クリフトン・シェニエが60〜
70年代を通してザディコ音楽を広めたスターだとすると、バ
ックウィートはその後、80年代以降のザディコを牽引してい
く存在でした。当初はサニー・ランドレスも所属していた地
元南ルイジアナのレーベル、ブルーズ・アンリミッテッドで
ローカルな活動に甘んじていたバックウィートでしたが、や
がてブラックトップやラウンダーといったルーツ音楽に理解
のある白人向けの中堅レコード・カンパニーと契約しながら、
音楽の幅を広げていきました。87年には何と大手のアイラン
ドへと移籍してファンを驚かせます。折しもこの頃は、ワー
ルド・ミュージックの全盛期。ザディコというルーラルな音
楽をもっと広めたい!というクリス・ブラックウェルの思惑
も容易に想像されます。正確な時期はもう忘れてしまいまし
たが、確か90年前後に初来日した際の公演を私は渋谷のクア
トロで観ていたのでした。

今聞いているのはブラックトップを経てラウンダーに移籍し
た最初のアルバム『TURNING POINT』〜84年です。アルバ
ム表題曲はタイロン・ディヴィスの代表的なノーザン・ソウ
ルのカバーであり、このようにR&B/ソウルの有名ナンバーを
取り上げ、ザディコ音楽としてリアレンジするアプローチが
バックウィートにはとくに顕著でした。どこまでレーベルが
主導するアイディアだったのか、それとも本人による選択だ
ったかは解りませんが、少なくとも音に接している限り、私
には親しげに語り掛けてくる気持を感じます。まあ逆にザデ
ィコというクレオール(フランス系入植者とルイジアナ黒人
との混血)文化にどこまでも学究的〜フォークリリックな態
度を求める方々には、適さなかったのかもしれません。

「ぼくの父は本物のフランス人でした。ぼくの家庭ではフラ
ンス語で会話するのが当たり前の環境でした。当時はクリフ
トン・シェニエくらいしか、ぼくたちフランス系クレオール
が聞ける音楽はなかったんです。やがてぼくは自分でザディ
コを演奏し始めました。父親には”学校に行け!”と言われま
したけど、ぼくはやがてファッツ・ドミノやリトル・リチャ
ードに夢中になりました。71年になって本格的にバンドを組
む頃には、クール&ザ・ギャングやアース・ウィンド&ファ
イアそしてパーラメントなどのファンク・ジャズも聞いてい
ましたよ」(『TURNING POINT』のライナーに於けるバッ
クウィートの回想より)

音楽が何よりも混血文化であることを身を持って示してくれ
たバックウィート・ザディコさん、本当にありがとうござい
ました。あえてバックウィート(黒ん坊という蔑称。ガーラ
ンド・ジェフリーズの歌に「俺をバックウィートと呼ぶな」
という人種問題を告発した歌があるほど)という芸名を用い
ながら、ザディコとR&Bとロックを分け隔てなく歌い演奏し
続けたバックウィート・ザディコ。私はあなたの理解者であ
りたいと願っています。

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# by obinborn | 2016-10-05 17:26 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

ビリー・バトラーとともに、夕暮れ時を。

今日は昨日とは対照的に暑い日でした。それでも夕暮れが早く
なり何となく秋を実感する時期になりました。というわけで
さっきレコ棚からアットランダムに引っぱり出してきたのが、
ビリー・バトラーのセカンド・アルバム『GUITAR SOUL!』
(プレステッジ 69年)です。私が所有しているのはOJS(オリ
ジナル・ジャズ・シリーズ)の廉価リイシュー盤で、あの懐か
しい西武百貨店系列のWAVEの値札が貼ってあるので、恐らく
90年代に池袋の同店で購入したものだったと推察されます。

私がビリー・バトラーというジャズ・ギタリストを知ったのは、
彼が昨日紹介したビル・ドゲット・コンボに在籍してからであ
り、およそ55年から60年にかけてビリーはビル・ドゲットたち
とともに初期のキャリアを磨いていきます。そういう意味では
ジャズというよりもR&Bテイストをルーツに持つ人だったのか
もしれません。そんなビリーはやがてビル・ドゲット・コンボ
から独立しソロ活動へと転じます。ブルーノートと並ぶジャズ
の名門レーベル、プレスティッジに招かれた彼は大いに自信を
深め、メルヴィン・スパークスやブーガルー・ジョーンズとと
もに同レーベルお抱えのセッション・ギタリストとして活躍し
始めるのでした。

