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ロング・インタヴュー、木下弦二 (上巻)

 東京ローカル・ホンクの木下弦二と初めて言葉を交わしたのは、
忘れもしない07年秋のことだった。ちょうど彼らのセカンド・アル
バム『生きものについて』が発売されたばかりであり、その時の
弦二は初対面のぼくをまえに、自分たちの音楽をどう説明しよう
か思案しているようだった。

 あれからおよそ3年半が経った。その間ぼくは可能な限り彼らの
ライヴに通い詰めた。最高の時の彼ら四人はまるで奇跡のような
サウンドを鮮やかに描き出した。演奏が多少平均的な出来映えに
終始した夜でさえ、帰り道を歩くぼくは幸せな気持ちに満たされた。

 今回実現した木下弦二へのロング・インタヴューを、どうか丹念に
読み込んでいただければと思う。自分たちが作る音楽への情熱はむろん
のこと、現在のホンクに辿り着くまでの試行錯誤や、日本の音楽シ
ーンの断片も、そこからはくっきりと浮かび上がってくる。ソングライ
ターとしての弦二の”作法”に触れるいい機会でもあるだろう。

 なお最後に、今回の東日本大震災を受けて弦二とぼくはメールで
互いの今現在の気持ちを報告し合ったのだが、その往復書簡も巻末に
記した。

(小尾 隆 2011年3月)

*            *            *

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☆「リマスターすることで、もっと届けたかったんです」

ーー『生きものについて』のリマスター版が
昨年の11月に完成しました。おめでとうござ
います。弦二さんがご自身のブログでこの作
品に対する並々ならぬ”想い”を語られていま
したね。自分の子供のように愛おしいアルバ
ムだと思うのですが、今はどういうお気持ち
ですか。

「人によっては初版(07年)の方が良かった
という意見もあるんです。確かに初版は録音
からミックスまで全部ぼくらが自分たちで行
った重要なアルバムです。でも時間が経つに
つれて、もう少し作品に客観性を持たせて、
もっと人に届くような音にしたい、という気
持ちがどんどん強くなってきたんですね。人    
間って変化しないで止まっていることは出来
ないじゃないですか。とくに『生きものにつ
いて』はメッセージ色の強い作品だと思って
いますから、言葉にすると嘘っぽくなってし
まうかもしれませんが、『世の中を良くして
行こう』という流れに少しでも貢献できたら、
という気持ちがすごく大きくなってきたんで
す」

ーー音像が太く逞しくなりました。同時に透
明感が増したな、という印象も受けました。

「CDでも部屋で落ち着いて聞くことでやっ
といいものだな、と思える音楽ってあります
よね。今までのぼくたちはどちらかというと
そっちの側に傾いていたところがあったんで   
す。音楽という美味しい料理を作るだけで精
一杯だったという気もするんです。でもみん
なに料理を食べてもらうには出し方もちゃん
と考えなければいけない。そう考えるように
なったんですね。すごく簡単に言ってしまえ
ば、今回のリマスターの音は明るく、太くな   
っています」

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◎東京ローカル・ホンク/生きものについて(リマスター版) マインズ・レコード
(収録曲)
1.生きものについて - Beautiful No Name
2.犬
3.いつもいっしょ
4.笑顔
5.四月病
6.ハイウェイソング
7.おバカさん
8.社会のワレメちゃん
9.伊豆半島

ーー実際のリマスター作業にはメンバーも参
加したのでしょうか。

「いえ、久保田麻琴さんにお任せしました。
とくにこちらからの注文はしていません。と
いうのも麻琴さんが以前からこのアルバムを
評価してくれていたからなんですね。ぼくた
ちのことを深いところで理解してくれていた
ので、安心してお任せしました。麻琴さんは
プロでなければ解らないような、ぼくにも判
別出来ないような細かい作業をされたし、幾
つものヴァージョンを作ってくれました。や
はり麻琴さんにはプロのエンジニアとしての      
豊かな経験値もあり、さらに聞き手の立場に     
なって音楽を聞く耳を持っているんですね。      
そして麻琴さんがスゴいのは、理屈ではなく  
『ハートに届くかどうか』で判断する、動物    
的勘みたいなものをもっているところだと思
います」

