トニー・ジョー・ホワイトと私

先日江古田のおと虫で40枚ほど手持ちのレコを買い取って
貰ったのだが、ご近所らしいSさん(まだお会いしたこと
はない)が、私の放出品から2枚ほど購入されたことを彼
のFBで知った。文字通りリサイクルである。何らかのお役
に立てれば嬉しい。そういう意味で中古レコ店というのは
本当に介在役だなと思う。年齢的なこともある。これから
はある程度”還元”していくのが私の役割なのかもしれない。

トニー・ジョー・ホワイトはレコを集めるのに苦労したア
ーティストの筆頭格。リアルタイムで彼のヒット曲をラジオ
で聞いていた世代はともかく、遅れてきたSSW〜スワンプ・
ファンが80年代になってから、彼の全盛期〜70年代のアルバ
ムを揃えるのにはマジ苦労した。私は90年代、大阪にまで彼
のレコを買いに行ったことがある。まだトニー・ジョーがCD
化される以前のハナシだ。

モニュメント・レーベルに3枚のアルバムを残した彼が、71
年に心機一転、ワーナー・ブラザーズに移籍してリリースし
たのが『TONY JOE WHITE』である。それまでナッシュヴィ
ル・エリアを中心に録音してきた彼が、本作ではサウンド・
オブ・メンフィスとアーデントの2カ所へと飛び、サミー・
クリーズン(ds)やマイク・アトレイ(kbd)といったディキ
シー・フライヤーズ、あるいはアンドリュー・ラヴ(ts)ら
メンフィス・ホーンズの面々と、本格的に合い塗れたことに
本作最大の価値がある。むろんクリーズンやアトレイの参加
は前作『TONY JOE』で一部実現していたのだが、今回はま
ったなしの全面開示だ!

何故”水と油”の関係とも言えそうなピーター・アッシャー(
英デュオのピーター&ゴードン出身、その後渡米しジェイム
ズ・テイラーやリンダ・ロンシュタドに大きく貢献した)に
プロデュースを依頼したのかは今もって不思議な気がするも
のの、フンパーストンパー(ワウワウの一種)を踏み込んで
いくギターの野趣、セクシーなテナー・ヴォイス、ときに泣
かせるバラードと、トニー・ジョー節がプロダクションによ
って損なわれるような欠点はまったく見当たらなく、昇り坂
にあったアーティストと新進気鋭だった制作者との密な関係
だけがある。

そしてトニー・ジョーは次作『THE TRAIN I'M ON』(72年)
で、アトランティック・グループの名将ジェリー・ウェクス
ラーの”指導”により、いよいよアラバマ州マスル・ショール
ズへと乗り込んでゆく。その盤に聞き取れる柔らかなサウン
ドスケープと放浪する者の夜汽車のような心情は、彼が掴み
取った一里塚であろう。今も時々引っ張り出してくる究極の
”私の一枚”。いや〜すみませんね、進歩がなくって(笑)

「俺が歌に書くのは実際のこと、ルイジアナに暮らす人々の
生活、風習、日常のことだよ」兄が聞いていたライトニン・
ホプキンス、姉が夢中だったエルヴィス・プレスリー。それ
らを手土産にしながら、トニー・ジョーは71年このセルフタ
イトル・アルバムとともに、時代の真っただ中へと躍り出て
いった。

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# by obinborn | 2016-09-29 18:21 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

エッグス・オーヴァー・イージー『STORY』に寄せて

「ある晩遅くにギグが終わり、近所の狭い新聞スタンドのよう
な店で目玉焼き(Eggs Over Easy)を食べた。ぼくらのバンド
名はそうして出来たのさ!」オースティン・デ・ローンはそう
回想する。69年頃シスコでのことだ。エッグスはやがてチャス
・チャンドラー(元アニマルズ~ジミ・ヘンドリクスのマネー
ジャー)と知り合い、渡英することになる。70年の11月彼らは
チャンドラーの制作下、ロンドンのオリンピック・スタジオで
アルバム用のレコーディングを開始。しかしそのアルバムは様
々な理由により、当時陽の目を見ることはなかった。

今回発売されたボックスセット『STORY』の目玉!となるのは
その時の未発表音源だ。”London '71”と冠されたその全12曲は
まさに翌年の名盤『Good' N 'Cheap』のプロトタイプとなった
もので、今聞いてもまったく色褪せることのないダウンホーム
・ミュージックが開示されている。記念すべきファースト・ア
ルバムが発売されなかった彼らの失望は大きかったが、もうし
ばらくロンドンに滞在するように説得され、北ケンジントンの
タリー・ホで演奏することになった。当時ジャズのクラブであ
ったタリー・ホは、月曜の夜だけロック・バンドにも場所をサ
ーヴした。これがいわゆるパブ・ロック伝説の序章となってい
った。何でも当時はお客さんがたった6人しか居なかったらし
いが、その場所でエッグスはブリンズリーズやビーズ・メイク
・ハニーやダックス・デラックスらと親交を重ねていった。
タリー・ホではオリジナル曲に混ざり、ジミー・リードやサム
・クックの幾つか、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」
ザ・バンドの「オールド・ディキシー・ダウン」などが演奏さ
れたという。

そんなロンドン・デイズに思いを馳せながらこの『STORY』を
聞いていると、何とも言えない感慨が込み上げてくる。ライナ
ーノーツには「パブ・ロックはヒッピー・ロックとアリーナ・
ロックとの狭間にあったムーブメントで、ダウンサイズされた
アンプとルーツ・リヴァイヴァルへの気運があった」と記され
ている。また『Good'N' Cheap』については、「当時は虚飾的
なロック・レコードが多かったが、エッグスの音楽はラヴィン
・スプーンフルのように語り掛けてきた」とも。

偉大なるメンバー、ジャック・オハラ、ブライエン・ホプキン
ス、オースティン・デ・ローンの三人に乾杯を!彼らは特定の
ドラムス奏者を得ることはなかったが、それ以上のものをシー
ンに与えた。当時は46年後にこんな立派なボックスセットが出
るなんて誰も想像しなかったことだろう。かつてのアンサング
・ヒーローたちは歳月とともに勝利を収めた。今は亡きブライ
エン・ホプキンスにこのボックスを手渡したかった。

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# by obinborn | 2016-09-28 04:33 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ブリンズリー・シュウォーツ〜まるで親しい隣人のように

82年といえば私が社会人一年生として働き出したイヤーであり、
同年にリリースされた南佳孝『Seventh Avenue South』が爆発
的に売れていた。私もそれに倣った一人だが、周りに広がるの
はニューヨークシティでもパームトゥリーのLAでもなく、延々
と続く茶畑と山田うどん(註:埼玉県下の定食チェーン)であ
った。そうした環境のなかでボズ『ミドルマン』や南『七番街』
を聞くことに、私は次第に居心地の悪さを感じ始めていた。ま
あ、平たく言えば「俺の音楽じゃないよなあ~」である。

横浜や湘南のシティ・ボーイたちはどう思っていたのだろう?
彼らにとって最も近い東京は東横線や田園都市線の終点である
渋谷だった。西武池袋線で乗り付けた最初の都会が池袋だった
私とはえらい違いである。その頃はスプリングスティーンやサ
ウスサイド・ジョニーに夢中だったせいだろうか、所沢こそが
日本のニュージャージーだぜ!と息巻いていたのだが。ちなみ
にオレンジ・カウンティ・ブラザーズの谷口邦夫さんは、こう
おっしゃていた「横浜の人達はやはり自分たちの文化を一番上
だと思っているんだよ」

自分に相応しい音楽とはどんなものだろう? 漠然とモヤモヤ
した気持を抱えながら、今も私は暮らす土地と音楽との関係を
考え続けている。出来ればその音楽が最適なものであることを、
もう一日を無事過ごすために必要な処方箋であると願いながら。

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# by obinborn | 2016-09-27 17:17 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

