虹のような人、佐野元春へ
ら広がっていく果てることがない光景に思い
を巡らせたくなる。そんな感想を抱く聞き手
たちは、きっと星の数ほどいるに違いない。
07年の春に発表された素晴らしい『Coyote』
アルバムは勿論のこと、ここ数年行われてき
た佐野と仲間たちのライヴ・ツアーを見渡し
てみても、そのことを改めて実感せずにはい
られない。最初はいささか漠然とした感想に
過ぎなかったものが、次第に輪郭を描き出し
ながら、最後には佐野元春という像をくっき
りと結んでゆく。音楽を聞いてきて良かった
と思える瞬間が、これだ。
溢れ出る言葉たちを奔放に投げ込んでいく
「アンジェリーナ」を携えて佐野がレコード
・デビューしたのは、忘れもしない80年3月
のことだった。70年代までの日本のシーンを
振り返ってみると、例えばはっぴいえんどか
ら派生していった新しい流れが、シュガー・
ベイブの誕生を鮮やかに告げるなど、幾つか
の興味深い動きがあったとはいえ、これはま
るで自己憐憫ではないかと思わせたり、類型
的な情緒に流された歌が一般的にはまだまだ
多く、時代の空気も鬱屈し諦観に覆われてい
たように記憶する。はっぴいえんどの歌世界
でさえ、「です・ます」調で書かれた文体は、
他者と結びつくことよりも人との距離を推し
量るような匂いが立ち込めていた。ちなみに
佐野ははっぴいえんどの音楽に関して、共感
と同時に苛立ちも覚えたと、アンヴィヴァラ
ントな心情を吐露したことがある。
そんなややシニカルで冷笑的な時代状況の
なかに突如として現れた佐野元春の音楽は、
いわば荒れ果ててしまった土地に雨を降らせ
るような、朽ちてしまった水路に清らかな水
を撒いていくような、汚れた街のなかに花束
を投げ込んでいくような響きがあった。そん
な意味で彼は向こう見ずな冒険者であり、時
代を見つめる先行ランナーであり、夢を取り
戻そうとする理想主義者だった。そして何よ
りも佐野が作る歌の主人公たちは、生き活き
と動き回ろうとしていた。「アンジェリーナ」
に浮かび上がる”シャンデリアの街で眠れずに”
いる彼女がそうだった。「ダウンタウンボー
イ」で夜を抱きしめながら”すべてをスタート
ラインに”戻そうとしている彼がそうだった。
ことさら大上段に空疎なメッセージを掲げ
るのではなく、佐野はある種の切迫感ととも
に歌の主人公たちに生命を与えていった。一
見平易な言葉の連なりが、激しく叩き付ける
ようなビートに導かれて、突然キラキラと輝
き始める。ロック音楽が生み出すそんな虹の
ような時間の共有こそが、佐野元春を体験す
るということに他ならなかった。それは言葉
を換えれば、佐野が一人の聞き手として60年
代から70年代にかけてロックから授かってき
た青年期の蓄積でもあったろう。だからこそ、
景色をどんどん塗り替えていくような感動を、
彼は自分の音楽で恩返ししようとしたのでは
ないだろうか。本人に確かめたわけではない
けれども、もし今度彼と会ったなら、一度訊
ねてみようと思っている。
バディ・ホリーの無邪気でウキウキするよ
うなビート。ビートルズが切り拓いていった
チャレンジングな精神とユーモア。ザ・バー
ズの朝露のようなギター・アンサンブル。マ
ンフレッド・マンの気取り。ランディ・ニュ
ーマンの観察。ボブ・ディランの動き出して
いく言葉たち。それらに対し、佐野は少なか
らず影響を受けながら敬意を払い続けてきた。
そして彼は自分のサウンドスケープに関して
も妥協をけっして許さなかったが、音の建築
士としての側面が意外にもあまり語られてこ
なかったのは、明晰な発声と情熱的なヴォー
カルで運び込まれた言葉たちが、まず何より
も聴衆の心を捉えた結果故だったと今にして
思う。しかしながら「コンプリケイション・
シェイクダウン」でのヒップホップへの早過
ぎた取り組み、「クリスマス・タイム・イン
・ブルー〜聖なる夜に口笛吹いて」で見せた
ラヴァーズ・ロックへの気の利いた挨拶、あ
るいは普段のポップ・フィールドとは別に深
めていった黙示録的なスポークン・ワーズ(
詩の朗読と音の融合)といった先鋭的な試み
は、シーンの開拓者としてこれからもっと評
価されて然るべきだろう。
