移り変わりゆく町並み
そんな呟きが吐く息のように描かれたのが、2007年の映画『
転々』だった。藤田宣永による原作を三木聡監督が映像化した
この作品は、いわば移り変わりゆく東京を巡るロード・ムービ
ーである。三浦友和扮する訳ありの中年男が、オダギリジョー
演じる青年を道連れに吉祥寺から霞ヶ関まで、ただひたすら歩
いて回るだけの内容だが、このデコボコ・コンビは新宿の繁華
街も通れば、都電の駅が情緒を残す面影橋や浅草の花やしきに
も足を伸ばす。そんな各地の風景が穏やかなテンポで差し込ま
れ、ときに交わされる言葉以上の心象を語っていく。そこには
一括りに出来ない表情があり、人々の営みがあり、大袈裟には
語られることのない小さな物語がある。日曜の最終バスに乗り
ながら寂しさを噛み締めること。町の旧びた時計屋の商いを案
じることなどなど。そんな場面場面で軋む表情ひとつ取っても、
この二人組が繊細な神経の持ち主であることが伝わってくる。
そんな『転々』に挿入された音楽が、鈴木慶一とムーンライダ
ーズの「髭と口紅とバルコニー」と「スカンピン」。いずれも
1976年に発売された彼らのデビュー・アルバム『火の玉ボーイ』
に収録されていたナンバーだ。荒唐無稽な英雄を待ち焦がれる女
の気持ちが描かれる前者にせよ、都会の片隅で星屑を拾い集めて
いくような後者にせよ、東京と音楽とが重なり合いながら何とも
甘酸っぱい郷愁を運んでくる。はちみつぱいを母体とするムーン
ライダーズが東京の湾岸地区〜太田・品川区ラインで生まれ育っ
たことを知る人も少なくないだろう。
東京を巡る物語をもうひとつ。奥田英朗の『オリンピックの身代
金』(08年)はもう読まれただろうか? タイトルが暗示するよ
うにこの犯罪小説は64年の東京オリンピック前夜を活写しながら
巨大な祭典の光と影を浮かび上がらせていくのだが、生き活きと
描かれる昭和の光景の数々が眩しい。羽田モノレールや首都高速
はもとより、続々と建てられていく代々木体育館、武道館、東海
道新幹線。あるいは銀座のみゆき族やラジオから流れてくるビー
トルズのロック・サウンドが、これから新しく始まる時代を捉え
ていくのだが、それでもそうした輝かしさの一方で、労働力を東
京に差し出すだけの地方の貧しさが語られ、東京湾での漁業が閉
ざされていく大森や品川の様子を汲むなど、この小説の主人公は
湾岸から東京タワーを眺めるような距離感を正確に保つ。
慶一と博文の鈴木兄弟を中心としたムーンライダーズは、まさに
そんな時代に青年時代を過ごしていった日本のロックの第一世代
だ。直截に喜怒哀楽を言い表すことへの衒いが”都会っ子”の特
性であるとしたら、彼らもまた東京への思いを反転させながら架
空の物語を紡いでいった。髭を蓄え流行遅れの恋の歌を口ずさむ
バンジョー弾きの男、港から上がりラム亭にたむろする水夫たち、
あるいは日傘を差してプールサイドに佇む午後の貴婦人など、『
火の玉ボーイ』に登場するのはどれも虚構の人物たちばかりだが、
そのぶん歌は広がり確かな輪郭を描き出す。
一本の映画と一冊の本そして一枚のレコードから、東京という町
の過去と現在が折り重なり合っていった。
*『東京ロック地図』(交通新聞社 09年)に寄稿したテキストを
リアレンジしました。
by obinborn | 2013-01-14 18:47 | one day i walk | Comments(0)