映画『君の名は。your name』を観て

26日は午前中『君の名は。〜your name』を豊島園シネマで
鑑賞しました。50代後半のジジイが観る映画かよ〜wという
自嘲気味の気持もありましたが、結果観て良かったです。様
々なメディアで話題になっているアニメ作品ですが、自分は
なるべく真っ新な状態で接したかったので、情報はあえてオ
フにしました。それでもどこからか漏れてくるのは致し方な
いところです。でもときに禁欲的になるのは必要ですよね。

最も多感な10代真ん中である男女二人の高校生が主人公とな
り物語を進めていくのですが、都会に暮らす男子と田舎に住
む女子との人格が、時空をワープしながら入れ替わっていく
ところに面白さがあります。消費的な生活に早くも染まりつ
つある東京の青年がひとつの軸。もうひとつの柱は田舎で退
屈な(されど愛おしいと思える)毎日を過ごす少女。そんな
二人が、何千年に一度かで地球に降りてくる惑星を機会に、
それぞれの立場や置かれた環境へと、性差を乗り越えながら
思いを馳せていきます。

秀逸なのは惑星の到来とともに消滅してしまった地方の町(
つまり女子主人公が暮らしていた場所)を、東京の青年が探
し求めていくという後半でしょうか。そこに阪神大震災、あ
るいは東日本大震災といった近年の残酷な出来事を容易に重
ね合わせられるところに、この映画の苦みがあるように思え
てなりません。私たちの現代的な生活は物質的には満たされ
ていることでしょう。メールやライン一本で即座に互いと”会
話"出来る。たとえ雇い主の顔を知らなくとも携帯画面のみで
アルバイト先を探せる。しかし、そんなインスタントな関係
は時に両刃の剣であり、自分や他人を容赦なく傷付けていき
ます。

そんな負の部分を背負っている私たちにも、本当に大事なこ
とや人々の営為を記憶していく能力があります。そうした意
味でこの映画は、様々な環境に置かれながらも愛すべき他者
を忘れてはいないよ、ちゃんと覚えているよ、ということを
言外に伝える作品なのかもしれません。『君の名は。〜your
name』という直裁なタイトルが、俄然重みを伴ってくるの
です。そんな訳で、私のようなくたびれた単なるオッサンも
少し泣けてきました。

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# by obinborn | 2016-09-26 14:48 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

映画『怒り』を観て

本日は『怒り』を豊島園シネマで観てきました。吉田修一の
原作を読んでいたので、その再現というよりはどれだけ映像
としてリアルであるかどうかに関心は向かいましたが、これ
が大正解!細かくストーリーを模すのではなく、映画ならで
はのカットアップ、飛躍、移動などがこれでもかという具合
に繰り返され、2時間半余りの長丁場を殆ど感じさせません
でした。夫婦を殺害してから姿形を変えて潜伏する犯人らし
き人物は、それぞれ三人東京と千葉と沖縄で暮らしています
が、映画の主題はけっして犯人探しには向かわず、各地で暮
らす容疑者たちのサブ・ストーリー(ゲイイズム、男女恋愛、
米軍兵によるレイプ)へと拡散していきます。とくに沖縄に
於ける政治的な葛藤、70年代からずっと続く楽天的なユート
ピア志向への冷ややかな眼差しには、筆者も大いに納得出来
ました。この辺りは桐野夏生の小説『メタボラ』で描かれる
”沖縄”に近いのかもしれません。

世の中は不条理に満ちています。誰もが焦燥と不安を抱えな
がら毎日を過ごしています。勿論そうしたモヤモヤは東京と
地方都市(この映画では千葉の勝浦辺り?)と沖縄の離れ小
島とでは温度差があります。それらの違う土地で毎日を懸命
に黙々と生きる人々の群像が、この『怒り』のサブ・テーマ
なのかもしれません。真犯人でさえ、その土地で人々の優し
に触れながら心を通わせていくのです。それにしても時代背
景としては、90年代に小泉内閣が推し進めた新自由主義〜派
遣切り(勝者は一人勝ちして敗者は永遠に負のゲームのなか
に)の残酷過ぎる結末があるような気がします。

けっして顔を見合わせることなく、携帯一本で次の仕事先に
”派遣”される。真犯人がそもそも殺人を犯す要因になったの
は、人材派遣会社の男から電話で言われた「きみ、その現場
は一週間前だよ」と、平然と突き放すように言われたことへ
の『怒り』でした。

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# by obinborn | 2016-09-23 17:31 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ハリケーン・スミスを聞く初秋

夜中にコオロギの声などを聞いていると、いつの間にか秋に
なったことを実感します。私も今日久し振りに長袖を着てみ
ました。台風もいつの間にか去ったようですね。そんな夜に
ハリケーン・スミスを聞いています。彼は一般的にはあまり
知られていませんが、1923年の2月ロンドンに生まれ、やが
てEMIレコードに入社。あのジョージ・マーティンの庇護の
もと、レコーディング・エンジニアとしてのキャリアを積ん
でいきます。ノーマン・スミスという本名で彼が録音に関わ
った作品には、ビートルズの『ラバーソウル』『リヴォルヴ
ァー』ピンク・フロイド『夜明けの口笛吹き』『神秘』『ウ
マグマ』プリティ・シングス『S.F.スロウ』など、ロック史
に燦然と輝く名アルバムがあります。

そんな彼がある日、アビー・ロード・スタジオでフロイドと
の仕事をしていた休憩時間に、たまたま自作曲Don't Let It D
ieを冗談のように歌ったところ、周囲から意外な好評を得て、
ノーマンはハリケーン・スミスという芸名でソロ・デビュー
することになりました。それが72年の『Don't Let It Die』(
EMI)でした。スミスは当時48歳。まさに中年男の遅過ぎる
デビューでした。しかし、オーケストレーションを多用した
そのノスタルジックな音楽性は英米で高く評価され、Don't
Let It DieやOh Babe, What Would You Say?といったシング
ル・ヒットが生まれました。また当時デビューしたばかりのソ
ングライター、ギルバート・オサリヴァンのWho Was It?を
取り上げた点にも、ノーマンのオールド・タイム嗜好の一端
が伺えるような気がします。

スミスのデビュー・アルバムは英盤(写真左)と米盤(右)
で選曲が幾つか違っています。トータルに彼の世界に触れた
ければ英盤、それには収録されていないOh BabeやWho Was
It?を聞きたければ米盤といったところでしょうか? 私はど
ちらも大好きです。70年代初頭には前述のオサリヴァンを始
め、ハリー・ニルソン、リンゴ・スターなどノスタルジック
な意匠を施した音楽に注目が集まりました。そんな潮流のな
かにハリケーン・スミスを置いてみると、彼の果たした役割
がおぼろげながらも見えてくるようです。

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# by obinborn | 2016-09-23 06:05 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

自衛隊のこと

自衛隊について語ることは勇気を要する。人にはいつも臆する
ことなく書いているように見えるかもしれないが、ぼくは案外
小心者であり、政治のことで友だちを失いたくないという気持
はみんなと同じくらい強い。それでも自衛隊に関して迂闊に物
を言えないような空気が、実は日本人の不幸そのものではない
か?と思い始めている。ここでは自衛隊(旧警察予備隊)の歴
史をいちいち繰り返さないけれども、専守防衛という何となく
観念的な存在だった自衛隊が、もう少しだけ身近でリアルなも
のに感じられるようになったのは、確か90年代初頭の湾岸戦争
あるいはもう少し先のイラク・ウォーからのことだったと記憶
する。PKO法の執行によって自衛隊が海外派兵され、国際的に
貢献する(ときに犠牲になる)下敷きはその頃作られた。

そもそも戦後の日本の平和と安定は、日米安保条約によって保
たれてきた。中国や旧ソビエト連邦といった社会/共産主義圏の
脅威の防波堤となり、日本に民主資本主義をもたらしたのはア
メリカだった。かつての大戦で敵対した米国勢に敗れた代償と
して米軍基地が日本の各地に作られた。その基地から朝鮮戦争
のため、ヴェトナム・ウォーのため米軍が飛び立っていった。
いずれもアメリカの大義名分は共産(独裁)主義との闘いだっ
た。その方便は9/11以降も変わってはいまい。さらに近年では
世界各地でテロが勃発し、より世界の成り立ちを複雑に見せて
いる。

