きみはまだ旅の途上にいる

ハイウェイとダンスホールそしてゴキゲンな歌が
きみを遠くへと運んでいく
きみは月について筆をしたため 星たちのことを夢見る

古びたモーテルの部屋にはブルーズが漂い
親父の車には女の子が眠っている
きみはこれまで過ごしてきた夜を歌い
星たちに笑いかける

朝にはコーヒーを飲むけれど 午後にはコケイン中毒さ
きみは今日の天気を語るかと思えば 部屋を見つめて憂鬱な気分
長距離電話の響きに きみは長い旅路を感じている
なあ、嫌なことは忘れて 少しばかり軽くなってみようじゃんか

ああ、ここはどこか知らない土地で きみは旅を感じている

女たちはみんな「やあ、久しぶり!」なんて調子のいいことを言う
それがゲームという奴で女どもはみんな解っているのさ
そしてきみは どの女の顔も次第に見分けが付かなくなる

ああ、ここはどこか知らない町で きみは旅を感じている

お金のためじゃなく 一時のきまぐれと思い
きみはモーテルの部屋をうろつき また旅へと向かう
ギャンブラーたちの誘惑もあるし ギターを噛み締めることもある
月の下では正しく照らされても 星の巡り会わせが悪いなんて
しょっちゅうのことだよね

そしてきみはまた知らない町に迷い込み
これまでの道のりを噛み締める

ダニー・オキーフ「ザ・ロード」

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〜解説〜

旅あるいはツアーに伴う孤独、誘惑、自然との対話を歌った典型的なロードソング
とも言えるが 賢明な諸氏であれば二人称で書かれていることに驚嘆するだろう
つまり一人の男が旅先で遭遇するさまざまなことを第三者が描くという手法である
だから聞き手は主人公を想像すると同時に もう一人の観察者の目を意識すること
になる 

その観察者は彼の父だろうか? 神だろうか? 彼の仲間だろうか?
それとも見ず知らずの老人だろうか?
それは一切明らかにされていないが それ故の含みがあり この主人公の未来を
見守るようなニュアンスをうまく醸し出している 三人称だと物語的な客観性が
補強されるけれども 二人称の場合はより”見守る”とか”諭す”といった響きが
得られやすい

「私が寂しい」「私が悲しい」という白痴的フォークの自己憐憫ではなく 
「きみは旅の途上だ」という視点を用いることで俄然歌に広がりが出た

一カ所非常に鋭いなと思わされるのは「きみは次第にどの女も見分けが付かなく
なる」along the way their faces all begin to look the sameというくだり
ある意味この男がそれなりの歳月をやり過ごしてきたことがここで仄めかされる  そして旅の常套句「どの町も同じに見える」these towns all look the same
を連想すればさらに陰影が増すことだろう 彼はそれなりに疲れている人なのだった

どうか思い起こしていただきたい
あなたが12歳だったときに見た自分の町は きっと大きく映ったことだろう
あなたが今42歳だとして その町は小さく儚げに見えないだろうか
ぼくは今52歳で この町が茜色に染まっていくような気分に襲われる

フレッシュだったものが時の流れとともに失われていく摂理
何しろ男は女たちの愛想笑いを知っている(少なくともうぶな年齢ではない)
世の中は社交辞令や薄笑いで成り立っているんだなあ〜
そのことを一抹の寂しさとともに受け入れているような気配を漂わせる

彼自身 朝にはコーヒーを飲んで仕切り直しをしようとするけれど
午後にはもう薬に頼っている状態であり 
そんな毎日を積み重ねていく人生の恐ろしさも巧みに挿入された

月に語り 星に微笑む そんな彼の旅はこれからも続く
だが本人はその行き先を知らないし
見守る第三者(観察者)もまた 彼の未来が解らないのだ

オキーフの72年盤『オキーフ』に所収
77年にジャクソン ブラウンがカヴァーして有名になった名曲である

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by obinborn | 2011-01-13 01:06 | one day i walk | Comments(0)  

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