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ロング・インタヴュー、中原由貴(其の一)

 中原由貴というドラムス奏者を知る人はどれくらいいるのだろうか。
タマコウォルズでの活動はもとより、青山陽一 the BM'sのメンバーと
しても頭角を現してきた人だ。また最近ではカーネーションのサポー
ト・ドラマーに抜擢されるなど俄然注目を浴びている。さざ波のよう
にしなやかなビートを送り込める秀逸なプレイヤーなのだが、ムーさ
んという愛称で親しまれているように、本人はいたってナチュラルな
佇まい。謙虚な姿勢も崩さない。そんな中原由貴に話を聞いた。待ち
合わせた時間に遅れたわけでもないのに、駅の改札口を抜けると彼女
はぼくの名前を呼びながら、駆け足でこちらへと向かってきた。

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☆ドラム・セットに憧れて

ーーぼくが中原さんの演奏を初めて聞いたのは2010年の6月、沼袋
のオルガン・ジャズ倶楽部でのことでした。青山陽一 the BM'sのメ
ンバーとしての中原さんにまずは接したわけですが、こんな素晴ら
しいドラムスを叩く人がいるんだ!と感激しました。これは演奏を
もっと聞かなきゃいけないぞ、いつか正式にお話を伺いたいな、と       
も次第に思い始めました。まずはドラムスを始められたきっかけを
教えて頂けますか。

 「ありがとうございます。私は北九州の小倉出身なのですが、あ
れは小学校6年生の春休み、これから中学に入学するという時期の
ことでした。バンド・エイドってあったじゃないですか。「Do They
Know It's Christmas?」の。家にそのバンド・エイドのメイキング・
ヴィデオというのがありまして、それを観ていたらフィル・コリン
ズがレコーディングする場面が出てきて、彼のドラム・セットを後
ろから撮影したシーンがば~んと映ったんです。タムがいっぱい並
んでいて、わあ~、カッコイイな!と思いました。それが直接のき
っかけです。私には四つ上の姉がいまして、お姉ちゃんはデュラン
・デュランとかカルチャー・クラブとかマドンナとか当時流行って
いた音楽をよく聞いていたのですが、私はまだとくに音楽が好きっ
ていう感じではなかったんですね。ですから音楽の前にドラムとい
う形に憧れたのでしょう。それからしばらくして母が駅前にあった
ドラム・スクールを探してきてくれて、そこに通い始めました。初
日にはドラムスには手だけではなく足も使うんだ!と知って驚きま
した。その教室は大きな部屋に生徒たちを集め、みんなに教えると
いうやり方だったので、個別指導はほとんどなかったのですが、そ
の教室をやめてから先生のところを訪ねて直接教えてもらったりも
しました。一番最初の課題曲はビートルズの「Come Together」だ
ったと思います」

ーーおお、いきなりミディアム・グルーヴの極致のような曲ですね。

 「もう難しくって(笑)。先生なりに考えた意味のある選曲だっ
たのかもしれませんが、普通のパターンじゃないですよね(笑)。
それから中学の文化祭でエイス・ワンダーの「モンマルトルの森」
をやろう!ということになりました。あの頃はまだバンド・スコア
がなかなか手に入らなくって、ドラムの先生にカセット・テープに
録音した曲を渡して、バンドの全パートを譜面に起こしてもらった
んです。でもなぜかその曲をB面の頭に入れて渡してしまって、先
生はA面の頭に入ってた曲の譜面を作ってくれたんですよ。私たち
はそれに気付かず練習してしまい、やっと曲になって聞いてみると、
私たちが練習していたのはあの有名な「La Bamba」(チカーノ・
ロッカー、リッチー・バレンス59年の大ヒット。80年代にはロス・
ロボスのヴァージョンでも親しまれた)だったんです(笑)。それ
が文化祭直前だったので、仕方なく本番でも「La Bamba」をやり
ました。そんなことも懐かしいですね。小学校の時に6年間学校で
貯金をさせられていまして、それが卒業する時に戻って来たのです
が、そのお金で初めて買ったのがTAMAの黒いドラム・セットでし
た。やはりこの時点でも、この音楽はどういう音楽に影響されて出
てきたのかとか、どういう歴史を持っているのかとか、そういう深
く掘っていくような聞き方は全然出来なかったのですが、わりと熱
心に音楽を聞いていた友だちがある日、フィフティーズの曲を集め
たコンピレーション・アルバムを貸してくれたんです。そこに入っ
ていた(ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの)「Rock Around The
Clock」を聞いた時、何となくピンと来たことを覚えています。当
時はエフェクトのかかったドラムの音が主流の時代でしたから、自
分が叩いているドラムの生音に近い音を聞いて、これなら出来るか
も!と短絡的に思ってしまったんだと思います」