結論から言おう。日米安保条約によって平和を享受してきた私
たちが、その条約から眼を背けたまま憲法9条の価値だけを語
るのは欺瞞的ではないか? というのがぼくの立場だ。激変す
る世界情勢(中国の領海侵犯や北朝鮮のミサイル発弾など)の
なかで、日本の幾つかのムーヴメントが掲げるメッセージはあ
まりに”お花畑”であるし、世界各地の悲し過ぎる民族紛争のな
かにあって、まるで米国兵の血は流れても構わないけれど、日
本の自衛隊のそれは嫌だと駄々をこねる幼児のようにも映って
しまう。

我が国の自衛隊についてすら語れない不幸のことを思う。

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# by obinborn | 2016-09-21 18:39 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

9月19日の中村まり

19日は中村まりのワンマン・ライブを高円寺のGrainにて。
幾つかのイベントやワークショップへの出演はあったもの
の、東京での公演は約半年ぶりのことになる。何でも新し
いスタジオ・レコーディングとソングライティングに集中
したいとの理由だったが、いずれにしても、こうして久し
振りに中村の歌に触れられるのは嬉しい限り。変わってい
ないと言えば、いささかの変化もないのだろうが、そのぶ
ん毎朝の食卓に差し出されるパンやスープのように、感謝
の気持が小躍りするフィンガー・ピッキングとともに溢れ
出す。

”フィドルとドラムスとともに" そうサブタイトルが付け
られたように、今回は手島宏夢と田嶋友輔のサポートを伴
なったものであり、僅かに膨らみを増した演奏が頼もしい。
中村自身も普段より多めにバンジョー・チューンへ挑戦す
るなど、オールド・タイム色が全面に押し出されていく。
またポール・マッカートニーの「Let'em In~幸せのノック」
や、レオン・レッドボーンの「Shanpane Charie」といった
比較的モダンな楽曲を、砂埃舞うようなフォークやブルーズ
へと咀嚼するアレンジメントにも脱帽せずにはいられない。
まだレコーディングされていない中村のオリジナル新曲も幾
つか披露された。ライブの場で次第に鍛えられていったThro
gh My Heart Again、When the Days Is Over、Mockin'birdに
加え、この夜初めて披露されたInto the Cloudsはとくに秀逸
だった。

ブラインド・ウィリー・マクテルの戦前ブルーズ「Delia」を
取り上げる一方で、彼女のこうしたオリジナル曲群がどれも
洗練された響きを携えているコントラストが面白い。それは
現代っ子である中村の屈託のなさ故なのかもしれない。その
ようにして、彼女の歌は古いアメリカと現代の日本との間を
自在に往来する。昨日と明日との狭間で揺れ動いていく。

繰り返される毎日のなかで、この人は何を見つめ、どんなこ
とに思いを馳せているのだろう。そんな風に思わせるソング
ライターは、僅か数えるほどしかいない。中村まりは過去の
遺産を抱えながら、いわし雲のようなソングライティングに
自身を投げかけながら、これからも歩み続けていくのだろう。
そんなことを確信しながら、雨のなか帰路に着いた。

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# by obinborn | 2016-09-20 01:26 | 中村まり | Trackback | Comments(0)  

9月17日の青山陽一the BM's

いや〜、参った!あまりの素晴しさに終演後はあえてメンバー
たちと会話せず、余韻を反芻しながら一人帰路に着いた。そん
な青山陽一the BM'sのライブを17日は、沼袋のオルガンジャズ
倶楽部にて2時間たっぷり堪能した。青山(g,vo)以下、伊藤隆
博(org)、中原由貴(ds、cho)からなるトリオ編成としては、お
よそ一年半ぶりのお披露目だったが、ベースレスのオルガン・
トリオならではの丁々発止〜インタープレイの数々に息を呑ま
ずにはいられない。三人ともキャリアが長くそれぞれ卓越した
プレイヤーたちだが、この夜も互いを鼓舞し合っていくような
スリリングな連携に圧倒されっぱなしだった。

青山はバンド編成時に珍しく、シットダウン・スタイルでギタ
ーを抱えながら、キャノンボール・アドレイのMercy,Mercyを
オープニングに持ってくる。以降も自作のOdorelをインスト化
したり、中近東的なフレーズが混ざるMicro Waveを長尺ジャム
展開したり、レコーディング時にはスティール・パンに導かれ
ていた「停電」をオルガン・トリオならではのアレンジへと大
胆に改変するなど、新機軸がたっぷり。なかではダン・ペン作
のDark End of the Streetを、ライ・クーダーの『ショウ・タイ
ム』ヴァージョンに倣って、全編スライド・ギターで弾いてい
くという、ややマニアックなサーヴィスも。

それでもやはりトータルな印象として特筆すべきは、青山なら
ではのソングライティングのことだろう。何度も繰り返してき
て申し訳ない程だが、歌詞それ自体にもっともらしい主張を込
めるのではなく、彼は散文あるいは抽象に近い形で言葉を拾い
上げながら、もはや独壇場とも言える浮遊するような旋律と重
ね合わせてきた。青年期の憧れであっただろうロック(それを
介在にした)ブルーズやファンクのフォームを自分ならではの
語彙へと変換させてきた。本人は寡黙であり、けっして多くを
語ろうとしない。それでも私は、彼のなかで堆積していった歳
月のことを思わずにはいられない。

シットダウン形式で進められた17日のステージ。しかし終盤に
Friday RiderやJust One Noteが怒濤の如く固め打ちされる頃に
なると、青山は自然と立ち上がり、彼の最高の理解者である伊
藤と中原をフィーチャリングしながら、一気呵成に突き進んで
ゆく。むろん青山のギターの澄んだトーンが変わることはない。

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*写真は青山さんのウェブサイトよりお借り致しました。
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# by obinborn | 2016-09-18 02:02 | 青山陽一theBM's | Trackback | Comments(0)  

9月15日のサーディンヘッド

15日はサーディンヘッドのライブを下北沢のrpmにて。ワン
マンとしては5月26日以来だったが、たっぷり2時間彼らの
自由奔放な音世界を堪能した。とくにこの日はファンからあ
らかじめリクエストを募るというレアな趣向を凝らし、結成
してから16年めとなるサーディンの歩みを凝縮する内容にな
った。フロントの斎藤丈二も珍しくMCを多めに入れるなど、
オーディエンスへの感謝の気持が溢れ出す。

一言で長尺のジャム演奏といっても何も彼らはのんべんだら
りと時間を費やすのではなく、曲の骨格をがっつり束ねる部
分と、インプロヴィゼーションを広げていくパートとのメリ
ハリがとても鮮やか。キング・クリムゾンのような変拍子の
嵐で圧倒するかと思えば、ジェリー・ガルシアのように優し
くメロディックなラインを奏でていく展開もある。そんな緩
急自在に進んでいく時間に大いに酔った。メンバーたちの音
楽遍歴の一端なのだろう。第二部のFUSIONではラリー・カ
ールトンやジャコ・パストリアスのフレーズが飛び出すとい
う茶目っ気も。

言葉の不自由さに囚われることなく、オール・インストゥル
メンタルでサーディンはまるで抽象絵画のように世界を描い
ていく。そう、一人の青年が荒野に立ち尽くしながら、雨風
を凌ぎ、道の脇にある名もない花に心を寄せ、いつか来るだ
ろう暖かな季節を待ちわびているような。しかも彼らの演奏
は、聞き手それぞれが気楽に、自分だけの絵の具で白いキャ
ンバスを描いていけばいいんだよ、とでも言いたげな想像の
余地を残している。そうした自由に対して彼らは極めて寛大
だ。特定の誰かを英雄視したり、解りやすい敵を定めて糾弾
するようなことをサーディンの人達は一切しない。その尊さ
を思わずにいられない。終盤に演奏されたメロウなBLOW RI
PPLEの静謐さが心を捉えて離さなかった。

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# by obinborn | 2016-09-16 01:20 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

