違和感があった 言いたいことが残った
9月19日に東京で行われたこのデモは主催者発表で5万人が集まった
と伝えられている(実際はその半分くらいというのが通例らしい)
原発反対 金か命か 人類に本当の遺産を
そんなお題目がコールされ レスポンスされていく
何ひとつ間違ってはいない いやきっと彼らは正しいのだろう
その主張も行動も恐らく何ら悪意に基ずくわけではない
それでも違和感は残った
たとえばこんな声たちが聞こえてきた 「東電カイタイ!」
解体という言葉を無神経に使って欲しくなかった
当たり前のことだが 東電の社員にもその下(註)で働く派遣社員にもバイトにも
家族がいるだろう 妻がいて子供たちがいるかもしれない
親がいて祖先たちがいるだろう
ぼくが聞いた限り「東電カイタイ!」と言うその叫びのなかに
彼らへの想像力は見いだせなかった
もう少し言おうか 何カ所かで警察との軋轢があったらしいが
デモ側の人間の命より警官や機動隊の命を低く見るような意見には
ぼくはけっして与することは出来ない(皮肉にもニール・ヤング
「オハイオ」と真逆の構図だが これもまた真実だ)
声は強く勇ましい 主張は正しく正義に満ちている
でも あたかも悪が自分たちの対岸にあるかのような見方は
少なくともぼくには気持ち悪いものとしてしか映らなかった
全共闘のノスタルジーさえそこにはあり ぼくにはアレルギーがとくに
強い問題でもある
善と悪 あるいは敵と味方を二分化して 仮想敵を見つけ出すような
やり方ではこうした行動も恐らく先が見えている
それに デモに参加しないことが無関心だなんていうレトリック(修辞)
には ほとほとうんざりさせられる
恐らくその盲目的な確信ゆえに
きっとその正義という旗ゆえに
ぼくはその光景を遠巻きに眺めるしかなかったのである
*このテキストは9月に一度UPしたものに追加と修正を加えたものです
(註)「その下」
小泉/竹中による規制緩和・新自由主義以降企業はリスクを避けるため
派遣やバイトを増やし本体をスリム化していった その結果民主主義下
での「階層化」や「使い捨て」が加速していった 原発ジプシーと呼ば
れる人たちが真っ先に犠牲になったことは3月の事故の際でも明らか
(非常にデリケートな問題を孕んでいますので白か黒かといったような
直接的な対応はご遠慮ください 真摯なご意見に関しては受け止めさせて頂きます)
by obinborn | 2011-10-27 07:10 | rock'n roll | Comments(12)
http://www.youtube.com/watch?v=K2baSCycSWk
しか〜し
あれだけのデモ行進があったにもかかわらず3秒ぐらいの報道しかなかったのがとても不思議、情報統制?情報操作?気持ち悪い
(まぁ違和感がある部分は同感、僕はキヨシロウのスタイルに賛成!)
ご意見ありがとうございます。ぼくも基本的には政治家の思惑や企業の
利益を優先させ(国民を欺いてきた)原発には反対です。それはチェル
ノブイリの頃から思ってきたことです。まずそのことを書いておきます
ね。ただ、どうやらぼくはデモンストレーションという集団行動に拭い
切れない不信感があるのです。ぼくより上の団塊の世代〜全共闘の末路
を見てきただけにアレルギーが強いとも言えるでしょう。こいつら口だけで言うこととやっていることが全然違うじゃん、と。実際デモよりも議員
に嘆願書や意見書を提出するほうが遥かに現実的な第一歩になり得るので
はないでしょうか。またデモの裏に横たわっている労組や団体の思惑にも
神経質にならざるを得ません。言うまでもなく警官の人にも東電の社員に
も愛する家族や大切な人がいます。デモする側の人々が「Save The Child
ren」と謳うのと何ら違いはありません。ぼくのシンプルな哲学とはそう
いう想像力のことです。(続く)
賢明な方であればそのような心配はないのですが、とくに自分の見解も
はっきりしないのにデモというお祭りに参加する人に関しては疑問を感じるというのが正直なところです。何故ならたとえデモという熱気が失せた
としてもぼくたちは撒かれた放射能の世界をこれからもずっと生きていか
なければならないからです。安易な連帯ではなく、たとえ一人になったと
してもあなたは戦えるのか。ぼくが9月のデモに参加していた人たちに
言いたかったのはそんなことかもしれません。解りやすい敵(東電でも
政府でも)を作ってノーと叫ぶことは簡単だし勇ましくもある。でもそういう構図だけでは、かつての全共闘と同じような道を辿ってしまいます。
原発には反対だけれどもデモには違和感を覚えるぼくの考えが少しでも
SALLYさんに解って頂ければ幸いです。