原発には愛がない
左翼系の反原発デモが安易な”感情移入”とともに語られるのであれば
右からの視点の反原発の声にもバランス良く耳を傾けておかなければと
思ったからです
私はけっして右翼ではありませんが 左翼系のデモが憲法9条や労組や
環境団体とセットになったいわば”呉越同舟”であることを懸念しています
以前テキストに書かせて頂いた違和感の正体もどうやらここら辺にありそう
です
ありていに言えば 立派な職業である警察のことをケーサツなどと揶揄する
人たちや 国防に尽くす自衛隊に関して皮肉的に「自衛隊に入ろう」などと歌う
フォーク歌手たちを 私はどうしても好きになれないのです ことさら”人権”
を振りかざし大きな声を上げる人たちの こうした想像力のなさはあまりにも
傲慢過ぎます
右翼というとどうしても怖いというイメージを抱く人もいるでしょうが
健全な保守思想が戦後の日本を支えてきたということは無視できない事実だ
ということを 私も次第に学んでいきました
新右翼団体の一水会に関してもいろいろ意見は分かれるでしょうが
少なくとも彼らの声を聞いておくべきだと思います
そして反原発に左翼も右翼もありません
by obinborn | 2011-12-07 23:56 | rock'n roll | Comments(5)
に被害はない」なんて、政治家の「大変遺憾に存じます」と同様に何も言ってい
ないのと同じ無責任さを感じてなりません。こうした現状を踏まえると、私も多
少の左翼アレルギーには目を瞑って、もっとシンプルにデモに参加してみようか
なとも思ったりもします。実際、デモがまったく行われないような管理社会にな
ってしまったら不気味だという認識もあります。多くの人々が原発への問題意識
を持ちつつ、明日の学校、明日の職場、明日の生活ということを考えた場合、身
動きが取れないのが(私を含めての)現状だと思いますが、それではより大きな
ものを失うというそんなギリギリの局面に差し掛かっているのでしょう。左翼の
ふがいなさの受け皿として新右翼が機能している側面に関しては冷静に認識して
いますが、本当に反原発に左も右もありませんよね。(続く)
頂くと、中学の時にテレビで見た浅間山荘事件が決定的でした。美辞麗句を並
べたり、理論武装をするだけの人たちも大嫌いです。そうした過去の反省から
私は普通とは何か?ということを考えていったのです。当然”普通”の暮らしを
享受するには国防のことも考えずにはいられません。最後に脱線してしまい申し
訳ありませんが、私の左翼アレルギーの一端をこれでお解り頂ければと思い、あ
えて最後に記してみました。何故なら人は理論で動く生き物ではないからです。
また何かありましたら、遠慮なく書き込みをお願い致します。
脱原発に向けて素朴な疑問と切実な気持ちで取り組んできた(学生運動を知らない)私たちも世間のあまりの無関心さにちょっと疲弊してきています。まったく興味を持たない人も面白そうと思ってもらえるよう楽しくやってきたつもりでいたのですが…。でも、やらないまま、知らないまま原発に荷担するよりはずっといい。できる限り私は続けていきます。
本当はこんなカタイ人間ではないんですよ。「ベアズヴィルの録音ってなんでこんなカタイんですかね?」なんて話をしながら、呑みたいものです。本当にありがとうございました。