誰もが満たされない心を持っている〜ブルース・スプリングスティーン

今日(12日)は7月以来久し振りに自由が丘のバードソング・
カフェに行きました。この店のオーナーは旧友の梅澤くん。
店を開ける前に、彼と近くの居酒屋で互いの近況報告やこの
夏の参議院〜都知事選、あるいは自分たちの政治的な態度(
距離感)を徹底的に話し合いました。むろん梅澤くんとぼく
とでは日米安保や自衛隊に関する見解は微妙に違うのですが、
それでも彼と本音で話せて良かった。以降は彼の店に行き、
たっぷり音楽三昧。プチDJもやらせて頂いて、感じのいいお
客さまたちとも打ち解けることが出来ました。こういう時間
〜人と人との直な関係を築けるから、ぼくは音楽バー通いを
止められないのかもしれません。音楽にデータや情報ばかり
を求める聞き手の「心の貧しさ」に関しても大いに語り合い
ました。そもそも何故ぼくたちはロック音楽を好きになった
のだろうか? その答えはまさに砂を噛むように切なかった
り、自分の手元から崩れ去ったりするものなのかも知れませ
ん。それでもブルース・スプリングスティーンの「ハングリ
ー・ハート」を聴く時、ぼくは自分でもいつの間にか忘れて
いたり、ないがしろにしたり、粗末なまでに部屋の片隅に追
いやってしまった感情のことを、すぐに思い起こします。


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# by obinborn | 2016-09-13 01:45 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

歩道の割れ目にも薔薇の花は咲く〜ジャクソン・ブラウンとの会話から

「スパニッシュ・ハーレム」という歌があるよね?”歩道の割れ
目にも薔薇は咲く”というリリックは、人生は常に生まれ変わっ
ているということだ。若者はいつも、自分たちは傷付けられな
い。防弾チョッキを着ていると思いがちだ。向かっていって、
自分が持てる限りのものを試す。何よりあるのは若さというエ
ネルギーと熱意だけで、お金はそれほどないし、当然権力もな
い。でもちょっと考えてみようよ。人間というのは、恐ろしく
金持ちじゃなければ金を持っていない、大勢の人々に影響を及
ぼす権力を持っていなければ、権力を持っていないと思う傾向
にある。そうだろ? でも実際にはいろいろな形の権力があり、
裕福さがあるんだ。本当の権力、真の豊かさを探すことが出来
たら、どんなに世界のためになることだろう。

(94年4月:ジャクソン・ブラウンと筆者のインタヴューから)

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# by obinborn | 2016-09-11 20:50 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

南部ロケーションを好まなかったヴァン・モリソン

ヴァン・モリソンで寛ぐ日曜日の午後。彼のアルバムはすべて
持っているけれど、最も思い入れがある一枚といえば、ぼくの
場合71年の『ストリート・クワイア』だ。前作『ムーンダンス』
の評価が高かったせいか、陰に隠れがちで損をしている作品だ
が、土臭くダウンホームな魅力に溢れているといった意味では
屈指の出来映えではないだろうか?当時のヴァンはニューヨーク
郊外のウッドストックに暮らしていて、ザ・バンドの『カフー
ツ』に参加するなど彼らとの交流も見逃せない。本作ではジョ
ン・プラタニア(g)を始めとするバック・バンドとの関係が、
理想的なまでに示された。

ところで、ふと思ったのだが、ヴァン・モリソンにいわゆる南部
録音のアルバムがないのは、実に不思議な気がする。英国圏に限
っても、ルルやダスティ・スプリングフィールド、さらにはフラ
ンキー・ミラーやロッド・スチュワートらが南部に向かうのは当
時一大トレンドだったけれど、ことヴァンに限っては、そうした
サザン・コネクションを築いたアルバムはない。そう、見事なく
らい一枚として。彼のキャリアのなか最も泥臭い77年の『安息
への旅路』でさえ、ドクター・ジョンやオリー・E・ブラウンと
いったアクの強い演奏者を迎えつつも、レコーディング自体は
西海岸(ロス)で行われている。

ヴァン自身がそうした”南部録音”のブームをどう思っていたかは
知る術もないが、ソウルフルな歌唱を誇りながらも、そうしたロ
ケーションを好まなかった(もしくは無頓着だった?)点に、
ぼくはヴァンならではの生き方と哲学を感じる。つまり形から入
るブルーアイド・ソウル歌手はごまんといたが、彼はそれを善し
としなかったのだ。たとえ無意識であったとしても。

そうした意味でも北アイルランドに生まれたこの”ベルファスト・
カウボーイ”の道のりは特殊だったのだろう。気難しさやエゴと
も大いに関係する。それでも今こうして振り返ってみると、安易
な南部ロケーションに頼らず、己の音楽を見つめ続けたヴァンの
鼓動が伝わってくる。多くの”ブルーアイド・ソウル”歌手たちは
やがて失速していった。かつての輝きを取り戻した人は殆どいな
い。そうした事実を振り返ればなお一層、ヴァン・モリソンの心
の強さを思わずにはいられない。

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# by obinborn | 2016-09-11 13:32 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

パブロック・ナイト、大盛況のうち終了しました! 

10日は渋谷のTANGLEにてパブロック・ナイトが開催されま
した。何と40名越えの大盛況!いや〜楽しかったです!コー
ディネイトしてくださったHさん、DJ諸氏、TANGLEのマイ
ケルさんとみおさん、そして何よりも来て頂いたお客さま、
本当にありがとうございました!お陰様で私は◎歳最後の夏
をしっかり締めくくることが出来ました。またお会いしましょ
う!以下私のプレイリストです。

*    *    *

SKEETER DAVIS&NRBQ/いつか王子様が
NRBQ/RIDIN' IN MY CAR
ELVIS COSTELLO/THE OTHER SIDE OF SUMMER
NRBQ/IF I DON'T HAVE YOU
JOE TEX/IF SUGAR WAS AS SWEET AS YOU
FABULOUS THUNDERBIRDS/(YOU AIN'T NOTHIN' BUT) FINE
FLAMIN' GROOVIES/MISERY
ELVIS COSTELLO/GETTING MIGHTY CROWDED
KOKOMO/FOREVER
ROCKPILE/NOW AND ALWAYS
NICK LOWE/I LOVE THE SOUND OF BREAKING GLASS
NICK LOWE/I KNEW THE BRIDE(WHEN SHE USED TO R&R)
NICK LOWE/CRUEL TO BE KIND

〜ONE MORE MILE TO GO〜

GRAHAM PARKER& THE RUMOUR/KANSAS CITY
EDDIE& THE HOT RODS/GLORIA〜SATISFACTION

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# by obinborn | 2016-09-11 01:39 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

クレイグ・ナッティカム、78年

イーグルスとケンカ別れした後のグリン・ジョンズの動きを
見ていくと、フェアポート『ライジング・フォー・ザ・ムー
ン』フールズ・ゴールドのデビュー作、ロン・ウッド&ロニ
ー・レインのサウンドトラック『モハニー最後の戦い』など、
グリンらしい仕事を取り戻したことに気が付く。クラプトン
のキャリアに沿って言うならば『スロウ・ハンド』と、それ
に続く『バックレス』といった、世間ではあまり評価されて
いないアルバムに尽力したのが、グリンその人であった。
グリンはイーグルスを脱退したバーニー・レイドン絡みでは、
バーニーがジョニー・リヴァース・バンド出身のマイケル・
ジョージデアスとのデュオ作『ナチュラル・プログレッショ
ンズ』(77年)へと全面的に協力している。やや時代は後に
なるものの、ジョン・ハイアットの『スロー・ターニング』
で、バーニーのバンジョーやリゾネイターやマンドセロを登
用したのも、まさにグリンの力量に他ならなかった。

そうした一連の動きを俯瞰していくと、クレイグ・ナッティ
カムのソロ第一作『イッツ・ジャスト・ア・ライフタイム』
(78年 A&M)でのグリンの采配が、すごく愛おしくなって
くる。ランバート&ナッティカムのデビュー作『アット・
ホーム』を録音するために、サンフランシスコのソウサリー
トにあった彼らの自宅でテープを回していたエンジニアが、
この『ライフタイム』アルバムでは、もう少しリズムのヴァ
リエーションを取り込みながら、クレイグの陽だまりのよう
なソングライティングへと寄り添っている。その演奏には
フェアポートのデイヴ・ペグがいた。エイメン・コーナー〜
フェアウェザー出身のアンディ・フェアウェザー・ロウがい
た。そしてあのジョージィ・フェイムが秘めやかに、さり気
なく木漏れ陽のようなエレクトリック・ピアノを弾いた。

