11月3日〜狭山ロックンロール・コンベンション
またの名は”山本智志と水木まりを囲む懇親会”
ご存知の方もいらっしゃると思いますが 山本さんと水木さんは
70年代のロック黎明期に『ニューミュージック・マガジン』編集部に在籍され
その後フリーの編集者と翻訳家にそれぞれなられました
このオビンも一読者として『マガジン』に親しんできましたから
まさに憧れの先輩方です
その後長い歳月を経てオビンも山本さんから原稿の依頼を受けるなど
およそ10年くらいお付き合いをさせていただいてきたのです
そんなお二人のまわりには自然と狭山のロック愛好家たちが集まってきました
前列右端がオビン 隣にいらっしゃるのが山本さん 水木さんです
約3時間 ロック談義は尽きません(笑)
何を話しているのかな? ^0^
話題はJ.ガイルズ バンドからヘンリー・ミラーまでと知性が迸ります(笑)
何でも水木さんはアメリカでアルバート キングのツアーバスに乗ったとか
(アルバート『Love Joy』のジャケットに映っているあのバスです)
狭山のロック バー”ふぃがろ”のマスターも話を楽しんでいます
マスターとササモトさん
お二人は中学時代からのロック友だちだとか
今なお そんな関係が続いているなんて素晴らしいことだと思います
狭山のハイドパーク ミュージック フェスで山本さんが尽力したことは一部で
有名ですが そのときのスタッフたちも集まってきました
僭越ながらワタクシ小尾が締めの挨拶をさせて頂きました
その内容はおよそこういうものでした
「山本さんのことでぼくが一番印象に残っているのは ”ロック音楽は聞くのも楽しい
けれど それと同じくらいぼくはロックについて書かれた文章を読むのも好きなん
です”という言葉でした それはとどのつまり音楽を演奏する側の思いがあるならば
ぼくら聞き手たちもそれと拮抗するようなイマジネイションを広げることが出来るん
じゃないか、そんなことだとぼくは理解しています 今までありがとうございました
編集者の山本智志さん、翻訳家の水木まりさんのお二人に感謝します 少なくとも
彼らはまだ未開の土地だった日本のロック・ジャーナリズムの礎となってきたのです」
というわけで狭山の夜は更けていきました
男はずっと旅をしていた
道を極めようとしていた
オレンジ色の服を着ていた
片手に知識を抱えていた
女は大地に立っていた
ひとりぽっちで暮らしていた
美しいベールを身に纏い
いつも星の動きを知っていた
佐野元春 「二人の理由」より
by obinborn | 2010-11-04 00:39 | rock'n roll | Comments(4)
でも、写真をアップして頂いたお陰で
なにか久々に狭山ファミリーの面々にお会いしたような気分です。
もちろん別れは寂しいですが、
また新しい出会いもあると思えば
むしろこれからも楽しみですね。
ました 個人的にも一区切りといったところでしょうか
ところで久しぶりにピザ、ウインナー、スパゲティ、ジャーマンポテトなど
高カロリーの料理を食べまくったので朝体重を量ったらまるまる1Kg太って
いました 恐るべし(汗) さっきまで1万(90分)歩いてその分を取り戻した
ところです ね、偉いでしょ(^0^)