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ロング・インタヴュー、木下弦二 (下巻)

☆「『いつもいっしょ』を書くことで、ぼくは救われたんです」

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ーーホンクの四人はそれぞれが引き算の美学
というか、ワビサビの感性を持った優秀なプ
レイヤーの集合体ですが、井上(文貴)さん
のギターも俳句的ですね。

「メンバーのことを褒めるのは手前味噌にな
ってしまいますが、井上は『これが弾ける!』
というレベルでは絶対に音を選択しない人で
すね。きっと彼のなかにある美意識が一段高
い所に設定されているんだと思います。井上
が言うんですよ。『ギター・スリムのフレー
ズのなかに重要なものはすべてある』って。
それが奴のなかでどう消化されているのかは
解りませんが、結果的に井上の語法へと結び
付いているんでしょうね」

ーー「いつもいっしょ」は比較的ポップで親
しみ易い歌ですが、この曲だけでホンクを判
断して欲しくない、といった気持ちはありま
すか。

「いや、それはまったくありません。という
か、どの曲もぼくたちの歌なんだから、むし
ろいい曲だと言ってくれるだけでぼくは嬉し
いです。どの曲がその人にとってホンクへの
入り口であったとしても、ぼくはそれを歓迎
します。あの曲が生まれた背景を説明してし
まうと、NHKのドキュメンタリー番組で(終
戦間際の)沖縄戦を取り上げていたんですね。
ぼくは普段は殆どテレビを見ないのですが、
たまたま見ていました。日本軍がかなり追い
詰められてパラノイアのような状況にまでな
ってしまうんです。そこである沖縄の女の子
が目の前で両親を、何故か日本軍によって殺
されてしまうんです。またその女の子自身も
手榴弾を浴びてしまったのですが、アメリカ
兵によって助けられ、終戦後はお兄さんに育    
てられ、そのお兄さんはのちに精神を病んで   
しまいます。女の子は体中に破片の痕があり
いじめを受けて苦しみます。辛い記憶から逃
れて大阪で暮らしていたその女性が長い歳月
を経てやっと沖縄に戻ってくるんです。その   
とき彼女が両親を殺された浜辺で『お父さん
!』って叫ぶんです.........。ぼくは当時娘が
二歳になったばかりだったのですが、その胸
に刺さった叫びをどう受け止めてよいか解ら
ず、ずっと頭のなかを離れませんでした。そ
れで『いつもいっしょ』を書くことでやっと
自分が救われたような気持ちになりました。  
そうした悲しい物語を明るくポップな表現で
伝えるということを考えながら、あの曲が生  
まれました」

☆「ぼくたちホンクには喜びがある。聞き手たちがいる」

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ーーうずまきを結成されたのが94年の初頭と
いうことですから、もうかれこれ17年も音楽
をやり続けてきたんですね。その間にはJポッ
プの隆盛もあれば、渋谷系も喫茶ロックのブ
ームもあった。音楽仲間の鈴木祥子さんはす
っかりメジャーな存在になった。いつかMC
で弦二さんは『結局どのブームにも乗れませ
んでした』なんて笑いとしておっしゃってい
ましたね(2010年9月 高円寺・JIROKICHI
にて)。そうした状況を横目で眺めながら、
どう感じてきましたか?

「ぼくたちは美味しい料理を作るから、美味
しい料理を食べて欲しい。ぼくたちはそれを
きちんと届けたい。そういうことです。勿論
現実的には辛い部分もありますが、それ以上
にぼくらは幸せなんだなと思っています。と
いうのも、ぼくらより先にメジャー・デビュ    
ーして、ぼくらより有名になったけれど、も    
う解散してしまったバンドも、幾つも見てき   
ました。でもぼくたちは今も音楽を続けてい
る。いろいろなライヴハウスが声を掛けてく
れて、充実したライヴ活動を今日も行ってい
る。キヨシローさんをはじめ、春日(博文)
さん、麻琴さん、(鈴木)茂さんたちがきち
んと評価してくれる。そして一番嬉しいのは、
ぼくたちの音楽を目的にライヴを見にきてく
れるお客さんがちゃんといるということです。
このまえここ(2010年12月 渋谷B.Y.G)で
打ち上げをやったじゃないですか。こっちの
席でもあっちの席でも、ぼくたちの歌について、
『あの歌はこういう歌ですよね』とか、『あの
歌で会いに行くのは彼ですか、彼女なんで
すか』とか夢中になって話してくれる........。
これは本当に素晴らしいことだと思っていま
す」