ーーリミックスも行ったようですね。ミック
スをやり直すというのは、レコーディングの
最終段階での極めて重要な作業ですが、作り
直した部分は大きかったのですか。

「各トラックがバラバラの状態で麻琴さんに
お願いしましたから、正確にはまさにリミッ
クスを行ったということです。ただ、今回の
作品はリミックスという言葉に伴う世間的な    
イメージとは違うもので、余計なことは何も
していないし、初版の印象を損なう音に仕上
げたわけでもありません。だからあえてリミ
ックス・アルバムとは謳っていないんです。
ぼくは今回の作業をして良かったと思ってい
ます」


ーー変わっていない部分と変わった部分が
違和感なく混ざっていますね。変わった部分
をとくに感じたのは、「笑顔」や「ハイウェ
イソング」でのヴォーカルのダブっぽい残
響処理や、「伊豆半島」でのちょっとアンビ
エントな音空間でした。「伊豆半島」ではア
ラケン(新井健太)さんのウッド・べースの
弓弾きが、すごく鮮度よく聴こえてきて驚き
ました。

「そうですね。『伊豆半島』ではちょっとだ
け洒落っ気を出してみました。初版の音に関
しては、解ってくれる人は解ってくれるだろ
うとか、ぼくたちの文脈に乗ってもらおうと
いったような敷居の高さも反省点としてあっ
たんです。でもリマスターすることでもっと
明るく力強い作品に仕上げたかった。もっと
人に届けたかったんです」


☆「自分なりの音楽表現を見つけるまで、遠回りしてきました」

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ーーアルバム表題曲の「生きものについて」
や「社会のワレメちゃん」は、弦二さんに
とっても真ん中となるような重要な曲だと
思います。「ワレメちゃん」の歌の主人公に
しても、ノンポリではあるんだけれど、部屋
の一歩向こう側に不穏な空気を感じ取って
いますね。

「たとえばボブ・マーリィーのように『お前
らはここを出て行け!』って強い言葉で言う
ことが出来ればいいんでしょうが、ぼくには
確証を持ってそれを言うことは出来ないんで
すね。でも社会にはこういうものが必要なん
だと思ったり、何かを願うことは出来る。み
んなが不幸にならない世の中を実現するには
どうしたらいいんだろう?って考えることも
出来る。でも現実としてはもっとお金は欲し
いし、自分たちや家族が食べていくだけでい
っぱいいっぱいという部分もあります。クジ
引きがあったら当たればいいなあ、と思う自
分とかは絶対いるわけじゃないですか(笑)。
ぼくははっきりと見えないものを言うことは
出来ないし、自分の手が震えるものや、肌で
触れることが出来る身近なものしか、歌にす
ることは出来ないんです」

ーー歌作りに対する弦二さんのそうした姿勢
は、「ヒコーキのうた」や「昼休み」にも
”気配”として立ちこめていますね。

「はい。音楽が面白いのはこちらがはっきり
としたテーマを持たせた曲でも、不思議と聞
き手それぞれの事情にどんどん当てはまって
いくことだと思うんですね。こっちが意図し
た部分とはまた別に、歌が聞き手たちのもの
になる。だからぼくは想像の余地を残してお    
くような歌作りを心掛けています。たとえば、   
日本の古典的な悲劇といえる『忠臣蔵』は封     
建社会の理不尽さや連帯、家族愛など見る人
によっていろいろなことを訴えかけてきます
よね。だからいつの時代もリアリティがある。
ぼくもそんな歌を書くことが出来たらと思い
ます」

ーーボブ・ディランの「激しい雨が降る」
(A Hard Rains  A Gonna Fall 62年)に
しても、キューバ危機の歌だと後から説明
されてしまうと、とたんに歌のイメージが萎
れてしまいますよね。歌ってそういうもので
はないだろううとぼく自身も思いたいんです。
あの歌にはもっと広がりがあるし、様々な解
釈が出来る。込められた暗喩もキューバ危
機にとどまらない、もっと普遍的なものだと
ぼくは信じているんです。

