追悼:ジョニー・ペレス
長年サー・ダグラス・クィンテット(SDQ)のドラマーとして活躍してきた人であり、
ダグ・サームとは故郷テキサスのサンアントン時代からの付き合いだった。
(初代64年頃のSDQ Lto R:Doug Sahm,AugieMeyers,Johnny Perez,Jack Barber
and Frank Morin)
やがてSDQはプロデューサーのヒューイ・P・モーの助言もあって、全国区を目指す。
新たにサンフランシスコを拠点とした彼らは「She's About A Mover」を65年の4月
に全米で13位の大ヒットに。この曲はビートルズ「She's A Woman」(64年11月)
の翻訳とも言われたが、マラカスの響きをブリティッシュ・ビートに溶け合わせた
ゴキゲンなナンバーだった。アメリカ人のグループだと思われないようにメンバー5人
のジャケット写真をシャドウにしたというファースト・アルバムに関する顛末は、
当時のブリティッシュ・インヴェイションの影響力を伺わせる微笑ましいエピソード
だろう。
その後のSDQは「The Rains Came」を66年の3月に31位に、シスコ北部の地名を歌
い込んだ「Mendocino」を69年の3月に27位のスマッシュ・ヒットとした。バンドは
71年前後に一旦解散し、失意のもとダグはサンアントンに戻りソロ活動へと駒を進めて
いったが、いつしかSDQは再結成され80年代に入ってからも優れたアルバムを連発して
いく。
それらのすべてのアルバムでジョニー・ペレスがドラムスを叩いていたわけではないが、
例えば83年にタコマから発売された彼らのライヴ・アルバム『Live:Texas Tornado』
などでは、ペレスのしなるような素晴らしいドラミングが味わえる。ダグの相方となる
ドラマーとしてはジョージ・レインズやクリーデンス出身のダグ・クリフォードの名前
も思い起こすけれど、オーギー・マイヤーズが奏でるVOXオルガンと同期しながら無駄
のないタイコを叩いていた人としてジョニー・ペレスのことが忘れられないし、ダグに
してみてもソロの時は職人肌のジョージ・レインズを雇い、SDQであればやはりジョニ
ーに託すといった本能的な勘があったのではないだろうか。後年ガレージ・ロック愛好家
からも再評価されるようになったSDQだが、音数もシンプルなジョニーのスタイルは
まさにガレージ・ライクと言えるだろう。
振り返ってみれば、テックス・メックスのロック版を初めて私に教えてくれたのが
サー・ダグラス・クィンテットだった。そのことはバディ・ホリーの「Words Of Love」
に溢れるメキシコ風味を発見したとか、キングスメン「Louie Louie」の
終わらないビートにリッチー・バレンスの「La Bamba」と共通する匂いを感じたとか、
そういう後から学習したものではなく、もう少しだけ身近に寄り添ってくれるものだ
ったと思う。
(69年の12月にリリースされた『5時過ぎに集合!:Together After Five』から
L to R :Augie Meyers, Frank Morin,Sir Doug,John Perez and Harvey Kagan)
猛暑がまだまだ続いている。思わず冷房を入れたいくらいだ。
私は今、部屋のレコード棚からSDQ一連のアルバムを取り出してきて、
ジョニー・ペレスのドラムスを聞いている。
(83年のアルバム『Quintessence』より。L to R :Augie,Doug,Johnny,Louie
Ortega and Speedy Sparks なおチカーノであるルイ・オルテガは70年代に
Louie and the Loversを率い、ダグのプロデュースでエピックにアルバムも
残した)
by obinborn | 2012-09-14 00:23 | rock'n roll | Comments(0)