ジャコとジョニ、ベースと歌。

  昨日の飲み会でもベース奏者のミワさん
(福岡史朗バンドなど)と話したことなの
だけど、個々の楽器の立ち位置みたいなも
のって案外難しい。とくにベースの場合、
本来の役割はあくまで脇役というか屋台骨
に徹することが要求されるだけに、いかに
禁欲的になるかが問われるポジションでも
あるだろう。そんなことをビル・ワイマン
からジャコ・パストリアスまでを引き合い
に出しつつ、彼と交わした会話は楽しかっ
た。

 ベースに限らずギターやドラムスに関し
ても言えることだが、ぼく個人としても
テクニックをひけらかすようなタイプのプ
レイヤーはあまり好きにはなれない。これ
はぼくが基本的に歌モノ、つまりソング・
オリエンテッドな音楽を好んでいることと
も関係しているだろうし、ジャズやフュー
ジョンなどインストゥルメンタルのパート
に比重が置かれた音楽の場合であれば微妙
にニュアンスは違ってくると思うのだが、
歌という主役をもり立てながら、音楽と
いう絵画をトータルにデザイン出来る人が
どうやらぼくは好きみたいだ。そういえば
イアン・マクレガンに取材した時も、彼
は「ベーシストは他の音に隠れるくらいで
ちょうどいいんだよ」と語っていたっけ。

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 ジャコ・パストリアスはその天才性と
それ故の破滅願望で知られたあまりに伝
説的なベーシストだ。彼の場合ウェザー・
リポートを筆頭にベースをリード楽器の
領域にまで高めた革新的な人なので、こ
こまで語ってきたぼくの好きなタイプの
演奏者というわけでは必ずしもないのだ
が、そんなぼくのような聞き手すら捕ら
えて離さない魅力がある。

 ジョニ・ミッチェルの76年作『逃避行
Hejira』は、そんなジャコが脇役に徹し
ながらも自己主張をするという得難いア
ルバムだ。広い音域を自在に行き来する
スケール感や得意のハーモニクス奏法、
あるいはダイナミックかつ柔らかな表情
の音色など、ジャコだな〜とすぐ解る個
性もさることながら、一方で主役のジョ
ニを常に見守るかのような抑制されたタ
ッチは思わず息を呑むほどで、凍て付い
た冬の大地を思わせるジョニの静謐な歌
世界に影のように寄り添ったり、かと思
えばアクティヴな展開で静と動の対比を
際立たせたりと、一筋縄では行かないプ
レイを聞かせている。

 この『逃避行』でのジャコをよほど気
に入ったのか、ジョニは77年の『ドン
ファンのじゃじゃ馬娘 Don Juan's R
eckless Daughter』、80年にリリース
されたライヴ作『シャドウズ・アンド・
ライト』など、ジャコとの共同作業をど
んどん推し進めていく。とくに優れた映
像作品も残された『シャドウズ・アンド
・ライト』はギターにパット・メセニー
が帯同したこともあって、ひとつの頂点
ともいえるクオリティの高いバンド・サ
ウンドを味わえるのだが、その序章とな
ったという意味でもこの『逃避行』はや
はり記念碑的なアルバムに違いない。

 自身のリーダー・アルバムではややも
すればテクニックの披露に走りがちなジ
ャコが、ジョニ・ミッチェルという介在
者を立てることで冷静に、ときに厳しく
自分の演奏を見つめている。そんな彼の
眼差しがしっかり感じ取れる。束の間の
安らぎを描いた「ブルー・モーテル・ル
ーム」ではチャック・ドマニコのウッド
・ベースが部屋の気配をそっと仄めかす。
その曲が終わると再び旅へと誘うような
「リフュージ・オブ・ザ・ロード」が始
まり、ジャコのエレクトリック・ベース
もまた野生児のように、コヨーテのよう
に、大地をどこまでも駆け巡っていくの
だった。

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by obinborn | 2012-10-28 10:56 | one day i walk | Comments(0)  

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