ジングル・ジャングルの朝に連れていっておくれ

 昨日に続いてボブ・ディランのカヴァー
・ソングの話をしよう。今日は何とゴスペ
ルに生まれ変わったディラン・ソングス集
『Dylan's Gospel:The Brothers And Sisters』
をご紹介したい。

 71年頃にルー・アドラー(ママス&パパ
スやキャロル・キングを手掛けている)の
ODEレーベルから発売されたこのアルバム
は大人数のゴスペル・クワイアがディラン
の曲を歌ったもので、アドラーの指揮下に
集まった歌手のなかには、オードからソロ
・アルバムも出しているメリー・クレイト
ンを始め、グローリア・ジョーンズ、クラ
イディ・キング、シャーリー・マシューズ
などスワンプ・ロックのコーラスで起用さ
れる馴染みの顔ぶれもいる。グローリア・
ジョーンズは昨日取り上げたジェリー・ガ
ルシア・バンドでも歌っていた黒人女性シ
ンガーだ。

 公民権運動をベースにした「時代は変わ
る The Times They Are A Changing」
を筆頭にして全編力強い男女混声の合唱が
味わえるのだが、ディランという個人の歌
が複数の人間によって歌われることによっ
て広がりを得ている点が何よりのポイント
だろう。そういう意味では「時代は変わる」
同様に公民権運動を仄めかした「自由の鐘
Chimes Of Freedom」の選曲は、白人が
作った歌がブラック・ピープルによって親
しまれるという音楽ならではの交差点があ
り、一種の高揚感を醸し出している。ハッ
ピー・トラウムのギターとディランだけだ
った「アイ・シャル・ビー・リリースド」
にしても、ここではまるで主語が「私」か
ら「私たち」に生まれ変わったような印象
さえ抱かせる。

 その一方で「レイ・レディ・レイ」や
「今宵はきみと I'll Be Your Baby Tonight」
といった個人の動機に基ずくラヴ・ソング
に関しては、もうひとつ伝わるものが少
ないと思ってしまうのは、ぼくが基本的に
シンガー・ソングライターという個的な表
現を好むことともきっと繋がり合っている
のだろう。ディランが歌詞のなかで”今日
のぼくは昨日よりも若い”と歌う自伝的な
「マイ・バック・ペイジズ」にしても、
見つめる過去が個人によって異なるもの
を一緒くたに”合唱”してしまった苦さのよ
うなものが残ってしまう。去っていく恋人
をGirlとWomanとの間で煩悶する「女の如
く Just Like A Woman」に於いては、言わ
ずもがなだろう。

 それでもこのゴスペル集はちょっとした
閃きに満ちていると思う。個人的なIの歌を
複数形で歌うことの喜びや矛盾も含めた上
で、ちょっと違ったやり方で歌が辿ってい
く航路を見渡せる。そんなことに気が付く
のは少なくとも悪いことではあるまい。

 ”ぼくには行く宛なんかないのさ。だから
きみのジングル・ジャングルの朝に連れて
いっておくれ”と歌われる「ミスター・タン
ブリンマン」の鮮烈さはどうだろう。ザ・
バーズが高らかにリッケンバッカー・サウ
ンドを打ち鳴らせたヴァージョン同様に、
このゴスペル・シンガーズの歌もまた、ぼ
くを見知らぬ土地へと旅立たせてくれる。
フェイド・インから次第に広がっていくコ
ーラスが素晴らしいし、その片隅ではタン
バリンの音が一人ひっそりと聞こえてくる。


e0199046_23513915.jpg

[PR]

by obinborn | 2012-11-01 00:05 | one day i walk | Comments(0)  

<< スティーヴ・ウィンウッドの光と影。 ガルシアによって運ばれたディラ... >>