2月15日
ある音楽評論家から「佐野さん」と言いなさいと噛み付かれたことがある
同じ日本人には直接目が触れることもあるから「さん」付けで
洋楽だと彼が好きらしい「ボブ・ディラン」で平気なのでしょ〜か?
ずいぶん滑稽な話しである(というかIQ低過ぎ〜笑)
ファンならともかくこういう仕事をしている場合ある程度客観的な視点に
立たなければ何の説得力もないのは当たり前のことであり
ぼくは普段アレックス・チルトンと言うのと同じように佐野と言う
ただそれだけのことだ
だいいち「さん」を付けようが付けまいが書き手が愛情を持ってその人に
接しているかそうでないか悪意に基ずくものなのかどうかは
文章全体の流れのなかから読み手がすぐに判断することだろう
それほど文章というのは怖いという証明でもあり
また実際の会話でのそれと書き言葉としての人物名表記を混同してはいけない
という部分も勿論ある
直接言葉を交わすときは「弦二さん」であり文章として書くときは「木下弦二」
である 酒を飲むときは「クニオちゃん」であり一人の優れたプレイヤーとして
彼を文中で称えるときは「田中クニオ」である
そうした表記に対する留意のようなものは商業誌に書く場合でもこうしたblog
に書く場合でもぼくはまったく同じ気持ちで接しているつもりだから
こういうことを書き説明しなければいけないのもすごく野暮なんですが(苦笑)
悲しいかな あまりに低レベルの現状があるのであえて書いてみました
by obinborn | 2011-02-15 03:01 | rock'n roll | Comments(6)
同じ「アーティスト」だと思っています。
互いを表現しあうときは・・・・ですね。
遅ればせながらようやく「月と・・・・」手に入れました
まるで新曲、なのに懐かしい、ああ早く帰りたい
北国でもメーターははずさず
めざせ10000!
寒いでしょう
いやいやぼくなんか乙女心も汲めないようなニブイ奴です(笑)
Aというミュージシャンがいて Bという音楽家がいて それぞれが
点に過ぎないと思っていたものが実は線で繋がっているのを知る
のは自分でも楽しいし 若い人に教える(というのもおこがましいで
すが)のも喜ばれたりします
互いにウォーキングがんばりましょう!^ー^
、そういうのを捨てて欲しいと思います。つか、そんなくだらないことを言ってくるヤツって暇なんだと思うな。
たった今 佐野元春6,000字を仕上げ送信したばかりでした!
あれやこれや悩み逡巡したりもするのですが 好きなミュージ
シャン、信じる音楽家について書くというスタンスをぼくは守り
続けています 文章の拙巧も含めて結局自分は自分にしか
なれないということがこの歳になると今まで以上に解ってく
るのでした
佐野さんのweb上で複数の方とともに寄稿という形になります
ウッドベースのタメが深〜いビートが確かに肝になっているような
サウンドですね kyOnのオルガンもスルメ的な含蓄があります
国際フォーラムでのライヴが今から楽しみです!