ーー友部正人さんとの出会いもありました。

「友部さんはとても強い人です。揺るぎない   
のに撥ね付ける感じがまったくない。足下は
しっかりしながら、とても柔らかく立ってい  
られるんだなと思います。具体的には横浜の
サムズ・アップの社長さんがすごく勘のいい
人で『今度、一緒にやってみたら?』と言わ
れたのが最初のきっかけだったのですが、共
演してからは結局一緒にアルバムを一枚作り、
一緒にツアーにも出ました。友部さんが『今
までのバンドのなかで一番歌いやすい!』っ
って言ってくれたのが、とにかく嬉しかった
ですね。それはぼくたちが余計なことは何も
しないバンドだったからだと思うんです。で
も糊白はきっちり付けていくぞ!といったと
ころかもしれません。これがバンドではなく
個人としての共演となると、みんな自分なり
の切り口を見せなければいけない、と意識し
てしまったと思うんです。でもぼくたちはホ
ンクというバンドとして参加したので、普段
とまったく変わりようがなかった。それがい
い、と周りの人たちも言ってくれました」


ーー以前、おおはた雄一さんに取材した際に
彼が『いつかぼくも歌うのを止めるのかもし
れない』って、おっしゃったんですね。弦二
さんはそういう気持ちになったことはありま
すか。

「いや、まったくありません。おおはた君は
冗談で言ったんでしょう?」

ーーもし自分の音楽がワンパターンになって
しまい、過去を切り売りするばかりの状態に
なってしまったらどうしますか? という話
の流れでのぼくの質問でした。

「おおはた君はメジャーの世界にいて、曲も
ぼくなんかよりずっと早いペースで作ってい
るから、そう感じるときがあるのかもしれま
せん。おおはた君と比べることに意味はない
ですし、彼の本当の気持ちも解らないのです
が、ぼくの場合は曲を作るのが遅いし、別に    
多作というわけでもないから(笑)、歌を止   
めようと思ったことはありません」


ーーひとりの音楽ファンに戻ってみて、弦二さ
んの生涯のフェイバリット・アルバムを
5枚選んでいただけますか。勿論今日の気分
ということで構いません。

「はい。まずはスティーヴィー・ワンダーの
『キー・オブ・ライフ』。ジョン・レノンは
『イマジン』と『ジョンの魂』のどちらも好
きです。ビートルズでは『ヘルプ!』のアル
バムがとくに好きなんです。あとはジャコ・
パストリアスがビッグ・バンドと共演した『
ツインズ』という日本でのライヴ盤が今日の
気分かもしれません。最後はキース・ジャレ
ットが演奏したバッハの作品集『Das Wohlte
mperiete Klaiver Buch I』ですね」


ーー今日はお忙しいなか、どうもありがとう
ございました。最後にどうしても言っておき
たいことはありますか。

「ありがとうございました。そうですね、ぼ
くは(社会学者の)宮台真司がけっこう好き    
で一時期わりと読んでいたのですが、あの人    
が『意味を求めるな、喜びを求めろ』って言    
っていたんですね。凄いなあ、そうか、そう
いうことなんだなって思いました。喜びがあ
る。ぼくたちには音楽がある。バンドがある。
ぼくたちには聞き手たちがいる。だからこれ
からも音楽という美味しい料理をしっかりと
作って、それが温かいうちに届けていきたい
と思っています」

2011年2月5日 渋谷B.Y.Gにて

取材/文:小尾 隆
写真(2010年の彼ら):uta
also thanks to:今村佳子 常木晴亮 そしてホンク・ファンの方々


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☆その後の”往復書簡”

ーー小尾

弦二さん、その後お元気でしょうか。この取材のあと3月5日に
渋谷のB.Y.Gでホンクのワンマン・ライヴがあり、すぐ次に東日本大震災が
起きてしまいました。ぼくはテレビや新聞でそれを知るしか術がなく、
また家でたまに音楽を聞いていても少しも楽しい気持ちになれない自分
がいます。やはり何か歪んでしまったような、色彩あるものがいきなり
単色になってしまったような、そんな印象を受けてしまうのです。
音楽家は音楽を作ることは勿論、聞き手へと届ける役割も担っていますね。
まずはミュージシャンとして現在の心境を聞かせていただけますか。

