Stood Up

 ジョン・ハイアットに「Stood Up」という苦渋に満ち
た歌がある。そう、彼が酒と薔薇の日々ならぬアルコー
ル&ドラッグに塗れていた過去と決別した87年の起死
回生作『Bring The Family』に収録されていた曲だ。そ
こではライ・クーダーによるメキシカン・ボレロ風のギ
ターがそっと寄り添いながら、歌の主人公はこう呟くの
だった。「ぼくが飲んだくれていた日々はもう昔のこと
なのさ」

 他ならぬぼく自身にも苦い体験がある。あれは2006
年から2007年にかけての頃。長年の会社生活でストレ
スを抱え、苦境に立たされていたぼくは案の定というべ
きかお酒に走った。その量といい恒常性といい半端では
なかったと思う。そのあげく体までボロボロになり、挙
げくの果てにはとあるバーの椅子から転げ落ち、深夜に
病院へと担ぎ込まれるという失態まで犯してしまったく
らいだった。

 そうした渦中にいる時は当の本人でさえ置かれた事態
や深刻な状況をなかなか判断出来ないのだから、ややっ
こしい。そういえば帰りの電車のなかで同じ酔い漢と言
い争いとなり、警察沙汰になりかけたこともあったっけ。

 ぼくはジョン・ハイアットほど強い人間ではないから
今もお酒をたしなむけれど、むやみと飲酒に頼る日々は
もう終わった。それは現実として年齢に無理が効かなく
なったこともあるだろうし、あの悪夢のような日々を二
度と繰り返したくないという思いからでもあるだろう。
そして肝心なことは、もう文章が書けなくなるのではな
いだろうかという疑念や恐怖さえ抱くようになったから。

 毎朝や毎夕のウォーキングを心掛け、実行するように
なったのは、09年の正月に他界した父のことも少しは関
係するのだろうか。あるいはそれは単なるこじつけなの
かもしれないが、少なくとも過度の飲酒生活はもう終わ
った。それはどこか、青年期の終わりを受け止めること
にも似ていた。

 そういえば低迷期のジョン・ハイアットは最初の子供
が生まれた時も、一人メキシカン・レストランの床で這
い転げていたという。悲劇的なことに彼の最初の妻はそ
んなハイアットを苦に自殺してしまうのだった。やがて
環境を変え、再生を誓い、彼は同じ子持ちの女性と再婚
する。それは互いに深い傷を負った者同士ならではの選
択だった。

 ハイアットのような激しいドラマがあったわけではな
いけれども、今のぼくは朝の光が立ち上っていく時間を
大事にしようと思っている。同じように暮れなずんでい
く夕陽を、これまで以上に愛おしいと考えている。


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by obinborn | 2012-11-03 21:18 | one day i walk | Comments(2)  

Commented by ちーくん at 2012-11-10 21:38 x
またしても大変ご無沙汰です。毎回同じ挨拶が続く不義理をお許しください。
時間が経ってしまいましたが、小尾さんのこの文章には私自身にも共通するところが多々あり、心に滲みてしまいました。若い頃には馬鹿にするだけで理解できなかったことでも、この年齢なればこそ理解できることもある。「普通であることにもエネルギーはいる。普通である事を馬鹿にするな。」若い頃に親に言われた事を想い出します。枯れて行く事を良しとはしないが、年齢を重ねなければ分からないことは多い、ですよね。
Commented by obinborn at 2012-11-10 23:25
ちーくん、ご無沙汰です。原発のことで”寄る辺ない”発言を繰り返して
いた時期があったので、すっかり嫌われてしまったのかな、なんて思って
いました(笑)。ネットは大変です。ぼくが少しデモに関する違和を意見
しただけで、小尾=原発推進(とんでもない!)の烙印を押されてしまったり、何か中間の葛藤を見ずに白黒を付けたり、二者択一を迫ったりする風潮がちょっと怖いです(ぼくはただ現代の浪費的な消費生活を顧みただけにも関わらず)。
それはともかく、普通〜まっとうであることの尊さをぼくも亡き父から学んでいったような気がします。前衛的なアートを気取っている輩よりも、写実主義に徹した”古典的な”絵書きさんにシンパシーを感じるのも、
そんな理由からかも。音楽もそうです。ザ・バンドの「King Harvest」を
聞いていると、本当に大事なものがくっきりと見えてきます。

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