「遠藤ミチロウさんが以前、新聞記事を歌に
してドンドン歌ってもいいんだよ、ってイン
タヴューで言っていたんですね。そのときは
カッコイイなあと感じたし、そういう方法も
あると思うんです。でもぼくの場合はもっと
長く歌える歌を作りたい。そのためにはどう
しても篩(ふるい)に掛けるような作業が必
要なんですね」

ーーホンクはサウンドスケープもユニークで
すね。「犬」や「おバカさん」のリズム・セ
クションだけを拾い上げてみると、アフリカ
音楽にも通じるようなミニマルな動き、旋回
していくようなグルーヴを感じるんです。そ
れが優しいメロディと平行しながら歩いてい
くところにもホンク・サウンドの不思議さが
あると思います。アフリカ音楽は好きですか?

「実は大好きなんです。ぼく自身は少し意識し
ている部分もありますね。サリフ・ケイタな
んかもヨーロッパのミュージシャンを使って
一時期のマイルズ・ディヴィス・グループを
思い起こさせますし、そうしたヨーロッパ経
由のアフリカ音楽と現地のアフリカ音楽との
違いも面白いです」

ーーパパ・ウェンバもザイール発の音とパリ
で録音したものでは、全然質感が違いますね。


「うん、まったく違いますね。現地での音は
もう圧倒的なファンク!という感じですから。
それとぼくはエチオピアの60年代から70年代
にかけての音楽を体系的にまとめたCDを聞く
機会があって、シーンが確立される以前の混
沌とした様子がすごく興味深かったです。そ
うだな、日本人が60年代にR&Bを探りながら
演奏しているのと何だか同じ匂いがしたんで
す。チャック・ベリーにしたって、あのスタ
イルを確立する以前には絶対何かがあったは
ずなんですね。世界各地で微妙に時期がずれ
ながら、音楽に新しい動きが出てくる瞬間っ
ていうのは本当に面白いなと思います」


ーーぼくが初めてホンクの生演奏に接したの
は、狭山での第二回ハイドパーク・フェス
(06年9月)を除けば、07年12月の東中野・
驢馬駱駝でのワンマンだったんです。もうその
頃にはある程度ホンク・サウンドというものを
確立されていたと思うのですが、前身である
”うずまき”時代(90年代)を含めて、果たして
最初は一体どういうバンドだったんだろう?と
いうことをどんどん知りたくなりました。

「ごくごく初期から話を始めると、一番古く
からの付き合いであるドラムズのクニオ(田
中クニオ)とは、オリジナルのロックンロー
ル・バンドを、今と同じ四人編成で組んでい
たんです。でも音楽をやり始めたばかりです
から、どうしても形から入るというか、最初
からロックンロールという言葉やスタイルに
寄り掛かっていたんですね。俺はロックンロ
ーラーだ! 俺はブルーズ・マンだ! とい
う風に(笑)。白人と黒人がいればやっぱり
黒人だろうという意識もあったし、そういう
世界に自分を当てはめて生きていました。で
もそういう仲間がいた反面、少しでも知らな
いミュージシャンがいるとイジメが始まって
しまったり(苦笑)。その世界ではブルーズ
やソウルやレゲエは語るけれども、キング・
クリムゾンのことはたとえ知っていても口に
は出さないように蓋をして、自分をどんどん
追い込んでいくんです。すごく大雑把に言え
ば、ジャック・ダニエルズをラッパ呑みしな
がらキース・リチャーズの真似をする。そん
な世界がひとつのライフ・スタイルとしてあ
りますよね。それはそれでいいのかもしれま
せんが、ぼくはもっと普通にいろいろな音楽
が好きな人だったので、それは結局出来なか
ったんです」

