中村とうようさんのこと

もう既に多くの方がご存じのように, さる21日音楽評論家の中村とうよう氏が
急逝された。

『マガジン』最新号のとうようズ・トークでも原発や君が代の問題に触れるなど
相変わらず社会派たる気骨を示しながら、 ムサビに寄贈した各種楽器のなかで
親指ピアノが今回は事情であまり数を出典出来なかったことに触れ、機会があれ
ば他の親指ピアノの面白さも知って欲しいと書かれたり、ご自身の今後の予定も
記すなど意欲を見せていただけに、飛び降り自殺という行為がぼくのなかでなか
なか像を結ばない。あれほどラテンやアフリカ音楽の生命力を語ってきた人なの
に、、、そんな感想を抱く方々も少なくないのではないだろうか。

人の心の闇は伺い知れないとはいえ、震災や原発事故や政治の混迷がどこかで
とうようさんの視界をネガティヴに覆ってしまったのだとしたら何ともやり切れない。

とうようさんの功績に関してはこれまでも多くの人が語り、これからもきっと語り継
がれていくだろうから、ここではあくまでぼくの個人史との接点を少しばかり書き出
してみたい。

やはりぼくには『ニューミュージック・マガジン』編集長としての存在感が何よりも
大きかった。

フォークやロックという”新しい”音楽の波に突き動かされるように69年同誌を創刊
したとうようさんだが、70年代も後半になりそれらが次第にコマーシャリズムに毒され 
内実を失っていくと、誰よりも早くそれらを告発する一方で世界にはフォークやロック
以外にも素晴らしい音楽があることを説き、若者たちに依って立つ場所の客観性を
促した。

ぼくなどはジャクソン・ブラウンの『プリテンダー』やウォーレン・ジヴォンの再
デビュー作(ともに76年)を聞きながら、駄目なロックにも真実があるという気持ちが
あり、とうようさんのそういう割り切り方には反発さえ覚えたものだ。のちにワールド
・ミュージックと呼ばれるブームの先駆となったのも『マガジン』ではあったが、他国の
素晴らしい音楽をただ”消費”していくだけなのでは? という懸念をぼくはどうしても
拭い去ることが出来なかったのである。それはとどのつまり日常のなかで音楽を聞く
という行為をどう捉えるのか、また精神性と娯楽性にどう折り合いを付けていくのかと
いう問題であり、自分の身近にある切実な音楽と遠い国の豊かな音楽との響き方の
決定的な違いでもあった。

それでもファニア・オールスターズのサルサに触れ、ネルソン・カヴァキーニョのサンバ
を聞きながら、少しずつ自分の視界が広がっていったこともまた事実だった。ぼくのなか
に当時も今も切り裂かれている二つの感情や自己矛盾があるとしたら、恐らくそういう
ことだろう。

今ぼくの手元には『マガジン』の78年2月号がある。 

ボズ・スキャッグスの”変節”に戸惑う故・松平維秋さんのナイーヴと頑固を往来
するような文章があり、その一方でサルサやレゲエを紹介する記事が掲載される
など、ロックを取り巻く環境が激しく変化していった時代を象徴するような内容に
なっているのだが、そうした事象を俯瞰していく(ときに啓発的な)雑誌作りや問題
提議に、ぼくはとうようさんの人となりを強く感じてならない。

ちなみに同号での「とうようズ・トーク」にはこんな文章が残されている。

「自分がいったん慣れ親しんだサウンドにいつまでも安住してしまうような、ブリティ
ッシュ・プログレなら何でもいい、ウェスト・コースト風シンガー・ソングライターなら
無条件に好き、といったタイプの聞き方がヌルマ湯につかって抜け出そうとしない
怠惰な姿勢だと言うのなら、一度ディラン・ファンになったらどこまでも彼に追従して
行く、といったタイプも同様に怠惰であるということになるような気もする。(中略)
ディランさんよ、お前はなぜこうした問題(註:ここではカリフォルニア的楽天主義を
皮肉ったドノヴァンを引き合いにしている)に対して、口をつぐんでいるのだ。自分
より上の世代に対しては『時代は変わる』と叫んだくせに、なぜその後の時代の変化
を語ろうとしないんだ」

こんなに厳しい言葉も昨今の音楽雑誌ではすっかり見かけなくなったが、ここには
音楽の聞き方をめぐる根本的な問いがあるばかりか、他ならぬとうようさん自身の
煩悩までもが行間からくっきりと浮かび上がってくるかのようだ。

パブリック・エナミーやソニック・ユースのレコードに0点を付けるなど極端な面も
あったとうようさんだが、それだけの覚悟や批評性そして何より自分の審美眼を
失わなかった証しだろう。そうした意味では極めて人間臭く、喜怒哀楽のはっきりし
た人だという印象がずっとぼくにはある。

あれは76年の春だっただろうか。日本で行われた捕鯨反対のコンサートの欺瞞を
告発し、日本とアメリカとの文明的なコンテクストなしにそうした”ヒューマン”に
共振する落とし穴を若者たちに激しく訴えた”大人”も ぼくが知る限りとうようさん
たった一人だけだった。

幅広く大衆音楽の聞き手であることに徹し、反骨精神を持ち続け カウンター(対抗)
の立場からものを言った。ぼくにはとうようさんのそんな姿が戦後を逞しく生き抜いた
オヤジのように映るのだ。こんなにスケールの大きい音楽評論家はもう二度と現れ
ないだろう。

今までありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

小尾 隆

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とうようさんが解説を書かれた『V.A/すばらしきサンバの仲間たち』(録音は76年
日本盤の発売は80年)と、文中でも触れた『マガジン』の78年2月号。表紙は
河村要助さんの描く”時の人” ボズ・スキャッグスだった。
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by obinborn | 2011-07-24 02:25 | one day i walk | Comments(10)  

Commented by ちーくん at 2011-07-24 10:15 x
私は小尾さんとまったく同年齢で、小尾さんがとうようさんの主張に対して感じていたこと(同意や異論)も含め、若造だったころに「マガジン」を媒介として極めて影響を受けました。

マガジンのレコード批評や採点を基準にレコを聴き、視点や考えをめぐらせ、自分の感性や価値を養ってようやく今があるということです。

この「事件」直後、多くの友人からショックとともにメールが送られてきました。自死という選択とは最も遠い所にいる人と皆が思っていました。一方で、これはとうようさんならではの自分の一生の決着のつけ方なのかと考えもしました。

しかし、それらがどうあろうとも、中村とうよう、そしてあの頃の「マガジン」から受けた影響と自分の土台になったものは変わらないものです。

ロックの精神は形式ではない。

ただ、この唐突な終わり方が理解できないでいます。
Commented by obinborn at 2011-07-24 11:18
ぼくもロックというフォーマット自体はもうどうでもいいと思っています
いつだったか若いコと話していて「ロックって古い音楽のような気が
します」と言われたときはさすがに世代のギャップを感じたものです
が それだけ遠い場所に来たということなのでしょうね 
それでもロックがまだ未熟だった時代の単なるセクト争いとも
また違うとうようさんの視点は 自分でも知らないうちにぼくの音楽
への接し方に影響を与えていると思っています
Commented by てるきん at 2011-07-25 18:36 x
 私は中高時代「ロッキン・オン」を購読していたので、その当時勃発した「とうようVS渋谷 論争」をリアルタイムで体験しました。
 その頃は2人とも揚げ足取りみたいな論争だなと感じていましたが、今考えて見るとコマーシャリズムや商業主義を批判する事によって逆に権威となっていた中村とうようさんに、商業主義肯定という軸をもって新たな権威となっていた渋谷陽一氏が噛みついたようなものですね。

 商業主義と言っても音楽がレコードなどの形態があることによって文化が記録&広まるわけなので、何が正しいなどと白黒つけるものではないと思います。
Commented by obinborn at 2011-07-25 19:16
江戸アケミやトーキング・ヘッズなどをめぐる両者の論争、ありましたね
詳細を思い出せないのでここでは意見を控えますが 二人ともインディ
から始まっていつの間にかある種の権威になっていったことは否定出来ません これはまあどの分野でもそうなのですが、、、
自分では昔から変わっていないつもりなのに周りがどんどん持ち上げ
ることで次第に窮屈になっていく、、、
そんな意味ではとうようさんも案外寂しかったのかもしれませんね
Commented by 路傍の石 at 2011-07-26 00:36 x
物事を見つめる視点に厳しさを、それを語る言葉に激しさを内在させる人間が疎んじられる世の中になってしまったような気がします。そのことと、とうようさんの死が関係があるのかどうかは分かりませんが、拙にはとうようさんの死の背景に生ぬるく変わり果ててしまった今の日本が妙にオーバーラップして見えて仕方がありません。

とうようさんの感じ方・生き方に衝撃を受けたかつての若者がここにいることを、天国のとうようさんに向かって叫びたい気持ちでいます。どうもありがとうございます。そして安らかにお眠りください。
Commented by obinborn at 2011-07-26 04:22
学生でも会社員でも周りとの摩擦を避けホイホイとやっていくような
人ばかりになってしまったことは事実かもしれません また音楽をめぐ
っても知識として詳しいマニアックな人は増えましたが まわりを広く
俯瞰しながらその音楽の本質をずばりと突く者は稀になってしまい
ました 批評精神が疎まれるような世の中はまさにかつての大正〜
昭和初期の不穏な空気に似ているのかもしれません
私利私欲に走る人間が(逆説的ですが今回の震災を受けて)
社会性に目覚めることを願ってやみません
Commented by てるきん at 2011-07-26 17:17 x
 私もobinbornさんの意見に賛成です。情報化時代の功罪なのか、音楽に関しても知識としてはマニアックでも大らかな接し方が不足して来ていると感じています。
 この流れは世の中全体の閉塞感とも関係していますね。
 ただ私のようにスローライフを通じて知り合う生産者(お酒・農業など)の方々は若くてもしっかりと地に足を付けながら、明確な知的好奇心をお持ちですよ。
 そういう方々と知り合う機会が多いので、その方たちが多くなればまだ日本も何とかなるのではと少し楽観しています。
Commented by obinborn at 2011-07-26 18:56
CD1枚にしてもろくに聞き込まないうちに新しく購入する
自分もかつてはそんな音楽生活をしていましたが いつしか年齢
とともにそれがひどく虚しいような行為に思えてきました
そういう意味で 人生は常に”選択”の連続なのかもしれません
いずれにせよ 情報に振り回されず自分の時間軸のなかで素直に
音楽と向き合いたいといつも思っています
Commented at 2011-07-31 22:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by obinborn at 2011-07-31 23:08
中村とうようさんが亡くなった それも自殺だったという事実を私も未だ
受け止められないでいます
きちんと物を言う そんな逞しいオヤジのような存在だったのに悲し過ぎ
ます  このまえビルの8Fまで昇り下を見下ろしてみましたが 足がすくみ
ました それを79歳のとうようさんが行ったという事実に打ちのめされされ
そうなくらいでした 

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