ウディ・ガスリーの歌はまるで昨日や今日のことのようだ

先日行われた中村まり&ロンサムストリングスのライヴでも一際印象的だったのが
ウディ・ガスリーの「hard travelin'」だった

中村のような若い女の子がガスリーが歌う40年代のフォーク音楽を再発見すると
いう驚きとともに 実際に運ばれてきた歌がそうした時間差をまるで感じさせないこ
とに音楽という名前の輪廻を改めて思った

むろんガスリーが歌うオクラホマの季節労働者や仕事を求めて彷徨うトレイン・ソ
ングの数々がそのまま現代の暮らしに当てはまるという訳ではないが 流れていく
汽車の窓のこちらと向こうとに個人と社会があるという認識 
そうした関係はむしろ普遍的なものだろう

とくに今回の震災で自分たちの都会的な暮らしがいかに脆いところにあるのかを
痛感した方もきっと多いはずだ それはすなわち放り出されるような感覚と言い換
えてもいい 放り出されてもなお自分の身体はそこに残っていて 今日もまた太陽は
昇るという摂理に 昔も今もない

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68年の1月にニューヨークのカーネギー・ホールで行われた第一回目のウディ・
ガスリーのメモリアル・コンサートは そんなガスリーの放浪や嘆きや抗議の歌の
数々を新しい世代が歌い継いでいくという趣向で行われた

しばらくウッドストックの片田舎で隠遁生活をしていたボブ・ディランが久し振りに
ライヴの場に現れたことでも有名なイベントでありディランにとってガスリーがどう
いう存在だったか その大きさも窺い知れることだろう 
ここでは時期的にも勿論ザ・バンドを従えて力強い演奏を聞かせている

ガスリーの息子、アーロ・ガスリーの「oklahoma hills」と「do re mi」そして
オデッタの「ramblin' round」ではライ・クーダーのスライド・ギターが聞き取れ
る ソロ・デビューの約2年まえのライは セッション・ワークに駆り出され始めた
頃だが スライド・ギターにありったけの思いを込めたここでの演奏は 
若さと荒々しさ故に感動を呼ぶ

アーロとはきっと相性も良かったのだろう ここでの共演のあとライはアーロの
アルバムに続々と参加していくし このライヴでリッチー・ヘヴンスが歌う「自警
団員」をのちにライ自らが歌っていることも不思議な縁を感じさせるものだ

自らを保護していた家族や地縁そして社会が一瞬にして崩壊していく樣を
ぼくは今回の震災で想像した  そうした状況下でこそウディ・ガスリーの歌は
生きてくる 社会という枠や地域という縛りが跡形なく崩れ去ったあとにも個は生
き残っていかなければならない そうした感覚かもしれない

いずれにしても陽は昇り陽は沈む
そのことに関してウディ・ガスリーが問い掛けてくる歌はまるでブルーズ・マンの
ように正直だ

そういえばこのライヴ・アルバムでジュディ・コリンズが歌う「so long it's been
good to know yuh」には こんなリリックが挿入されていた


     ごきげんよう お元気ですか

     家という家が埃だらけになって
     ただ一人漂っていくだけだとしても
     あなたと知り合えて良かった

     太陽に晒され ときに雷に打たれながら

     電話は繋がらないし 
     宣教師はわめくばかり
     そう、私たちは救済と罪のなかで生きているのさ

     たとえ家を失い
     それが砂に消え たった一人で佇むしかないとしても
     あなたと知り合えて良かった
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by obinborn | 2011-06-05 01:06 | one day i walk | Comments(0)  

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