21世紀の赤盤と青盤へ
もう何の説明もいらないでしょう
ぼくは1958年生まれで当時は15歳だったのですが
横浜にいた従兄弟の家に夏休みになるとよく遊びに行き
そこで聞いた赤と青のビートルズのことを まるで昨日のこと
のように思い起こします
そう、このLPはぼくのラジオデイズとともに
ロックへの扉を開いていってくれたのです
今 客観的に振り返られることを要約してみましょう
1 アラン クラインの助言のもと ジョージ ハリソンが選曲を担当
2 シングル ヒットを重視した公平なセレクト(流れもすごくいい)
3 カヴァー曲はあえて外す(そこらへんの不満は76年に
編纂された『ロックンロール ミュージック』で一気に解消されます)
ビートルズはぼくのとっての”写し絵”のようなものでした
そのことは『青盤』に収録された「Old Brown Shoe」に
端的に集約されていきます
おそらく誰もがこの珠玉の名曲/名演集のなかで
「なんでこんな地味な曲が?」と一度は思われたことでしょう
かくいうぼくも当時はこの曲の良さがまったく理解出来ませんでした
それはエリック フォン シュミット「Right Rain」を最初まったく
解せなかった気持ちとどこか似ています
もともとぼくは綺麗なメロディだけじゃ物足りなくリズムやグルーヴを
重視するタイプの聞き手です
だから洗練された『アビーロード』よりも 人間臭い『レット イット ビー』
が そのやぶけた部分、とっちらかったところを含めて大好きだったり
するのです
「Old Brown Shoe」に何となく惹かれるのは
そのブルージーなスワンプ サウンドの元祖といった立ち位置に
ジョージ ハリソンの思いが汲み取れるからです
その後 彼が辿ったレオン ラッセルやジェシ エド ディヴィスとの交信は
言わずもがな
そう、そんなジョージの原点がこの「Old Brown Shoe」だと思うのです
人によっては選曲者のジョージが自分の曲を紛れ込ませたなんていう
いじわるな見方もありますが こうした名曲集のなかにまるで”異物”のように
突然紛れ込んだ曲が ある一人の聞き手の音楽嗜好を指し示していくの
ですから その含みはとても大きい
2010年に初めてこの赤と青を聞く中学生や高校生もいると思います
彼らはこれを聞いてどんな言葉を残していくのだろう
どんな点に感じ入り またどんな部分を物足りなく思うのだろう?
ビートルズを英雄視することよりも ぼくが関心を持つのは彼らの言葉です
「ぼくはデルバート マクリントンからハーモニカを教わったんだ」
そんなジョンの最初の成果がブルージーなデビュー曲「Love Me Do」だった
むろん赤盤のスターターとなった
ジョンの名唱ではR&B色が濃厚な「Don't Let Me Down」が秀逸
スカ ビートを援用した「Ob-la- Di Ob-la-Da」のリズムコンシャスな
響きにも心奪われる
by obinborn | 2010-10-18 14:02 | rock'n roll | Comments(2)
ビートルズの赤青は、当時の私には高嶺の花でした。
私が初めて買った洋楽のLPは、ビートルズのオランダ企画盤でした。
ポールの「フォー、スリー、ツー!」というカウントが頭に入った、All My Lovingや、一連のドイツ語盤が収録されていて、当時は貴重でした。
かつてアナログ時代には、あれだけあった各国企画盤が、公式盤のグローバル・スタンダード化により、一掃されたのは、今思えば寂しいです。
obinさんのおっしゃるとおり、今の中高生がビートルズ聴いてどう思うのか、気になります。彼らには、宿題のように、とりあえず押さえておく音楽として聴くのではなく、素直に本物のロックンロールの魅力に触れ、感動してほしいです。
”仕切り”によって消えていったのは寂しい限りだとぼくも思ってきました
米キャピトル編集の『NO.2』とか最高の曲オーダーだったのに、、、
残念でなりません
それにしてもオランダの企画盤が洋楽で買われた最初のLPとは!
エル・テッチさん、天晴です(笑)
ぼくは今日久しぶりに赤盤を聞いていたのですが 米キャピトル盤のせいか
「Help!」のヴァージョンがサウンドトラック版からの引用で驚きました
(つまり無伴奏でHelp! と歌い出すそのまえに007のようなオケが入って
いるほうです)
ホント若い人には お勉強のように聞くのではなく、ゼロの心でビートルズ
を感じて欲しいとぼくも願っています