火の玉ボーイ
だとは言えませんし その音楽的態度に同調出来る部分とそうでは
ないだろう? という葛藤が自分のなかにありました
メンバーでは鈴木博文が一番好きであり 彼の思想には共感を抱
くだけに音楽は難しいですね
それでも76年の1月に発売された彼らのデビュー作『火の玉ボーイ』
はやはり格別のアルバムだと思います 正確には鈴木慶一のソロ作と
いうことを念頭に置いて制作が開始された作品であるのですが
慶一のお箱となる音楽的な分裂と引き出しの多さという点ではライダ
ーズの始まりを意識させるものですから
シロウト目にもザ バンドとフェアポート コンベンションとをベースに
当時流行始めたリトル フィートやトム ウェイツを意識した先取の気性
を感じますが 言葉の意味性のようなものに捕らわれるのではなく
徹底してフィクションを描き出していくコンセプトは まさにライダーズだ
と思います
多少たりとも江戸文化に興味があったり 東京という町を歩いている方なら
この都市が”水の都”であることを知っていることでしょう
水の都であるということはすなわち出会いと別れの交差点であり
また異なる文化がぶつかり合いながらリクリエイトされていく場所なのか
もしれません
そんな意識で『火の玉ボーイ』に接すると いろいろなものが見えてきます
終曲「ラム亭のママ」が終わると蛍の光のメロディが出港の合図のように
奏でられていきます
ひょっとしてそれは鈴木慶一にとって佳き時代のアメリカンロックに対する
日本人ならではの接し方であり 別れの挨拶だったのかもしれません
写真はライダーズ25周年記念としてアナログ盤で限定プレスされたもの(02年)
76年のオリジナルマスターを使用したと謳われている 確かに音の定位と広がり
には驚かされる 慶一氏曰く「当時(銀座の)音響ハウスには16チャンネルがあった
んだ 最初から16録り出来なければ嫌だった」とのこと 時代故に興味深いエピソー
ドである
by obinborn | 2011-02-13 18:13 | rock'n roll | Comments(0)