ーーすごく狭い世界での気取りがあり、ウン
チク合戦がある。そのことに対して次第に嫌
になってくる。ぼくはずっと聞き手の立場に
いましたが、弦二さんと同じような経緯を辿
ってきました(笑)。ブルーズの世界にして
も何だか年功序列みたいな部分があって、
とても窮屈な思いをしていました。

「ハハハ(笑)。ぼくもある日突然気が付い
たんです。ぼくが今やっていることは何てカ
ッコ悪いんだろう、ぼくは何でこんなに無理
をしているんだろうなって。やはりぼくにと
ってはストリートという表現よりも、商店街
という言葉のほうが遥かにリアリティがある
んですね。ストリートはアズベリー・パーク
にはあるのかもしれないし、ロンドンに行け
ばあるのかもしれない。でもぼくには解らな
い。スウィンギング・ロンドンって言われて
も、ロンドンがスウィングしているのかどう
かも解らない。当時そうした意識を持ってい
た人はぼくの周りでは殆どいませんでした。
ぼくはずっと戸越銀座に住んでいるんですが、
自分の町から見える風景をどうして歌にする
ことが出来ないんだろう?という悔しさをず
っと感じていました」

☆「『俺、もうロックは辞めるから』 そう宣言したこともありました」

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ーー洋楽好きの少年時代から始まって、ずい
ぶん遠回りをしましたね。

「本当にそうですね(笑)。60年代があって、
小尾さんたちの70年代があって、その次くら
いにぼくらの世代があって、いずれにしても
まだヒップホップが出てくる以前でしたから、
ぼくらはまずジャンルのなかで生きるしかな
かったのかもしれません。逆に今の若い人な
らもっと過去も現在も飛び越えて平行して音
に接していますから、すんなりと自分の表現
に入っていけるんでしょうね。ぼく、ある日
みんなの前で宣言したんです。『俺、もうロ
ックは辞めるから』って。あれは確か22歳か
23歳の頃(80年代後半)のことだったと思い
ます」

ーー思い切った選択でしたね。

「ぼくのそうした気持ちを当時理解してくれた
のはクニオだけだったんです。だからずっと
スタジオに籠りながら、日本の文化や西海岸
のカウンター・カルチャーの話に夢中になっ
ていました。音を出すのはほんとに最後だけ、
みたいなときもありました。でも当時の日本
では”くじら”というバンドが独特のオリジナ
リティを持っていて、それは今ホンクがやっ
ている音楽とはまた違うんですが、あの頃は
相当影響を受けました。それからある日、ラ
イヴハウスでアコースティック・デイという
ものがあったんです。時期的にはアンプラグ
ドのブームの頃(90年代前半)だったんで
すが、多くの人たちはアコースティックとい
っても普通に大きな音で演奏していた。でも
ぼくらは一切のPAを通さずに完全な生音でプ
レイしたんですね。ぼくらは当時ブライアン
・イーノのアンビエント音楽や環境音楽も聞
いていましたから、そうした小さな音への意
識はすごくありました。そうするとお店の人
に『空調を切ってください』と言って抵抗さ
れたり、客席にいるバンド仲間でもまあ帰っ
てしまう奴はいなかったけれど、明らかに戸
惑っている様子がこっちには伝わってくるん
ですね。そのとき自分たちが周りの空気を切
り裂いているんだな、という快感を覚えたん
です。でもそういう静けさのなかで途中から
リズムが入ってくると、すごく曲が生きてく
るんです。あのときは確か20分くらいのステ
ージで、(久保田麻琴と)夕焼け楽団の『バ
イ・バイ・ベイビー』や細野(晴臣)さんの
『蝶々さん』、RCサクセションの『わかっても
らえるさ』を歌いました。ぼくのオリジナルの
『遠い願い』もあの頃はもう出来ていたので、
それも歌いました。そうやってクニオやベース
の迫田敬也(99年の12月に自分の音楽を
追求すべく脱退 新井健太が新たに加わった)
といっしょに演奏していくようになりました」

ーー弦二さんは日本語のきれいな響きを大事
にしていますね。弦二さんにとってソングラ
イティングとは、どういうものでしょうか?

