Joujouka

 奥山和典さんと先日ブリティッシュ・
ロックについて語り合ったトーク・セッ
ションは実に楽しかった。その席でも話
題になったのは、イギリスはシェイクス
ピアの国だよなあとか、大英帝国として
植民地政策を執ってきただけに、その裏
返しとして異文化に対する畏れがあるん
じゃないかとか、そんなことだった。演
劇的な要素はキンクスやファミリーある
いはクィーンなどの諸作にも見て取れる
のだが、今回はもう一方の異文化に対す
る畏れのほうの話に絞ってみたい。

 ローリング・ストーンズがブラック・
・ミュージックのコピー・バンドとして
出発したことはご存知の通りだが、そも
そも60年代の初期からイギリスの若者が
ブルーズやR&Bを演奏するということ自
体が特殊というか、かなり尖っていた行
為だったことは容易に想像出来るはず。
彼らの親世代がデヴィルズ・ミュージッ
クとして忌み嫌ったという話も当時の時
代状況を考えれば、それなりに納得出来
よう。

 元々ストーンズはブライアン・ジョー
ンズがアレクシス・コーナーズ・ブルー
ズ・インコーポレイテッドのもとで演奏
していたところに、ミック・ジャガーや
キース・リチャードがやってきたという
経緯がバンドの前史となっている。ブラ
イアンはスライド・ギターの名手であり、
当時エルモ・ルイスという渾名でエルモ
ア・ジェイムズ風のスライドを弾いてい
たとか。

 そうしたブルーズやR&Bへの理解で
あれば、アニマルズ、ゼム、スモール・
・フェイシズ、プリティ・シングス、
ダウンライナーズ・セクトなど同国の
グループによっても示されるわけだが、
ブライアンが特別だったのはさらに第
三世界の音楽へと分け入っていったか
らだろう。インドの弦楽器であるシタ
ールを取り入れた「黒く塗れ! Paint
It Black」や、恐らくアフリカに起源が
あると思われるマリンバという打楽器
を打ち鳴らした「アンダー・マイ・サ
ム」などは、ブライアンの音楽的興味
がブルーズとR&Bに留まることがなか
ったことを早い時期から指し示してい
る。

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 ブライアンにとって一大エポックと
なったのが、モロッコへの旅だった。
何でも彼は65年に始まり計5回ほど
もモロッコの地を訪れていたというか
ら生半可な思い付きではなかったのだ
ろう。そしてブライアンにとってモロ
ッコへの最後の旅となった時、現地の
部族の音楽がテープに採集され『ジャ
ジューカ』として残されたことは、ぼ
くたちにとっても幸運なことだった。

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 打ち鳴らされる変拍子のパーカッシ
ョンとチャルメラのような吹奏楽器か
ら成る『ジャジューカ』を聞いている
と、西洋の音楽とはまったく異なる
魔界へと引き込まれてしまう。その
打楽器にしても笛にしても複数による
重層的な響きがあることや、ゴスペル
のコール&レスポンスのような歌声と
混ざっていくことが、より集団音楽と
してのトランス感を高めている。

 思えばストーンズが「悪魔を憐れむ
歌 Sympathy for the Devil」でガー
ナ出身のパーカッション奏者、ロッキ
ー・ディジューンを迎えていた時期と
も重なるのが、ブライアンのこうした
アフリカ志向だった。そのロッキー
と同じガーナ出身のリー・ボップ・
クワバがトラフィックに加わること
も興味深い現象だったが、いずれにし
ても一人のイギリスの若者が、異文化
に触れ、畏れを抱きつつ見つめたもの
が、この『ジャジューカ』にはまるで
置き土産のように、夢の跡地のように
詰まっているのだった。

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by obinborn | 2012-10-26 02:02 | one day i walk | Comments(0)  

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