People's People

 もうかなり昔のことになってしまうが、
80年代前半に八王子でお店を構えていた
田圃鈴レコードにはちょっとした思い出
がある。九州で通販を営まれていた船津
潔さんがいよいよ東京に進出されるとい
うことで、これはご本人にお会い出来る
ばかりか、多量のレコードも実際に手に
取って見れる機会だと思い、ぼくはある
土曜日喜び勇んで多摩地区まで出掛けて
いったのである。

 八王子の駅を降りてしばらく歩いたの
ちにやっと辿り着いたそのお店は、正確
には船津さんが借りられていた民家のな
かの一室であり、「まあ、どうぞどうぞ」
と招き入れられたぼくは、普通の家に入
るように玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩き、
レコードが整理され陳列された部屋を訪
れたのだった。隣の部屋にはまだ乳飲み
子だった娘さんをあやしている奥様の姿
もあり、こういう生活をしながらご商売
をなさっている船津さんを少し羨ましく
もなった。何より慌ただしい都心ではな
く、ちょっと見渡せば立派な山々がある
土地なのがいい。

 実はこの訪問にはいささか間抜けなエ
ピソードがある。一通りLPレコードを選
び終えて会計をしようと思い、ジーパン
の尻ポケットを探ったぼくは一瞬にして
蒼褪めた。そう、今日のために貯めたお
札を入れた財布がどこにも見当たらない
のである。そんなぼくを不憫に思ったの
だろうか、船津さんは何と「せっかく来
てくれたんだからレコードを持って行き
なさい。お金は後でいいから」とおっし
ゃってくださったのだ。

 後日その財布は見つかり、勿論会計は
無事済ませることが出来たのだが、その
安心感よりもあの日の何とも言えない切
なさを鮮明に覚えているのは、ひとえに
船津さんの心遣いゆえだろう。財布を拾
って連絡を頂いた方にしても偶然かどう
か、とても立派な方で、八王子のお住ま
いに伺ったところ、奥様ともどもぼくを
居間に迎え入れ、お茶まで出してくれた
のだった。夕暮れ時のテーブルは陽射し
が弱まりつつあったが、温かいものが残
った。

 財布を落としたあの日は半ば泣きそう
な思いで江古田のアパートまで帰ったの
だが、その日持ち帰ったレコードのこと
をそろそろ話してもいいだろう。それは
アンドウェラの70年作『People's Peo
ple』。ソングライターであり、グルー
プのリーダーであるデイヴ・ルイスの才
能が土臭いサウンドのなかで開花した、
言わずもがなの名作である。今でもこの
アルバムを聞くと、あの日船津さんと交
わした会話や、拾い主の方のお顔、そし
て八王子のなだらかな街並などをふと思
い起こす。

 歳月が経ち、このアルバムがCDにな
った時、たまたまぼくはライナーノーツ
を担当することになった。以上のエピソ
ードはあまりに個人的なことだったので
文中ではあえて触れなかった。それでも
『People's People』は今なお、あの日
とともにぼくのなかで生きているのだっ
た。

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by obinborn | 2012-10-19 15:54 | one day i walk | Comments(0)  

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