1968年という重い宿題

全共闘〜団塊の世代の闘争を「何も生み出さずに終わった稚拙な自己表現だった」
と総括する人もいる でも「表現と運動の垣根がなかったからこそ 単なる政策
提言ではない文化、文明的な転換点が生まれた それが68年の偉大さだ」
という解釈を編集者の平沢剛さん(35歳)は貫く

(毎日新聞11/7『1968年文化論』に関する取材にて)

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つまりそれだけ重い宿題なのだ
にもかかわらず肝心の当事者たちは ぼくが思うに二通り
それは”何もなかったと死んでいるふりをしている”か
あの時代を勲章のように溺愛しているか

そんな意味では実にタチが悪い連中なのである
二者対立という構造のなかでしか発想を出来なかったり
喧嘩そのものに喜びを見出すような もう論理はめちゃくちゃ(苦笑)
あんたら 終わっているよ

出来の悪い兄貴を見るように彼らを冷静に判断出来ただけ
ぼくは”遅れてきた世代”で良かったと思っている
本当に68年のスピリットを生きようとしている人は
つるまず 派閥も作らず 今も一人できちんと歩いているのである

戦後の荒廃(父の時代)
     ↓
高度成長時代
      ↓
学園闘争の季節
      ↓
無関心と諦観
      ↓
オウム真理教
      ↓
バブルの崩壊
       ↓
勝ち組と負け組の二極化

こんな風に追っていくだけでも精神の荒廃が透けて見えてくる
そしてこれは他人の物語なんかではない



佐野が通常のポップフィールドとは別に深めていったのが黙示録的な
スポークンワーズだった この映像はそのダイジェスト版(1から3まである)だが
いずれも詩を書かれたものとしてではなく 動き出していく言葉として捉えるという
運動だ 象徴的なリリックと陰影のある音が光となり影となり 聞く者の想像力を
押し広げていく
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by obinborn | 2010-11-08 21:35 | one day i walk | Comments(0)  

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