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清き水を求めて

どんよりとした冬の朝。空の高いところで風が
ごうごうと鳴っている。枕越しの目覚まし時計
は6時を少し回ったところだ。かつてほど深酒
はしなくなったものの、昨夜はいささか飲み過
ぎたようだ。どうやって家まで辿り着いたのか
まるで覚えていない。それでも洗濯したばかり
のパジャマは上下ともに着ているし、脱ぎ捨て
たダウンジャケットに手を伸ばせば財布はちゃ
んと入っている。辛いのは渇き切った喉だ。ペ
ットボトルに飛び付きたい。水が欲しい。ああ、
飲み水を買うようになってから一体どれだけの
歳月が経っただろう。窓を開ければ変わり映え
のしない町並みが、今日という衣を身に纏おう
としている。

”遅れてきたボブ・ディラン” そんな触れ込み
に惹かれてスティーブ・フォーバートの嗄れた
歌を初めて聞いたのは、ぼくが東京で暮らし始
めた80年代初め頃のことだった。テレビの巨人
戦が終わると銭湯はとたんに混み始め、新日本
のプロレス中継もまだ金曜のゴールデン・タイ
ムに合わせられていたはずだ。そんな時代にぼ
くは彼のファースト・アルバム『アライヴ・オ
ン・アライヴァル』(78年)を買った。都会に
佇む所在なげな青年。そんなジャケット写真が
音楽の内容を言い含めていた。

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フォーバート自身もまだプロの歌手を目指して、
遥か彼方のミシシッピの田舎からニューヨーク
へとやってきた若者の一人に過ぎなかった。こ
のデビュー作の時点で24歳。まだまだ知らない
ことや知らなくてもいいことが多過ぎる年齢だ
ったのかもしれない。このアルバムのなかで彼
は自身を都市を彷徨う猫(「Big City Cat」)
と規定するし、置き去ってきた故郷への哀感を
「It Isn't Gonna Be That Way」(うまくなん
かいくものか)に滲ませる。あるいは「What
Kinda Guy?」のような自問自答もあるし、鼓舞
させるような強さを「You Can Not Win If You
Do Not Play」(やってみなきゃわからないぜ)
で宣言する。四角に切り取られた空のもと、冬
でもGジャンを羽織っているその青年は、かつ
ての自分だったのかもしれない。

あの時代からもう30年以上が経った。ぼくは今
も東京という町に暮らしながら、人並みかも知
れない幸せと、他人と比べるだけ愚かかも知れ
ない不幸とを両手にかざしている。久し振りに
聞くフォーバートのA面の1曲目は「Goin' Do
wn To Laurel」から始まっている。ささくれ立
ったようなハーモニカに導かれると、彼は抜き
差しならない表情で「あの汚いローレルの町に
行こうよ」と歌う。

もしロックという音楽が都市を舞台として形作
られるものだとしたら、ローレルという架空か
も知れない町にフォーバートが託したものは、
渇き切った都市という砂漠にふと立ち現れる澄
んだ水のようなものだったのかもしれない。彼
が歌うローレルという見知らぬ町が、いつしか
ぼくのなかで東京の片隅へと重なっていった。

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*『東京ロック地図』(交通新聞社 09年)に
寄稿したテキストをリアレンジしました。

by obinborn | 2013-01-14 23:37 | one day i walk | Comments(0)  

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