何しろ自作の「サンシャイン」にまで、クレイグ・ナッティ
カムはスティーヴィー・ワンダーの「ユーアー・ザ・サンシ
ャイン・オブ・マイ・ライフ」の一節を引用するほど。その
心映えのようなものが、人々を捉え、歌を明日へと携えてい
ったのだろう。クレイグが歌う「サンシャイン」を聞く度に、
ぼくは雨に打たれる旅人たちのことを思わずにはいられない。

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# by obinborn | 2016-09-09 07:06 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

グリン・ジョンズとイーグルスの関係を考えてみた


グリン・ジョンズの自伝『サウンド・マン』はもうお読みに
なられただろうか?最初期のキャリアがジョージィ・フェイ
ム『フラミンゴ』やストーンズ『デッセンバー』の録音技師
だったというこの超ベテランのプロデューサー&エンジニア
の最高傑作はザ・フーの『ネクスト』だとぼくは思っている
が、本国イギリス以外にもスティーヴ・ミラー・バンド、同
バンド出身のボズ・スキャッグス、ちょっと渋いところでは
フォーク・デュオのランバート&ナッティカムなど、アメリ
カ西海岸の才能にも目を向けている。そして何と言ってもイ
ーグルスとの出会いがグリンの名声を高めた。かつてビート
ルズ『レット・イット・ビー』を制作担当するという名誉に
恵まれながらも、フィル・スペクター版のそれに差し替えら
れる屈辱を味わったグリンにとって、それはまさに名誉挽回
の機会だったはず。

『ファースト』『ならず者』とイーグルスと協調関係にあっ
たグリンだが、彼らのサード・アルバム『オン・ザ・ボーダ
ー』(74年)では、突如メンバーたちから降板を告げられる
という悲劇にまたしても見舞われてしまった。新たにリード
・ギタリストとしてフロウ出身のドン・フェルダーを迎え、
ロック・バンドとしてのグルーヴ強化を図ろうとしたイーグ
ルスの思惑と、彼らからどこまでもアクースティックな良さ
を引き出そうとしたグリンの感情の行き違いが、アルバム制
作中の途中降板に繫がったと、一般的には伝えられている。
ご存知のように以降イーグルスはジェイムズ・ギャングなど
を手掛けていたビル・シムジクをプロデュースに迎えながら、
黄金時代を築いていく。 元々はジェイムズ・ギャングのメン
バーだったジョー・ウォルシュまで加えつつ、エレクトリッ
ク・パートを強化していったのだから、まさに陰にシムジク
ありきだったのかもしれない。この『オン・ザ・ボーダー』
(考えてみれば意味深なアルバム・タイトル!)では、全10
曲のうち、シムジクの制作担当は8つ、グリンの関与は「恋
人みたいに泣かないで」と「ベスト・オブ・マイ・ラヴ」の
2曲に留まってしまった。

思えばぼくがリアルタイムで接したロック・アルバムに於い
て、「プロデューサーによってこんなに音が違うんだ!」と
実感したのは、この『ボーダー』が初めてだったかもしれな
い。筆者はフェルダーもウォルシュも大好きだった。それで
も、やがてバンドからレードンが去り、マイズナーが77年の
ツアーの途中で離脱するといった光景をやがて目撃していく。
バンドは成長する。音楽性が変化する。ときにメンバー交代
も残酷なまでに辞さない。そんな事情に一定の理解を示しな
がらも、わだかまりは残ってしまう。

ちなみにグリン・ジョンズは『サウンド・マン』のなかでこ
う回想している「私はイーグルスの『悲しみの我ら』〜Most
Of Us Are Sadが好きだった。彼らの良さはまさに四人のハ
イ・ハーモニーにあったと思っているよ」正直な人だな、と
思う。グリンならではの音楽観がきちんと伝わってくる。い
ずれにしても、74〜75年辺りはアメリカン・ロックに於ける
変革の季節だった。『オン・ザ・ボーダー』を夏の終わりの
夕暮れ時に聞いていると、まるで古傷のような痛みを覚えず
にはいられない。

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# by obinborn | 2016-09-08 19:15 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

また一緒にダンスしようぜ、ジョージィ・フェイム!


ジョージィ・フェイムに取材で会ったのは92年と07年の2回。
60年代前半のソーホーの様子や好きなR&B/ジャズ、ヴァン・
モリソンのことなどを話してくれた。わけても「ブッカー・T
のGreen Onionを聞いてぼくはハモンド・オルガンを始めた
んだよ」という回想にはジ〜ンと来た。サインを貰ったのは
『Fame At Last!』選曲はレイ・チャールズ、フィフス・ディ
メンション、メジャー・ランス、ジミー・マグリフ、ゴフィ
ン=キング、ジョー・ヘンドリクス、ジョー・リギンス、マ
ーヴィン・ゲイ、MG's、マディ・ウォーターズ、キング・
プレジャーと、センスの良さがすべて出ている。また彼の場
合ヴォーカルが弱いという意見もあるが、逆に言えばヴァン
やバードンのようなシャウター・タイプではなかったからこ
そ、クラブ・サイズならではの趣味の良さを出せたのだと思
う。フェイムが再ブームになったのは90年代のモッズ・リヴ
ィヴァル以降だと思う。ぼくはモッズという風俗・ファッショ
ンよりも、彼らの聞いていた音楽のほうに興味があったので、
フェイムやスモール・フェイシズを通して、R&Bやスカやジャ
ズを掘っていくのが楽しくてしょうがなかった。

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# by obinborn | 2016-09-08 19:10 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

グラム・パーソンズと私

朝方雨が降ったこともあって過ごし易い一日でした。今日の一枚
はグラム・パーソンズの『Grievous Angel』(Reprise 74年)で
す。ザ・バーズ〜フライング・ブリトー・ブラザーズを経た彼が
ようやく個人活動へと踏み込み、本格的なホンキー・トンク・カ
ントリーに取り組んだソロ2枚めでしたが、残念なことに本作が
オリジナル・アルバムとしては遺作になってしまいました。そう、
このレコーディングが終了した後、グラムはドラッグ過剰摂取に
よって、若くしてこの世から去ってしまったのです。

グラムに関しては今までそれなりの分量の原稿を書いてきました
のでここでは彼のキャリアを繰り返しません。その代りにグラム
に関する個人的な思い出を少々。確か78年前後のことだったと思
います。ニューミュージック・マガジンの別冊に当時『死者のカ
タログ』があり、そこでは今は亡き音楽家の業績を特集していま
した。その本のなかで(ぼくの記憶が正しければ)北中正和さん
が書かれていたグラムの記事が妙に心に引っ掛かり、以降彼の音
楽に夢中になったのでした。ブリトーズで苦楽を共にしていたバ
ーニー・レイドンが、イーグルスの『On The Border』(Asylum
74年)収録の「マイ・マン」をグラムに捧げたこと、ザ・バーズ
在籍時にツアーで渡英したグラムが、キース・リチャードと親交
を重ねていたことも大きな要因でした。

ぼくが中古盤という存在を知り、生まれて初めてグラムのLPを江
古田のおと虫で購入したのもその頃のことでした。今でもよく覚
えています。お店の兄ちゃんに「新品もあるけど、どっちにする
?」と尋ねられたことを。その頃から長い歳月を経た今なお、ぼ
くはそのLPを大事にしています。たとえCD化されても、更にリ
マスターCDが発売されても、US.Originalの骨太い音の前ではす
べてが霞んでしまうのでした。

そんな音質面のことはともかく、ぼくはグラムが遺した言葉にも
影響を受けました。そう、彼は生前こんなことを語っていました
「カントリーを知らないロック・ファンにカントリー音楽の良さ
を知って欲しい。ロックを知らないカントリーのファンにロック
の楽しさを伝えたい。それはきっと学生とトラック・ドライバー
を同じ会場に集め、互いを対話させることのように大変なことか
もしれないけれど」