この『GUITAR SOUL!』はそんなビリーのリーダー・アルバム
第二弾です。まず驚かされるのがA面冒頭の超ファンク・ナン
バーBLOW FOR THE CROSSING。彼は何とワウワウ・ペダル
を駆使しながら、69年前後のジミ・ヘンドリクスと同期するよ
うなエグいプレイを展開しているのです。スペックス・パウエ
ルのファットバック・ドラムスが俄然映えるのも、こうしたフ
ァンク曲ゆえでしょう。ボブ・ブッシュネルのフェンダー・ベ
ースとの絡みも効果的。かと思えばA2曲のGOLDEN EARRIN
GSと、B4のAUTUMN NOCTURNE/YOU GOT MY HEADでは
まるでジャンゴ・ラインハルトのようなジプシー・ジャズを奏
でるのですから多面的ですね。さらにラテン・ビートの応用と
いう50年代からジャズと親和性が高い領域については、B面3
曲めB&B CALYPSOのお遊びを、余裕でこなしていきます。

それでもビリーのルーツとなるのは、やはり圧倒的にR&Bな
のでしょう。かつて同じ釜の飯を喰ったビル・ドゲットの看板
曲HONKY TONKを堂々とB1に配していることが何よりの証明
です。ちなみにこのHONKY TONKというR&Bインストを私が
最初に聞いたのは、ロギンス&メッシーナのカバー・アルバム
『SO FINE』(コロンビア 75年)でした。ボビー・ダーリンか
らハンク・スノウ、クライド・マクファッター、エヴァリーズ、
チャック・ベリー、さらにクリス・ケナーまで幅広くセレクト
したこの盤は、私のハイスクール・イヤーズの聖典でした(出
来ればもっと評価して欲しい!)

「ビリーは踊るヴァイオリンのようにギターを弾く。あるいは
自ら歌うようなギターを奏でる。私は彼に尋ねた”きみにはどん
なメゾットがあるんだい?するとビリーは答えた”きみが何かを
掴み取った時に自分自身であればいいんだよ。別にそれがラジ
オ局と取り引きする時に、価値あることでなくともさ!”」

1969年の11月に記されたラリー・カートのライナーノーツには
そんな記述があります。ビル・ドゲットのR&Bコンボに在籍し
つつも、チャーリー・クリスチャンの甘美なシングル・ノート
に憧れ、またジャンゴ・ラインハルトとT.ボーン・ウォーカー
を視界に収め、恐らくジミ・ヘンドリクスの台頭も意識してい
たのでしょう。そんなことを思い浮かべながらこの『GUITAR
SOUL!』を聞いていると、当時の音楽状況(ロックとジャズとR
&Bのシンクロナイズのようなもの)が、はっきり浮かび上がっ
てくるのです。

世間一般ではあまり評価されていないビリーですが、彼が60年
代というワン・ディケイドの混沌のなかにあって、『GUITAR
SOUL !』のような名作を残したことにひたすら感謝しています。
あ〜、夕暮れが迫ってきました。

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# by obinborn | 2016-10-04 18:02 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

コテコテ・ジャズは最高っす!


ハモンド・オルガンは南部の教会で用いられるなど、バレル
ハウス・ピアノとともに黒人音楽の歴史を支えてきました。
50年代にはR&Bやジャズの分野にも応用されるなど、どんど
ん進化していきました。一番有名なのはビル・ドゲッドやジミ
ー・スミス辺りでしょう。私もオルガンの泥臭くファンキーな
タッチは大好きなので、ロックをとりあえず一周し終えた90年
代には狂ったようにオルガン・ジャズ、オルガンR&Bのレコー
ドを集め始めたものです。ちょうどイギリスでアシッド・ジャ
ズ〜レア・グルーヴのブームがあり、日本でもピーター・バラ
カンがベビー・フェイス・ウォレットのブルーノート盤や英チ
ャーリーがコンパイルしたビル・ドゲットのLPを紹介していた
頃だと記憶します。ヒップホップ以降の世代ではビースティ・
ボーイズがジミー・スミスのROOT DOWNをサンプリングし
ましたよね。その温故知新的な効果は絶大でした。

