苦渋を舐めたロック歌手〜たとえ誰も振り向かなかったとしても
ずっと彼の看板だった
いわゆるワン ヒット ワンダーすなわち一発屋
彼にしてみれば 自ら背負った十字架のようなものだったろう
倦怠が入り混じるクラブやディスコ回りが その後の彼が辿った
道のりだった 煙草の煙 赤い絨毯 そしてくたびれ切ったような
笑い声、、、
彼はそれでも淡々と仕事をこなした
一曲だけの全米no.1を名刺としながら
十字架を背負いながら
およそこれがゲイリー US ボンズの物語だ
すれっからしになることの惨めさ
まるで石ころのような孤独
ぼくも会社という組織を離れてから身に染みた
うわべだけの付き合いの連中は ぼくから離れていったし
「また電話するから」 と軽く言った連中からは
二度と呼ばれることはなかった
そんなゲイリーに声を掛け 新しいレコーディングへと
導いていったのは ブルース スプリングスティーンだ
彼曰く「恩返しするのは当たり前だよ、ぼくらは彼の音楽
で育っていったんだからね」
81年にスプリングスティーンと彼のE ストリート バンドを
従えたゲイリーのアルバムは完成した
苦み走ったロック アルバムとして これ以上のものを見つける
のはなかなか難しいかもしれない
ジャクソン ブラウンの自問に満ちた「プリテンダー」が彼の半生の
ように歌われ
ジョン レノン自ら失敗作と言う「イッツ オンリー ラヴ」の他愛ない
”Love"という響きが 年齢に釣り合うような重みを獲得している
こういう種類の苦いロックは めったに聞けるものではあるまい
いささかの後日談を
ボンズのこのアルバムの日本盤のライナー担当氏
そして歌詞対訳氏と ぼくは後年出会った
演奏家であれ 物書きであれ
そこに流れていたのは”邂逅”のような感情だった
ロックンロールがそうであるように
by obinborn | 2010-09-19 20:29 | rock'n roll | Comments(4)
1曲めのケイジャン「ジョリー ブローン」はリンドレーも『化けもの』で
取り上げていましたね 『ノーニュークス』のEストリートバンドは最高に
エネルギッシュ!ぼくはこの盤の「デトロイト メドレー」でミッチライダー
の存在を知ったように記憶しています ボンズは次のアルバムも良い
ですね
スプリングスティーンたちのお陰で ミッチライダーとゲイリーUSボンズ
という素晴らしいロッカーを知ることが出来ました
U.S.ボンズのヒット曲は、当時ラジオで良くかかっていました。私は「スクール・イズ・アウト」が好きで一番記憶に残っています。 アルバムは持っていないので、早速さがします。