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# by obinborn | 2016-09-07 18:24 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

夕暮れとマディ


猛暑の戻りのせいか、今日は一瞬立ちくらみになり頭が真っ白
になってしまいました。そんな疲れをマディで癒す夕暮れは最
高に幸せ。とくにこの『SINGLES 1955〜1959』はヒット曲ば
かりを集めているので、当時のサウスサイドのジュークジョイ
ントでマディの曲に合わせてダンスしていた人々のことを容易
に想像出来ます。やれ音楽に於ける構造主義からの脱却とか、
やれポスト・モダン以降のオーネット・コールマンとかいった
屁理屈を言う前に、「あんたマディをゲップ出るまで聞いたこ
とあんの?」と問い質したいようなクソ同業者は多いです(笑)
さあ、マディのSUGAR SWEETとともに私の夕暮れが始まりま
す。

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# by obinborn | 2016-09-06 17:52 | blues with me | Trackback | Comments(0)  

『シンゴジラ』に関するメモなど

遅ればせながら本日『シンゴジラ』をユナイテッド豊島園で
鑑賞しました。見終わった後まず思ったのは「うわあ〜、こ
りゃ左も右もまたそれぞれ勝手なこと言い出すぞ!」という
ことでした。左派はフクイチはこんなもんじゃないとか自衛
隊をアピールし過ぎとか解釈するだろうし、右派はゴジラの
存在に中国という大国の脅威を重ね合わせるかもしれません。
そうした想像は個人の自由の領域です。私が普段から言って
いるように音楽や映画といったアートは本来中立的な性格で
あり、政治を止揚(アウフヘーベン)するものですから。

非常時に於ける人々の戸惑いや政府の命令系統の混乱は確か
に東日本大震災を容易に思い起こさせます。また主人公が中
盤に呟くように、対米追随的な日本という国家のあり方も考
えさせられます。個人的には日米安保が戦後の日本の平和を
均衡的に保ってきたと考えてますが、勿論「いや違う。オビ
など人間のクズだ!お前など死んでしまえ!憲法9条こそが
平和の象徴なのだ」と主張される方々もいらっしゃるでしょう。

話が難しくなってしまいました(笑)『シンゴジラ』はまず
一大スペクタル巨編として楽しむのが先決だと思います。た
だ初代ゴジラが当時の水爆実験をメタファーにしていたのと
同じく、シンゴジラもまたこの時代(新安保法制の可決や自
衛隊の戦闘地域の容認)に、生まれるべく生まれました。

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# by obinborn | 2016-09-01 16:52 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

自宅DJを〜60分7'sのみで20曲!

今日の夕方は60分一本勝負で、7'sのみ20曲回してみました!
究極の自宅DJを爆音で(笑)以下プレイリストです。

Young Rascals/Good Lovin'
The Band/Up on the Cripple Creek
Beatles/I Saw Her Standing Their
Lonnie Mack/Memphis
Sam Cooke/Shake
Dr.John/Such a Night
Coasters/I'm a Hog For You
Coasters/Yakety Yak
Tony Joe White/Polk Salad Annie
Marvin' Gaye/I'll Be Doggone
Miracles/Going To a Go-Go
Jackie Moore/Precious,Precious
Jimmy Hughes/Steal Away
Chuck Willis/(Don't Hang Up)My Rock'n Roll Shoes
Clarence Carter/Snatching It Back
William Bell/Everyday Will Be Like a Holiday
Don Covay/ See Saw
Don Covay/Take This Hurt off Me
Al Green/Sha La la (Makes Me Happy)
Patti Drew/Workin' on a Groovy Thing


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# by obinborn | 2016-08-30 19:16 | one day i walk | Trackback | Comments(2)  

ジョン・フォガティ、大地の匂い。

ジョン・フォガティを近作アルバムまで、すべて追いかけている
人ってどのくらいいるんでしょうか?ぼくは実は脱落組で、少し
前にリリースされたセルフ・カバー集もまだ聞いていないという
体たらく。それでも09年の『ライズ・アゲイン』はたまにクリー
デンスのレコード棚から取り出したりしています。彼にとっては
73年の『ブルーリッジ・レインジャーズ』以来、およそ36年ぶり
のカントリー・アルバムであり、自作曲にこだわらず、バック・
オウエンズやウェブ・ピアスといった大御所から、ジョン・デン
バーのBack Home Again、ジョン・プラインのParadiseといった
カントリーと隣近所のシンガー・ソングライターまで幅広く取り
上げています。こりゃ、アメリカの片田舎にあるジューク・ジョ
イントにぴったりの選曲だなあ〜。

とくに嬉しかったのはリッキー・ネルソンのGarden Partyかな。
72年の9月に全米ポップ・チャートの6位へ登り詰めたこの曲に、
フォガティはドン・ヘンリーとティモシー・B・シュミットのコ
ーラスを付けます。さらにデラニー&ボニー作のNever Ending
Song Of Loveや、エヴァリー・ブラザーズのWhen Will I Be Lov
edへと連なっていくからもうたまらんです。また演奏陣では今
をときめくバディ・ミラーgやグレッグ・リーズsteel.gといった
アメリカーナの新世代が、まったく違和感なく溶け込んでいると
ころに、つい感じ入ってしまったり。

思えばカントリー音楽特有のバタ臭さが苦手だったぼくを、い
つの間にかカントリーの世界に誘ってくれたのがクリーデンス
でした。思いっきりブルージーなスクリーミン・ジェイ・ホウ
キンスのI Put A Spell On Youや、デイル・ホウキンスのSuzie
Qの悪魔的ギター・ソロの一方、彼らはフォガティの自作Lodi
でワンナイト巡業を繰り返す音楽家の悲哀をカントリーのメロ
ディに託しました。先のリッキー・ネルソンに従えば、彼の61
年曲Hello Mary Louを選曲し、ケレン味ないアレンジで堂々と
演奏しました。

ブルーズとカントリーというアメリカ音楽の水脈を見渡す。そ
のことに少しも躊躇しない。何故ならそれはジョン・フォガテ
ィという男の生命線だから。時流におもねることがないという
意味では、レヴォン・ヘルムがそうだったように、今日もフォ
ガティはアメリカーナのまま、大地に立ち、夕暮れを見つめ、
今夜もまたステージに立ち、人々の阿鼻叫喚をそのまま受け止
めていきます。

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# by obinborn | 2016-08-25 17:31 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

不幸な国に断層ばかりが積み上げられていく

日刊ゲンダイとかリテラといったメディアは基本「反権力」の
為ならあることないこと何でも書きまくるというスタンスなの
で、ぼくは全く信用していません。ゲンダイなどは民主党に政
権交代した時も鳩山や管や野田をボロクソ叩いていたから、け
っして自民〜アベ憎しに限らないんですよ(笑)昔からゲンダ
イに一貫しているのは「社会の木鐸たる大新聞・マスコミは何
をやっているのか!」というスタンスを、せいぜい二流の学者
と大学教授のコメントで補完する誌面作りで、綿密に取材する
チームなど持ってないから、せいぜいサラリーマンの鬱憤払し
〜ガス抜き程度に終始してしまっています。

後進のリテラもまったく同じ。五輪閉会に関する記事も醜かった
なあ〜。とにかく彼らには「アベ叩き」しか念頭にないから、
始めから結論ありきの恣意的な文意にならざるを得ないんです。
確かにアベちゃんのマリオ化〜土管を潜っての華々しい登場は
極めて悪趣味でやり過ぎとぼくも思いました。しかし、オリン
ピックの次期開催国として日本の首相が、アスリートたちから
バトンを繋ぐというのはフラットに見ればごく自然なセレモニ
ー。そこに過剰な政治色を読み取るリテラの”妄想”こそ、メディ
アとしての客観性に欠けるのでは?