やがて聞く枚数を重ねていくと、ブルーノートは比較的大人し
いオルガン・ジャズに終始していて、プレステッジやチェスの
傍系のアーゴといったレーベルにもっとエグく、よりR&Bパー
ティ向けのダンス・レコードが多いことに気が付いていきまし
た。『ジャズ批評』誌が”コテコテ・ジャズ”なる造語を新たに
作り出し、従来のハード・バップとは違うファン層を開拓しな
がら、モダン・ジャズ派には敬遠されがちだったB級プレイヤ
ーたちを掘り起こしたことも忘れられません。グルーヴ・マー
チャントも真っ黒ないいレーベルです。60年代後半に立ち上げ
られた会社らしく、当たり前のようにエレクトリック・ベース
や16ビートが援用されているのは、当時のソウルやファンクの
台頭を意識していたからでしょう。ブラック・ミュージックは
スライ&ザ・ファミリー・ストーンやカーティス・メイフィー
ルド、あるいはスティーヴィ・ワンダーなどの台頭で、70年代
の扉を開きつつありました。

73年にグルーヴ・マーチャントからリリースされた『GIANTS
OF THE ORGAN:COME TOGETHER』を、そんなニューソウ
ルの蜂起と共に感じてみるのもあながち間違いではないと思い
ます。ジミー・マグリフとグルーヴ・ホルムズという二大ハモ
ンド奏者がまったく互角に共演したこの盤は、いわばオルガン・
トリオ二組が同時にプレイしているようなものであり、単純に
2倍以上の劇薬的な効果を促します。ドラマーとコンガ奏者だ
けはバーナード・パーディとクワシ・ジェイオルバに固定しつ
つも、ギターをジョージ・フリーマンとドネル・レヴィに振り
分けた点にも、ダブル・トリオの意義をはっきり汲み取ること
が出来ます。

もっとも当時のマイルズ・デイヴィズのようなポリリズム的な
面白さは希薄というか、そもそも目指すところではなく、あく
までシンプルなビートが絶え間なく供給(反復)され、そのな
かでオルガン×2、ギター×2の丁々発止がスリルとともに展開
されるという塩梅です。なおこの顔合わせに気を良くしたのか、
マグリフとホルムズは、同じ73年に本作のライブ展開版とも言
うべき『IN CONCERT』を残しています。そちらもぜひ併せて
聞きたいですね。

元々ブッカー・T&MG’sのGREEN ONIONやTIME IS TIGHTを
中学生の頃から身体に馴染ませていた私には、こうしたオルガ
ン・ジャズ〜コテコテ路線に免疫があったのかもしれません。
まさに娯楽ジャズの極み〜ダンス・パーティ必携の一枚が、こ
の『GIANTS OF THE ORGAN:COME TOGETHER』ではない
でしょうか。というわけで音楽のお供はビールからハイボール
へと進み始めました。

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# by obinborn | 2016-10-02 17:24 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

フェイスブックが5年めを迎えました

この10月1日で私のフェイスブックが5年めになりました。
あっという間ですね。それ以前はブログ(06年9月に開始)
で発信してきたことを徐々にFBの方に移行し、最近では
まずFBに書き、ライブレポートや評論など永きに亘って
保存しておきたいテキストはブログに記録するというスタ
イルが定着しています。私の場合は同じアーティスト/バン
ドを見続けることをひとつの目標にしていますので、格納
されたライブ評などは、アーカイヴとしてそれなりに楽し
んで頂けるのでは?と密かに思っています。

始めたばかりの頃は手探りだったFBですが、次第に要領が
解ってきました。まあ要領といっても結局自分のやり易い
スタイルを保持していくという意味なんですが、私の場合
は(1)なるべく毎日書く~出来るだけ間隔を開けないこと              (2)言いたいことを言う~ときに敵を作っても構わない
(3)同業者とは馴れ合わない~そのために個人ではなく法
人アカウントに設定、とおよそ3つことを意識しました。
すると自分の資質というか個性のようなものが自然と解って
きて、これは自分でもなかなか面白い発見でした。

というわけで所々書き連ねてきましたが、皆様の励ましや
応援はホント嬉しい限りで、書き続ける大きな動機になって
います。先日、昔東京で知り合って今は北海道にお住まいの
方から、「FBもTWもブログも毎日読んでいます!」という
何とも嬉しいお便りを頂きました。そういう方のためにも
続けていこうと思っています。いろいろなタイプの音楽評論
があるでしょう。自分の場合は「聴いて感じたことをスケッ
チする」「一人のアーティストを英雄視するのではなく、同
時代の他の音楽家との関係のなかで把握していく」ことを基
本に考えています。今後ともよろしくお願いします。

小尾隆(2016年10月)

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# by obinborn | 2016-10-02 09:15 | one day i walk | Trackback | Comments(0)