Hope I'm Around

たまたま外で聞いた曲をなかなか思い出せない。
そんな体験はきっと誰にでもあるだろう。耳に
馴染んでいたはずのメロディなのに、曲目や歌
手の名前がすぐに出て来ないもどかしさ。そん
な何とも言えない気持ちを、先日久し振りに覚
えた。

そう、さる14日に神奈川県民ホールで佐野元春
&ザ・コヨーテ・バンドを観た時のことだった。
さっきまで行われていたライヴの熱気をそっと
包み込むように会場全体へと流された一曲を、
ぼくはなかなか思い出すことが出来なかった。

幸いにも席を離れロビーに出る頃には突如とし
て思い起こしてすっきりしたのだが、一時期あ
まりにも夢中になった音楽ほど肝心な時に曲目
が出て来ないものなのかもしれない。それがト
ッド・ラングレンの「嘆きの壁 Wailing Wall」
だったのだ。

その「嘆きの壁」が収録されたトッドの初期作
『Runt:The Ballad Of』は、ぼくが二十歳の頃
本当に良く聞いたものだった。ポップ職人とし
ての彼の才能は既に知っていたし、ソロ・アク
トに転向する以前に組んでいたナッズまで遡っ
てレコードを買うほど夢中になったものだが、
シンガー・ソングライターの静謐な表現に最も
惹かれていた当時のぼくには、あまたの彼のア
ルバムのなかでもこれが一番肌に馴染んだ。

ジャケットも良かった。こちらに背を向けつつ
ピアノを弾くトッドを捉えたカール・フィッシ
ャーによる写真は、まさにシンガー・ソングラ
イターの雰囲気を伝えるものだろう。しかし、
よく見てみればトッドの首には天井から伸びた
縄が吊るされているという残酷さ。歌うという
行為への自虐だろうか。若さ故に肥大した自意
識の現れだろうか。その真意はどうであれ、若
さがやっかいなものであることくらい気が付い
ていたぼくは、そのジャケットの構図にも惹か
れ、いつしか音や言葉と重なり合っていった。

その「嘆きの壁」は年老いたメイドが海を渡っ
ていくという描写で始まる孤独の歌なのだが、
まるでランディ・ニューマンのように淡々と
歌いピアノを弾くトッドの姿が目に浮かぶ佳
曲であり、B面の「Be Nice To Me」や「Hop
e I'm Around」とともにアルバムの心臓部と
も言えるもの。とくにこれら三曲を繰り返し
聞いていた若い日々を、引っ掻き傷のように
思い出してしまった。

そんな曲がある日突然流れ出すのだから、ぼ
くの戸惑いを解っていただけるだろうか。す
ぐに思い出したとはいえ、曲を忘れていたと
いうのはそれだけ長い歳月を経たということ
の証でもある。首吊りを仄めかすような気持
ちでトッド・ラングレンの音楽を聞くのは今
のぼくにはもう出来ないけれども、歌に対す
るこうした控えめな態度だけは心に留めてお
くことにしよう。それは同時に大袈裟な歌や
自信たっぷりに自己主張するだけの音楽への
ぼくなりの抵抗でもある。

それにしても、佐野さんのライブ会場を満た
したこの「嘆きの壁」は素晴らしかった。歌
の主題は孤独を扱ってはいるが、時を経て場
所を変えながら聞こえてきたこの曲は、ぼく
にはまるで祈りの歌のように聞こえた。上気
した顔、満ち足りた顔の数々が帰路に着く。
家路を急ぐ。それらを静かに受け止める新し
い歌のように響いた。

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by obinborn | 2012-12-17 22:05 | one day i walk | Comments(0)  

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