そりゃ”アンダーコントロール”されているらしい原発事故の処
理もままならない我が国の状況でネガティブな感情に駆られる
気持は解ります。五輪に膨大な費用を掛ける金があるなら被災
地へというメンタリティもごく一般的なものでしょう。しかし
ながら、決定した東京五輪にことさら否定的な言葉ばかりを連
ねるのが何かの解決になるとは、ぼくにはとても思えない。一
国の首相が自国のアスリートたちをねぎらうのは、血の通った
人間通しの当然の感情です。それはアベを好きか嫌いかという
以前の問題なんだよね。今日もまた世間がリベラルと保守との
間で分裂している。互いを罵る言葉は際限なく続き、けっして
歩み寄ることはありません。

ぼくたちはこんな不幸な国で互いの断層ばかりを築き上げてい
る。

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# by obinborn | 2016-08-23 17:47 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

ロジャー・ティリソンとフォー・トップスの不思議な関係

フォートップスのモータウン・ナンバー(作曲はスティーヴィ・
ワンダー)を何故スワンパーのロジャー・ティリソンがカバーし
たのかは長年の謎だった。それでもロジャーと親交があったザ・
バンドのリック・ダンコが憧れたベーシストはモータウンのジェ
イムズ・ジェマーソンであり、ザ・バンドはマーヴィン・ゲイの
「ドント・ドゥ・イット」を好んで演奏してた。また『ロック・
オブ・エイジズ』の拡大版では、遂にフォートップスのこの曲を
演奏する彼らの姿を確認することが出来た。となると、ジミー・
マーカム・タルサ・レビューが解散してからのロジャーが、同バ
ンドにいたリヴォン・ヘルムの誘いでウッドストックに移り住ん
だ頃、ザ・バンドの連中とフォートップスやマーヴィン・ゲイの
曲を練習していた微笑ましい姿が見えてくる。

ザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト」について作者のロビー・ロバ
ートソンはこう述懐している「ぼくはあの曲でカーティス・メイ
フィールド(当時インプレッションズ)のギター・リックを真似
した。それをステイプル・シンガーズ風のゴスペル・ソングと結
び付けてみたのさ」このような優れた折衷感覚が、ロックという
雑食音楽の胆だと思う。ともすれば泥臭いと語られがちなザ・バ
ンドの音楽だが、インプレッションズやフォートップスのノーザ
ン・ソウルの隠し味を忘れてはなるまい。そもそもリック・ダン
コのよく弾むベースは、ダック・ダンの寡黙なそれとは対照的に
メロディックな輪郭を描くものだったから。

当初はロビー・ロバートソンがプロデュースする予定だった『
ロジャー・ティリソン・アルバム』(70年)に収録されたフォ
ートップスのLOVING YOU IS SWEETER THAN EVERは、ボビ
ー・ブルースのフィドルとジェシ・エド・ディヴィスのバンジョ
ーによって半ばブルーグラス化されている。それでも豊かなリズ
ムの彩りに心を奪われる。自分のなかで勝手に線引きしていた南
部と北部の地図が、一瞬にして塗り替えられる。それは筆者にと
ってあまりに鮮烈な体験だった。

メイコン一帯で鳴らしていたグレッグ・オールマンが、ファース
ト・ソロ『レイドバック』で、東海岸で注目され始めたバジー・
フェイトンをギターに起用したこと。ヤング・ラスカルズを範に
したと思しきイングイ兄弟のソウル・サヴァイヴァーズが、マス
ル・ショールズ詣をしつつも、新たにフィラデルフィアのシグマ
・スタジオへと活路を見出していったこと。ロジャー・ティリソ
ンとザ・バンド周辺には限らない。ウィルソン・ピケットがそう
だった。アーチ・ベル&ザ・ドレルズがそうだった。多くの南部
人がノーザン・ソウルにも心開いていった。その化学反応(ケメ
ストリー)こそは、従来の音楽地図をどんどん書き換えていった。


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# by obinborn | 2016-08-21 18:55 | one day i walk | Trackback | Comments(2)  

ロジャー・ティリソンwithラリーパパのライブ盤に寄せて

ラリーパパのマネジャーをなさっている柳本さんが『ロジャー
・ティリソンwithラリーパパ』のサンプルCDを送ってくださっ
た。そう、ロジャーが03年の6月に来日公演を行った際のライ
ブが時を経て遂に音源化されることになったのだ。今こうして
聞いていると、当時自分が会場に行かなかった(行けなかった)
ことが悔やまれる。オクラホマの砂埃に吹かれたようなロジャ
ーの塩辛くザクザクしたギターの弾き語りは、彼が地元で普段
行ってた素の演奏を想像させるほど。「こんばんは。私はジョ
ニー・キャッシュです」とジョークのMCで始まり、オリジナル
に交えてエルヴィス・プレスリーの「ミステリー・トレイン」
やリトル・ウィリー・ジョンの「オール・アラウンド・ザ・ワ
ールド」を歌っていく姿が、40年代生まれの南部人そのままを
気取りなく伝えている。

もうひとつの大きな価値は、セカンド・ステージで日本が誇る
ラリーパパ&カーネギーママが、ロジャーのバックを務めたこ
とだろう。彼らの実力は狭山のハイドパーク・フェスやマーク
・ベノの来日公演時にぼくも感銘を受けたが、ここでのロジャ
ーのサポートも心が籠った清々しいものであり、いかに彼らが
ロジャーやスワンプ・ミュージックを愛しているかを感じるこ
とが出来る。とくにザ・バンドでお馴染みの「ゲット・アップ
・ジェイク」やジェシ・エド・ディヴィスのヴァージョンが細
胞のように染み込んでいる「ロックンロール・ジプシーズ」が
奏でられる頃には涙腺がウルウルしてしまった。当時会場にい
らっしゃった方々なら、なおさらに違いない。ちなみにラリー
パパの演奏を気に入ったロジャーは、こんなエピソードを語っ
ている「彼らはまるで私の息子たちのようだ。ラリーパパを連
れてアメリカに帰りたい」

悲しくもロジャーの死去によって、その夢は永遠に果たされな
い約束、傷だらけの片道切符、架けられることのない橋になっ
てしまった。しかし、それでもこの『ロジャー・ティリソンwi
thラリーパパ』が今秋(9/25)リリースされる運びになったこと
を喜びたい。ぼくたちは大きな存在を失ってしまった。それで
もロジャーの音楽は、暮らす土地や人種の違いを軽く飛び越え
ながら今日も胸を焦がしていく。それがタルサのジューク・ジ
ョイントであれ、梅田の呑み屋であれ。そしてラリーパパたち
は、今日も夢の跡地を追いかけてゆく。それが証拠に彼らの全
国ツアーはこの10月から始まる。

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# by obinborn | 2016-08-19 17:48 | one day i walk | Trackback | Comments(0)  

AORと私の交差点

『レココレ』最新号のAOR特集を興味深く読んだ。スワンプが
看板?のぼくとAORとでは相性が悪いと思われている方がいら
っしゃるかもしれないが、名盤ガイドのなかには自分の愛聴盤
もある程度の枚数があり、AORというジャンルが元々はシンガ
ー・ソングライターのアップデイト版だったと思い至った次第。
以前もここで金澤氏と話したように、ジェイムズ・テイラーや
ネッド・ドヒニーといった黒人音楽の素養があるSSWの場合は、
ブルーアイド・ソウルの発展形として楽しむことも出来よう。
彼らに特有のハネ〜シンコペーションの感覚こそ、優れたAOR
の証。そういう意味ではR&Bを根っ子に持つボズ・スキャッグ
スが時代とともに洗練されていった歴史にAORが凝縮されてい
る。リズムに対して自覚的だったという意味では、フィービー・
スノウやポール・サイモンも先駆的な存在だっただろう。

これまでヘッド・アレンジでのんびりとやっていた人たちが、
70年代の中盤を過ぎた辺りから、音楽産業のスピード化によっ
て効率が求められていく。そういう意味では譜面が読めないタ
イプは次第に淘汰され、スコアに対応出来るスタジオ・ミュー
ジシャンたちへと徐々に世代交代していったのかもしれない。
だからAORを深く愛する人でも、AORを基本的にはスタジオ・
ミュージックと認識されていることが腑に落ちるのだった。そ
れはグレイトフル・デッドがジャム演奏に価値を求めていった
姿とはどこまでも対称を描く光景に違いない。

