12月14日
今秋のツアーに佐野が掲げたものはクラブ サーキットで全国を
くまなく回る それも若いバンドを携えてというものだったが
この夜はその最終駅(home)を目指すような高揚感が漲っていた
小さな会場での聴衆たちとのダイレクトな交信や全国21か所を回って
きたという自信が演奏にも還元されたせいだろう ぼくが今回見た東京での初日や
埼玉での2日めにはなかった思い切りの良さも随所に
たとえば「レインガール」でのソロ回しや「クリスマスタイムイン ブルー」での
豪快なハモンドB3のソロあるいは同曲でのダブ処理された音響は実に新鮮だった
バンドサウンドそのものも近年のツアーのなかでは最も剥き出しのソリッド感に溢れ
佐野と深沼元昭によるざらざらとした粗いギター2本が曲を引っ張っていくという
印象だ 女声コーラスも管楽器もないというホーボーキング バンドとは対照を成す
無骨さが成熟に打ち勝っていた ある意味どこにも逃げ場がない編成ゆえに佐野自身
の彫りの深いリズムギターがくっきりと聴こえた(註1)のも今回のツアーの収穫である
本編の前には映画『コヨーテ、海に』の特別編集版が5分ほど上映され
佐野の精神の旅がどこからやってきたかを あるいは今私たちがどんな
時代に生きているのかを改めて促す
「考えてみてほしい きみの生を保証するのは誰だろう? 」
「都市の遊牧民に力を」
ニューヨークの聖マークス教会で行われたポエトリーリーディングでは
林遺都が扮する主人公によるそんな言葉が放たれ
そのリーディングは「憂鬱な未来図にはもううんざりだ」と締めくくられ
それを合図にいよいよ「星の下 路の上」が高らかに打ち鳴らされていく
そうした意味では序盤から前半までを最新作『Coyote』から連続して6曲選び
足固めしていった展開が 映画の世界観と見事にシンクロしていて
個人的にはここまででも大満足だったが 後半でもブッカー・Tライクな
渡辺シュンスケのオルガンがグルーヴする「ぼくは大人になった」の引き締まっ
ったアンサンブルがとくに圧巻!渡辺は「アンジェリーナ」でグリッサンドを大胆に
連発するなどアグレッシヴな魅力を発揮して Dr.kyOnとはまた異なる存在感を
見せつけた
何でも福岡公演ではあの壮大な「きみを連れていく」が飛び出したと伝え聞く
そうしたサプライズこそなかったものの「ぼくたちはまだ新しいバンドだから
もう曲がないんだ でもリプリーズでいいかい?」とMCされて最後の最後には
もう一度「ぼくは大人になった」が逞しい響きとともに演奏されていった
肥大する欲望と強調される消費生活 そうした現代人の態度に佐野は今日も
「食い散らかすだけ食い散らかして どんな気がする?」(how does it feel?)
と問い掛け
ケルワックからジョン レノンまでのスピリチュアルなものや
かつてそこのあった場所や光輝く季節のことを肯定し続ける
世の中には一体これは何なんだ? と思わせる押しつけがましい”愛の歌”が
今日も連呼される その一方にあるのも手前勝手な自己憐憫のような歌の
数々だ かつてはそのなかで孤軍奮闘しているようにも見えた佐野元春
もっと言えば佐野の言葉が届かなかった時代さえあったように思う
それでもシニシズム(冷笑主義)に陥ることなく
魂の守護者たちはきっとこれからも彼を発見し続けることだろう
終演後に路上で行われた寄せ書き大会 彼のライヴならではの聞き手たち
による温かい交信がここにも
ぼくも一筆書かせていただいた
幅広い世代が集まっていたのも どこか本質的な部分で激しく共鳴するもの
がある故だろう
註1:「リズム・ギターがくっきりと聴こえた」
佐野自身「(手練手管の完璧な)ホーボーキング バンドでは自分がプレイヤーと
して貢献出来る部分は少ないけれど ザ コヨーテ バンドではぼく自身が演奏者
なんです」といった主旨のことを語っている
ロック音楽の本質はアマチュアイズムにあることを的確に把握した発言だと思う
成熟に向かうベクトルとそれを本能的に回避しようとする心持ちのなかに
佐野元春の音楽がある
by obinborn | 2010-12-15 13:03 | rock'n roll | Comments(3)
現代最高のロック詩人と若く逞しいコヨーテ・バンドのライヴ、本当
に感動した一夜でした! 来年がまた楽しみです
過去を振り返るのは好きではないのですが、佐野さんが30年を連呼するので「このころはどこにいて何をしていたなあ」と思い出しながら、歌を聴いていました。彼のデビューの時、わたしは中学生。1967年生まれですので、Obiさんの10年若輩者ということになりますね。「まだドレミ繰り返し」ながらも進化している佐野さんのすごさを痛感しています。そして、年を重ねることも悪いことではないなあ、とも思いました。では良い週末を。