音楽キャリアの30周年を祝した今回の『ソ
ウルボーイへの伝言』は、18の曲を佐野自身
が厳選したものとなっている。こうしたベス
ト・アルバムは過去にも幾度か発売されてき
たが、今度もまた最終的に選ばれた曲たちは
単に納得出来るというレベルにとどまること
なく、曲と曲とが緊密に補完し合いながら、
優しく響き合いながら、新たに逞しい流れを
生み出している。そんな意味ではアルバムの
表題にある”伝言”というニュアンスを、どう
か汲み取っていただきたい。感傷に溺れない
爽やかな郷愁とともに聞くのも悪くないし、
初めて接する方々には出来立ての”新譜”と
して映ることだろう。いずれにしても佐野は
それだけ長い旅をしてきた。それと同じよう
に聞き手たちも多くの歳月をやり過ごしてき
た。そして佐野はたとえどんなに困難なとき
でも、聞き手たちとのつながりを求めてきた。
”約束の橋”を架けることを、けっして忘れ
たりはしなかった。
選ばれた18曲のなかには、「アンジェリー
ナ」「99ブルーズ」「ヤングブラッズ」
といった、今でもライヴの場で頻繁に歌われ
るナンバーもあれば、「ガラスのジェネレイ
ション」のように演奏されなくなって久しい
ものもある。また「ダウンタウンボーイ」
のように、ときどき思い出したように採用さ
れ新たな生命が吹き込まれていく歌もあれば、
聞き手のそれぞれの旅のなかで成長していっ
た「サムディ」や「レインボー・イン・マイ
・ソウル」といった曲もある。重苦しい時代
に向けて差し出された「欲望」は、その苦悩
と葛藤故に感動を呼ぶことだろう。それらの
どれもが経年劣化することなく、未だにリア
ルな感触を伴っていることに驚かされる。未
来への予感に震えつつも、誓いの感情がそっ
と運ばれていく「情けない週末」はどうだろ
う。その瑞々しい青年の眼差しは、まさに時
という試練を乗り越えている。そして終盤に
置かれた近年の二つの名曲「君の魂、大事な
魂」と「君が気高い孤独なら」を聞くとき、
佐野の音楽が初期からずっとしっかりとした
結び目を作りながら、あなたに語りかけ、暗
闇を照らし出そうとしていることに気が付く
はずだ。
今なお全国規模で行われる佐野元春のライ
ヴ・コンサートに足を運ぶとき、誰もが実感
するのが、その客層の幅広さだ。彼とともに
歩んで来た初期からの熱心なファンや、音楽
が奏でられる場所へと再び戻ってきた久しぶ
りの聞き手ばかりではなく、”大人になった”
彼らや彼女らの子供たちが、その音楽を発見
していくといった機会が、次第に増えつつあ
るのだ。それは単に親と子の心温まる風景に
とどまらず、佐野の歌が持っている核の部分
が世代を超え、時代に楔を打ち込むような力
を持っているからではないだろうか。
また音楽の現場でも、片寄明人、深沼元昭、
小松シゲル、高桑圭らが密度の高い演奏で佐
野と積極的に関わったり、堂島孝平やスガシ
カオらが佐野へのリスペクトを惜しげもなく
表明するなど、近年はとくに若い世代からの
支持が集まっている。それもこれも、佐野が
悲観論者にならず、歴史の傍観者にもならず、
ときとして既存のシステムと激しく闘いなが
ら、自主独立の精神と友へと差し伸べる手を
忘れずに生き抜いてきたことへの、限りない
共振が、佐野の名前を呼んでいったのだ。
そう、支流がやがて大河へと辿り着くように。
佐野元春が歩んできた30年は、砂漠のなか
に眠っている水脈を掘り起こしていくような
作業の連続だった。もっともらしい絶望より
は、手のひらに残っているはずの希望を見つ
め、選び取りながら。たとえ一人暗くて深い
井戸に落ちてしまいそうなときにも、”君”と
のつながりを強い気持ちで求めながら。彼の
音楽はいつもそんな強固な意志を秘めている。
佐野元春はきっとこれからも、昨日のように、
今日のように、そして明日のように歌ってい
くことだろう。
2010年の夏に。
小尾 隆
*このテキストは佐野元春のベスト・アルバム
『ソウルボーイへの伝言』(ソニー2010年)
のライナーノーツとして寄稿したものです。
あらかじめご了承ください。
by obinborn | 2012-10-15 00:03 | rock'n roll | Comments(0)