ーー弦二

小尾さん、ご無事で何よりです。
私は自分に何が出来るのか問いかけつつ、自分たちの日常生活の不安も抱えながら日々をすごしています。
そんな中、ラジオから聞こえてくる「励まし」や「癒し」をテーマとした歌たちを聴きたくない、という不思議な感覚を覚えます。それは災害時でなくても、もともと好きになれないものであったのかもしれません。しかし、例えばこんな時に自分が歌いたい歌が、自分の作品中にあるだろうか?と問いかけると何も思い浮かびません。
こんな時はいつも
「自分たちの歌がはたして有効なものなのか?」という思いにかられます。
被災していない自分の正直な感覚としてはむしろ、ビートルズの「シーラブズユー」やビージーズの「メロディーフェア」のような曲がラジオから流れて欲しいと思ってしまいます。
それが何を意味しているのか自分でもよくわかりません。
今、自分はミュージシャンとしての自分は凍りつき、顔も知らない被災者を見つめながらも、家族の事を考える一人の裸の人間になってしまっているような気がします。
しかし、ホンクのメンバーとも話しましたが、みんな
「自分には音楽しかない、これで何かの役に立つ方法はないのか?」という思いで一致していることも事実です。
被災していない地域は、普段よりも活発に活動し、経済も含めて日本を活気付けて行かなければとも思います。
こんな時こそ笑顔で歌って、少しでも喜びを共有する場を提供するのがプロといえるのかもしれません。
小尾さんの率直な考えを聞かせていただけるとうれしいです。

ーー小尾

弦二さん、おっしゃるように”癒し”や”励まし”の歌ばかりがラジオから聞こえてくるというのも、
巧妙に仕組まれたメディアの罠のような気がして、ぼくはラジオは聞きませんが気持ち悪いと思います。
ぼくとしてもビートルズのあの無邪気な「ツイスト&シャウト」や、駄目男の日常を描いた「ヤー・ブルーズ」
を爆音で聞きたい!という衝動に駆られます。それは後付けかもしれませんが、説明的な歌詞で納得したくない、
というぼくの思いからかもしれません。

歌いたくないときは歌わなくていいと思います。弾きたい気持ちになれないときはギターを抱えなくていいです。
むしろそうして表から遠ざかり、深く潜行することからきっと、新しい歌が生まれてくるのだと思っています。
そして歌いたくなったら、また歌ってください。曲を作りたくなったら、また曲を作ってください。

むやみに自主規制するのも馬鹿げているし、”不謹慎”という名のもとで楽しい感情やハッピーなロックンロールを
押さえ込むような動きに、ぼくも抵抗します。

それでは今回最後の質問です。

弦二さんは戸越銀座にお住まいですが、震災後の自分の町を言葉としてスケッチしていただけますか。

ーー弦二

お返事、ありがとうございます。
私の住む戸越銀座で何が起きているかといえば、
スーパーマーケットとドラッグストアに行列ができています。
そして、私が小さかったころのように、道端や商店で人と会話を交わすことが増えたような気がします。
私も含めて、原発事故や余震の影響で不安に駆られた行動をとる一方、ある種の壁が取り払われて緩やかな連帯が生まれているのかもしれません。
たとえば、子連れでスーパーマーケットのレジで並んでいるときに、見ず知らずの人から
「紙をむつはもう買いました?昨日大型店に昼ごろ行ったら、もう売り切れ間近でしたよ。行ったほうがいいですよ!」と声をかけてもらいました。
我先に食品など大量に買い込む人々が、同じ境遇の人を気遣いもする。
私もその一人であり、複雑な気持ちです。

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by obinborn | 2011-03-25 00:08 | インタヴュー取材 | Comments(2)  

Commented by のりまき at 2011-03-18 20:40 x
実はもう2年以上、小尾さんのブログ(言葉)を楽しみにして、そっと読んでいます。きっかけは、うずまきのCDを手に入れて、ホンクのことを検索してて、見つけたんだったと思います。
木下さんのインタビュー、とてもよかったです。感性が似ている人を見つけられると、自分もちゃんと生きていこうって勇気づけられますね。で、コメントしちゃおう!と思った次第。
不安な日々が続きますが、どうぞご自愛下さいませ。
Commented by obinborn at 2011-03-19 01:45
のりまき樣、読んでいただきありがとうございます!
そうおっしゃっていただけるとインタビューをした甲斐があるという
ものです ホンクのライヴなどで 声を掛けていただければとても
嬉しいです 

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