ーーなるほど。スウィング・ビートのお手本のようなドラムスです
ね。

 「はい。あの頃はまだ16ビートのほうが難しく聞こえがちな年齢
でしたから、シンプルななかの奥深さなどまだ全然理解出来ていな
かったんですけどね」

☆☆思い込みの激しい子供でした

ーー中原さんは子供の頃、どんな女の子だったのでしょう。

 「とにかく体が大きかったので、それで人生変わってしまったみ
たいな部分はあるかもしれません。小学校5年と6年の夏休みに身
長が10センチずつ伸びていったんです。6年生の時の身長がもう170
センチありましたから。そんな子がランドセルしょって歩いている
わけです(笑)。体はでかいし、いっぱい食べる(笑)。気は優し
くて力持ちじゃないですけれど、自然とそういうキャラになって今
現在までに至っています。小学校の卒業アルバムを後から見ても、
私だけ一人大きいんです。だから遊園地に子供料金で入ろうとする
と止められたり、バスに乗る時にも大人料金でしょと言われたりで、
気持ちはそれなりに複雑でしたね。それで次第に考え込むような性
格になったのかもしれません。でも運動も大好きで、私は剣道部に
入っていたんですよ。何でも出来る系の子供ではなかったのですが、
のめり込むと止まらないというか、打ち込んだらまっしぐらみたい
なところはあったと思います。生徒会の行事や剣道の練習で夜の8
時9時まで学校に残っていたこともよくありました」

ーーそうかあ。でも何となくムーさんらしいですね。

 「実は私、幼稚園を中退しているんです。というのもある日のこ
と幼稚園の廊下を歩いていたら走ってきた男の子と角で出会い頭に
ぶつかってしまい、その子がお弁当箱を床に落としてしまったんで
す。男の子はわんわん泣き出すし、その子からぶつかってきたのに、
先生は私のほうを叱るしで、子供心に『やってられん!』と思いま
した。今でもときどき床にばらまかれたお弁当の中身にうずらの卵
が入っていたのを思い出すことがあります、、、。それまでにもい
ろいろあったんですが、その事件を機に幼稚園の送迎バスに乗らず
に一日中遊んで、バスが戻ってくると家に帰る、という日々が数日
続きました。でもすぐ幼稚園に行ってないのが母親にばれてこっぴ
どく叱られまして、その時に理由を話して幼稚園を辞めたいと言い
ました。母親も、おまえがきちんと自分の気持ちを説明出来るのな
ら辞めてもいいよ、と言ってくれまして、母といっしょに園長先生
に電話したのですが、その先生もいい人で、これだけ自分でしっか
り考えることが出来る子なら無理に通園しなくてもいいんじゃない
か、と言ってくれたんですよ。そう言われると逆に通ってもいいか
なと思い直したりもしたのですが、その後ハシカにかかって一週間
ほどまた休んでしまい、もういいか、という感じで幼稚園には行か
なくなりました。そのぶん小学校に入学する時は恐怖でしたね(笑)。
幼稚園時代は他にも『大事なものは身につけて持っていなさい』と
言われるとお遊戯の時間にまで肌身離さず持っていて怒られたり、
『今日はお遊戯の時間があるのでできるだけ早く着替えましょう』
と言われると朝から着替えて待っていたりと、かなり思い込みが激
しいというか、バランスが悪い子供だったかもしれません」