「ぼくは一時俳句の世界に入り込んだんです。
ショックでした。すべてを言い切るのではな
く、限られた簡素な形式のなかで、ただ風景
だけがそこにあるんです。ですから俳句はぼ
くにとって”窓”のような存在でした。そこに
入っていくのも出ていくのも自由なんだとい
うのは、ものすごく大きな発見でしたね。デ
ィテールが細かく書き込まれたものも素晴ら
しいし、トム・ウェイツやブルース・スプリ
ングスティーンのような物語性のある歌も大
好きです。ウェイツの『サンディエゴ・セレ
ナーデ』なんかもう本当に美しい。スプリン
グスティーンの『ザ・リヴァー』の主人公の  
その後の人生を想像してみたり。『ハイウェ
イ・パトロールマン』には映画『ディア・ハ    
ンター』と共通する世界を感じたり。子供の
頃って映画が終わると、『もう終わってしま
ったの?』という感じで寂しくなったことっ
て誰にでもあると思うんですが、そういう感
覚に近いかな。話は戻りますが、そうしたス
トーリーのある歌も好きですが、ぼくは自分
というのは”窓”であればいいな、って思った
んです」

ーー”窓”であり、”鏡”であるかもしれません。

「ああ、それは初めて聞く感想なのですが、
鏡かもしれませんね。俳句のなかでも種田  
山頭火は自由律だったから、余計に好きにな
りました。彼の句に『分け入っても 分け入   
っても 青い山』というものがあるんですが、
初めて知ったときはもう本当にびっくりして
しまいました。ハイキングをしているのとは
明らかに違う様子、厳しい旅をしているその
人の気配が漂ってきましたから。それから日
本語のことで言うと、夏休みにおばあちゃん
の家で食べた西瓜の味とか祭り囃子の音って、
ずっと記憶に残るものですよね。俳句はそう
いう題材で歌を作っていくいいきっかけにな
りました。でもそうした日本的な表現をやっ
と発見した反面、和食だけを重視する自分も
不自然だとまた感じ始めてしまったんですね
(笑)。そういうトンネル状態から解放され
て、和食でも洋食でも、古くても新しくても、
美味しければいいじゃん!というところまで
辿り着くまでも、すごく時間が掛かってしま
いました(笑)」

(続く)

by obinborn | 2011-03-25 00:09 | インタヴュー取材 | Comments(4)  

Commented by uta at 2011-03-17 22:55 x
小尾さん、お疲れさまです!
待望のインタビュー記事、何度も何度も繰り返し読んでいます。
自分なりのホンクに対する解釈と同じに感じる部分もありながら新たな発見もあり、とても面白い内容でした。

あらためて、もっとたくさんの人に東京ローカル・ホンクの存在を知ってほしいと思いました。
Commented by obinborn at 2011-03-18 04:38
utaさん、おはようございます
何度も読んでいただけているみたいで とても嬉しいです
過去いろいろな方々にお話を伺ってきましたが 今回はとく
に忘れられない取材となりそうです
彼と話せて良かった ホンクの四人と出会えて良かったと
思っています
Commented by Osamu at 2011-03-18 08:16 x
早速、拝読させて頂きました。
2009年、ふぃがろでの彼らの貴重なライヴにスタッフのひとりとして参加させて頂いたこと、本当に良かった、と改めて思いました。
小尾さん自身がおっしゃるように、きっと、この仕事はまだまだ通過点にすぎないのかもしれませんね。
でも、ひとまず、この労作に“お疲れさま”と言わせてください。
なお、「ふぃがろBBS」にも告知しておきましたので。
Commented by obinborn at 2011-03-18 11:01
osamuさん、ありがとうございます
狭山ふぃがろでの彼らのライヴがつい最近のことのようにも また
随分昔の記憶のようにも感じられます それなりの数の演奏を見て
きたということでしょうか ひとつのバンドをずっと追いかけていくと
その日その日での演奏の肌合いの違いから選曲から来る流れの
ニュアンスまで いろいろなことを改めて感じます
告知もしていただき ありがとうございました

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