個人的にはロビー・デュプリーやマイケル・マクドナルドのリ
フが広く流布され、使い回されるようになった頃からAORがつ
まらなくなったと感じている。これは何もAORに限った現象で
はなく、多くのポップ音楽が二匹めのドジョウを狙うという悪
癖から逃れられないわけだけど…それはともかく、ぼくが最良
のAORとして思い浮かべるのは、マーク・ジョーダンの『マネ
キン』(78年)だ。スティーリー・ダンを育てたゲイリー・カ
ッツのプロデュースなれど、スティーリー色は巧妙に避けられ、
あくまでジョーダンのソングライティングを活かすべく、TOT
O周辺のプレイヤーが控えめで含蓄ある演奏に終始する。そん
な知的なエレメントが好きだった。どこかの誰かを糾弾するの
ではなく、ただ虚ろに漂うジョーダンの歌に心を寄せることが
出来た。そんな風に感じた日々がまるで昨日のようだ。

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# by obinborn | 2016-08-17 17:27 | one day i walk | Trackback | Comments(1)  

一拍のニュアンス

オンとオフしか選択ぜず中間は排除。このように行間が読めなく
なった背景には、即時性が強く、しかも匿名で物を言えるネット
の影響があるのだろう。まともな人間であれば、その人が総意と
してどういうことを言いたかったのかを汲むものだが、文脈を無
視してワンフレーズのみに反応しジャッジし、果ては炎上へと持
ち込む風潮が当たり前になってしまった。そういう意味では昨日
挙げたミスチルの桜井さんがおっしゃるように「人々は解り易い
ドラマを求め過ぎている」のかもしれない。そこから零れ落ちて
しまう逡巡のほうが遥かに大事なのにもかかわらず。

行間を音楽に置き換えてみよう。私達は通常意識せずとも裏拍と
いうものを感じている。フリーの「オールライト・ナウ」のドラ
ムスが好例だと思うが、頭一拍を抜かすサイモン・カークに譜面
では表現出来ないタメを発見し、それがいわゆるグルーヴの根源
となるのだ。ビートルズの「抱きしめたい」やストーンズの「ブ
ラウン・シュガー」のイントロを聞いてみよう。ジョンにせよ、
キースにせよ、頭の一拍を深呼吸するように念頭に置きながらも、
実際のギター・カッティングは裏拍から入っている。それを感じ
るか感じないかで、それぞれの曲に関する理解はまるで違ってく
るはず。行間を読めない人は、きっと裏拍のニュアンスや醍醐味
は解らないのだろう。まして旋律というAA'BA形式でなく、モー
ド(旋回)のなかで音楽を捉えたマイルズ・ディヴィスやスティ
ーヴ・ウィンウッドの”圧倒的な自由”など、耐性がないだけに「
難しい〜」の一言で済ませてしまう恐れがある。

インスタントな会話から濃密な関係が生まれないように、譜面ば
かりを追いかけていても、けっしてグルーヴは生まれまい。その
ことを胆に命じておきたい。

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# by obinborn | 2016-08-17 13:14 | one day i walk | Trackback | Comments(2)  

ウィルコ・ジョンソンは帰っていく故郷のことを考えさせる

ウィルコとロジャーの『GOING BACK HOME』(2014年)を
LP盤で入手!リー・ブリローと喧嘩別れした後はずっと自ら歌
ってきたウィルコが、やっと本格的なヴォーカリストと出会え
たという意味で、本作はエポックだった。まるで溶接工のよう
にタフなロジャーの歌を得て、ウィルコのマシンガン・ギター
も水を得た魚のよう。二人の出会いは英MOJO誌の授賞式での
こと。むろんそれまでも互いを認識していただろうが、二人は
「お前もR&Bが好きなだけやん!」とすぐさま意気投合したら
しい。アルバムの主旨はウィルコのこれまでのキャリアを振り
返るもので、フィールグッド時代からソロまでの代表曲がリメ
イクされ、そこにウィルコ永遠のアイドルであるボブ・ディラ
ンの「窓から這い出せ」が加わる。また本作での演奏は盟友ノ
ーマン・ワット・ロイbにディラン・ハウdsと、あくまでウィ
ルコ・ジョンソン・バンド主導で録音されている。当時末期の
癌と宣告された(のちに誤診と判明)ウィルコの気持を汲めば、
まるで自分の家族のように、長年苦楽を共にした仲間と最後に
なるかもしれないレコーディングに臨んだのは当然の選択だっ
たろう。わずか2年前のこととはいえ、そんなことひとつひと
つを思い出しているうちに胸が一杯になってくる。アルバムが
Going Back Homeに始まり、All Through The Cityで終わると
いう構成が実に泣かせる。つまりドクター・フィールグッド最
初期のナンバー2曲を最初と最後に据えることで、ウィルコが
青年期を駆け抜けたフィールグッズへのオマージュになってい
るのだ。その想いが聴こえる人にはちゃんと届くことだろう。
付属されたブックレットにはウィルコとロジャーそれぞれの若
き時代の写真が添えられている。私がザ・フーの『ライヴ・ア
ット・リーズ』に夢中だった頃、あるいはフィールグッズの登
場に衝撃を受けた頃、まさか二人が21世紀になってから心を通
わせ、新たな名盤を産み落とすとは想像も出来なかった(長生
きはするものだ)片やスタジアム・ロッカー片やパブ・エリア
と、ロジャーとウィルコでは置かれた環境こそ異なるものの、
費やされた長い歳月の間にもたらされた寛容な心が、この二人
をしっかり結び付けた。まるでブリティッシュ・ロック50年の
歩みを凝縮するかような『GOING BACK HOME』は、私に帰っ
ていく場所や故郷のことを思い起こさせる。

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# by obinborn | 2016-08-12 17:55 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)  

言葉は言霊(ことだま)です

今年前半の報告:77枚の音源(LP/7's/CD)を買い、18回のライブ
に行き、31冊の本を読みました。お誘い頂いたDJは7回でこれも
嬉しかったです。あと大阪に二度ほど出張して自分がけっして嫌
われていないのを確認出来たことは大きかったですねw 逆に反省
しなきゃいけないのは、愚痴が多くなってしまったこと。夜9時
を過ぎるとすぐ眠くなってしまうこと(笑)

言葉は言霊(ことだま)です。ネガティブな見解を言い連ねてい
くと人は去っていきます。でも何か少しでも自分の心を震わせる
ものに気持を寄せた時、人々が笑みとともに集まってきます。ぼ
くはSNSから、少なくともそのことを学びました。こんな不完全
な私ですが、今後ともよろしくね!

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# by obinborn | 2016-08-09 17:21 | one day i walk | Trackback | Comments(2)  

8月7日はパブロック・ナイトのリハでした!

7日は渋谷のバーTANGLEにてパブロック・ナイトの公開リハー
サルでした! TANGLEさんは今日初めてお伺いしたのですが、気
さくなみおさんとマイケルさんのお陰ですっかり打ち解け、ぼく
はビールを6杯も飲むほどでした。リハとは言えDJ諸氏は皆気合
い入りまくり!負けていられないなあ〜(笑)以下ぼくのプレイ
リストです。写真はみおさんと。

DAVE EDMUNDS/CRAWRING FROM THE WRECKAGE
DUCKS DELUXE/LOVE'S MELODY
FLAMIN' GROOVIES/BLUE TURNS TO GREY
EDDIE& THE HOTRODS/THE KIDS ARE ALRIGHT
DR.FEELGOOD/WATCH YOUR STEP
NICK LOWE&LOS STRAIGHTJACKETS/HALF A BOY& ...
GERAINT WATKINS/MOUSTIQUE
(B TO B)
DAVE EDMUNDS/SHOT OF R&B
NICK LOWE&LOS STRAIGHT JACKETS/RAGING EYES

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# by obinborn | 2016-08-08 01:11 | rock'n roll | Trackback | Comments(0)