スワンプ・ロックの大いなる真実が、バド・スコッパのリサーチによって遂に語られた

昨年ロック アーカイヴスの話題を独占した感もあった
デラニー&ボニー&フレンズ『オン・ツアー』の完全版ですが
付属されていたバド・スコッパの英文ライナーの和訳書を
現在、日ワーナーのサイトにて300円で購入することが出来ます
英文が解りにくい手書きだったこともあって私もさっそく買い
求めました

なかには英語独特の大袈裟な言い回しがあり ありがちなツアー珍道中も
描かれているのですが 興味深いエピソードも幾つか披瀝されていて      
これは大いなる収穫です とくにスワンプ・ロック(註1)研究家にとっては
実に興味深い記載があります

具体的に書き出してみましょう

その1:フライング・ブリトー・ブラザーズという名前はグループ名と
いうよりは ハリウッド〜サンフェルナンド・ヴァレーにたむろしていた
レオン・ラッセルやドクター・ジョン、そしてジム・ケルトナーや
スティーヴン・スティルスら音楽家たち一派を呼ぶ際の愛称であった

その2:その集団のなかからグラム・パーソンズやクリス・エスリッジが
独立してグループとしてのフライング・ブリトーズを旗揚げした

その3:69年の初頭にストーンズ『レット・イット・ブリード』の最終仕上げ
(ミックス)のため LAのエレクトラ・スタジオに来ていたジミー・ミラー
とグリン・ジョンズはそこでD&Bのエレクトラ盤のラフ・ミックスを
デヴィッド・アンダールを介して聞き 衝撃を受けた

その4:そうした経緯もあってストーンズは「ギミー・シェルター」にボニー・
ブラムレットを起用しようと考えたが その時彼女はもはや”出せる声
がない”(自らの録音に集中していた、との意味?)状態だったので
結果的にはメリー・クレイトンが代役を務めた

およそ以上のようなエピソードです

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たとえばソロになってからのグラム・パーソンズのメンバーにリック・グレッチが
いたのは何故か? たとえば『オリジナル・デラニー&ボニー』にドクター・ジョン
の曲が採用されたのはどういう経緯故か? といったことが一気に氷解していく
ような興奮を覚えました

グラム・パーソンズといえば今まではどちらかというとカントリ−・ロックの文脈で
語られてきましたが ある程度想像出来たように LAスワンプの潮流にも身を置
いていたんですね これでD&B『モーテルショット』にグラムが参加していること
にも大いに納得出来ました

ジョージ・ハリソンがデラニー&ボニーを聞いて衝撃を受け 友人のクラプトンに
薦めたという逸話はあまりにも有名ですが その前段階としてグリン ジョンズ
(ビートルズ『ゲット・バック』セッションに参加)が介入していたことにも不思議
な符合や因縁を感じてなりません

ミック・ジャガーがウィスキー・ア・ゴーゴーに出演していたタージ・マハール
を見て ロックンロール・サーカスに彼を誘ったのも現在では知られるところです
私にはそれがキースと当時交流していたグラム・パーソンズの姿とも
まるで重なり合うように響いてくるのです

やはり西海岸にはグラムとタージありきだったと想像を逞しくしています
ジョー・スコット・ヒルの”LA Getaway "辺りもあの時代の”交差点”としての
匂いがプンプンしていますね

68~69年頃はLAを舞台に英米の音楽家たちが互いに刺激を与え合い
ながら こうしてスワンプ・ロックの大きな流れを生み出していったのです

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ライ・クーダー、レオン・ラッセル、バイロン・バーラインといったLAの音楽家
たちを迎え入れたストーンズ69年の”スワンプ・アルバム”です ガーナの打楽器
奏者であるロッキー・ディジューン(のちにタージ・マハールへ)も好演するな
ど文化的折衷を見せました その鮮やかなサウンドスケープは ”型”や”スタイル”
に追随するだけのロックとは どこまでも平行線を描いていくかのようです

蛇足ですが 私はAという音楽家がある日まったく新しいオリジナルな音楽
を作ったという英雄史観には立てません それよりは相互影響を受けながら
切磋琢磨しながらAもBもシーンを次第に形成していったと考えるほうが
ずっと自然だからです

よく判で押したように『ロックはエルヴィスから始まった!』などと言うお調子者
がいます(笑) でも実際のエルヴィスは横目でジュニア・パーカー
やボビー”ブルー”ブランドを眺めていたのでした

歴史とか文化といったものは かくの如く”複合的”なのでした


註1:「スワンプ・ロック」(Swamp Rock)
Swampは湿地帯の意だが 一般的には合衆国南部のブルーズやR&Bに根ざした
泥臭いロック表現のことを指し 70年代初頭に大きなブームとなった
なお50〜60年代のガルフ・コーストで流行ったスワンプ・ポップとの関連はない
アトランティック・レーベルを代表する制作者ジェリー・ウェクスラーが業界用語
として使い始めたという記載が英国のDJ、チャーリー・ジレットの本にあり 
現在ではこの説がほぼ定着している
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by obinborn | 2011-02-22 13:36 | rock'n roll | Comments(3)  

Commented by NOAH@長野 at 2011-02-22 22:30 x
読ませていただいて
どうもSTONESとD&Bが重なることが多々あり
同じ香りを感じていました。

なんだかさらに奥が深いなあ
BOX聴いてみたいです。
その解説を読みつつ・・・・
Commented by Almost Prayed at 2011-02-22 22:35 x
サイケ華やかなりしころに、ぽつんと出されたボブ・ディランの“John Wesley Harding”、その少し後に出されたザ・バンドの“Music From Big Pink”、これらの作品を聴いて、古臭いとばかり思われていたアメリカのルーツ音楽を基にした、ミクスチュアな表現の持つ威力に触れて、「これからはこれや」と、L.A.という都会の連中(もっとも南部出身者も数多くL.A.のセッション稼業に関わっていましたが)がこぞって走った、それがスワンプ・ロックの動きだったと自分は捉えています。単にブルーズやカントリーを額面通りになぞっただけなら、当時これほどまでの影響力は持ちえなかったかもしれませんね。

ジミー・ミラーやデニー・コーデルらが手掛けた仕事はもとより、音楽性は全く異なるもののひいてはフェアポート・コンヴェンションなど、自国の伝承音楽を活かして自身の音楽世界を作り上げていったUKのバンド群にもスワンプ・ロックは強い影響を与えたはずで、そう考えると実に音楽的な世界の広がりが感じられて面白いですね。
Commented by obinborn at 2011-02-23 04:50
◎NOAHさん
D&B時代にボニー・ブラムレットは歌いながらよくタンバリンを16
ビート的に叩いていましたが ミック・ジャガーがマラカスを振る姿
と自分も重なっていきます

◎Almost Prayedさん
以前デイヴ・メイソンにインタヴューした際 彼が「ジョージ・ハリソン
の家で一緒に”Wesley"アルバムを聞いたんだよ」と述懐していま
した サンディ・デニーやトンプソンも”Basement Tapes"のアセテ
ート盤を聞いて自分たちのレパートリーにしましたから 68年という
年は米英のシーンが混ざってスワンプが形成されていくまさに発端
となったのでしょうね 

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