☆☆☆ドラマーへの道

ーードラムスの練習はどんな風になさってきたのでしょうか。

 「大学時代は基礎練をよくしていたと思います。家でも膝に巻く
ゴム製の練習台でスティック練習をしたりしていたのですが、最近
はスタジオに入ってみんなといっしょに練習するのがやっぱり好き
だなあ、というのを理由にして個人練習はサボり気味です(笑)。
でも個人でスタジオに入らないとできない練習もありますからねえ。
細かいことになりますが、私の場合右利きのせいもあるのかもしれ
ませんが、左手と右手だとどうしても右手の力のほうが強いんです。
そのぶん左手が主導権を握れないというか、左手から演奏をスター
トさせることが出来ないので、左が単なる右の補助になりがちなん
です。たとえばタムを回していくフィルなんかで最後がフロア・タ
ムになるような場合だと、そのまま左手でシンバルを叩けば位置的
にも一番いいわけじゃないですか。でも私は右でヒットしてしまう。
裏の拍にハイハット・オープンを使う時も、私はわざわざ右手を持
っていってしまう。(東京ローカル・ホンクの)田中クニオさんな
んかを見ていると、左右を両方きれいに使い分けておられますよね。
凄いなあ、と思います」

ーー筋トレとかはどういう風にするのですか。

 「左手をもっと強くするために左手だけでドリブルの練習をした
り、砂を詰めた一升瓶を左手で毎日振っていたこともあります。
でも、それも私が思い込みで始めたことなので、たぶんきっと何の
役にも立っていないと思います(苦笑)。大学時代にすごく風変わ
りな、でもものすごく教えるのがうまい人がいて、その人は大学の
ビッグ・バンドを教えに来ていた卒業生で、ゴダイゴのプロデュー
サーなどをなさっていたジョニー・野村さんなのですが、私が部室
で練習しているとひょこっとジョニーさんが現れて、『左手が死ん
でいるからこうやって叩いてみてごらん』とか『ここでこの音を抜
いてみると左手がもっと自由に動くようになるよ』とか、目から鱗
が落ちるようなことをたくさん教えてくれました。当時は意味が解
らなくって数年後に『あっ!ジョニーさんが言っていたのはこうい
う意味だったのか!』と思ったこともたくさんあります。私の場合
はとくにドラムの師匠と呼べるような人はいないのですが、ジョニ
ーさんには本当にいろいろなことを教わりました」

(其の二に続く)

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タマコウォルズの仲間たち
左から佐藤”sugarbeans"友亮(kbd,vo) 中原”moo"由貴(ds,vo)
西池崇(g,vo)   河野薫(b,vo)   鳥羽修(g,prod,mixing)   高橋結子(perc)

ロックやファンクのイディオムを、六人編成という大所帯ならではの剛胆な
バンド・サウンドのなかに溶け合わせた彼らの演奏はまさに圧巻!
下記は2010年の3月に発売された彼らの最新アルバム『Hog's Babble〜a sequel
to dogear era』 詩情溢れる「アイビー」では中原が可憐な歌声を届けている。

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by obinborn | 2011-10-28 22:45 | インタヴュー取材 | Comments(2)  

Commented by NOAH at 2011-12-06 19:22 x
インタビューを読んで
バンドの音を聞いてみたくなり
CDを探して先日ようやく手に入れました

いきなり「日本のバンドじゃない」リズム
洪水のようなビート気が付いたら
3回聴いていました。

今の聴き方は
AllmansやDEADと同じように
ただなにも考えずに流すように聴きこんでいます

教えていただきありがとうございました
Commented by obinborn at 2011-12-06 19:38
ノアさん! インタヴューを読んで頂きありがとうございます
きっと中原さんも喜んでくれることでしょう 性格の良さなんて短期間で
決めたりするものではないけれど ぼくは直感でいい子だなあ〜と思いました
タマコウォルズの剛胆なグルーヴをノアさんと共有出来て嬉しいです
こういう出会いのコメントは とくに嬉しいなあ〜^0^

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