そこには灯籠があった

3月11日という日に関しては、人によって様々な受け止め方
があると思う。また当該地域とそうでない土地との間で認識
に差が出て来るのは仕方ないのかもしれない。我々人間とい
う生き物は本能的にいつもそれほど他人のことばかり考えて
いるわけではない。腹が減って困るのも給料が減らされてブ
ルーな気持ちになるのも、まあ言ってみれば自分の生存に関
わってくるからだ。

それでも、この日を境に変わったなと思うのは死生観だった。
そう、今までわりと遠くにあったと思っていた死が、少しば
かり近いものとして影のように押し寄せてきたのだ。戦争を
くぐり抜けてきた親の世代はともかく、その係累として高度
成長やバブルの時代を経てきたぼくにとって、かつて死は遠
いものだった。ところがあの日を境に光景は一変した。今ま
で見ないふりをしてきたものを一気に突きつけられたという
感じだ。

もう少し具体的に言うと、東京と地方の格差、原子力という
エネルギーのあり方、物質的で享楽的な生活などの問題が噴
出しまくった印象が強いのだが、それらも最終的には個人の
生き方や死生観に結び付くものだとぼくは考える。

あの日から声高な主義主張がはびこった。まるで善と悪とが
別にあるような二元論が跋扈した。そしてひどくおめでたい
ことに、原子力の問題を憲法9条や労働問題と絡めて語る輩
も出て来た。そのどれもがぼくには信じられないものだった。
だからぼくは耳を塞ぎ、貝のように押し黙った。政治的でな
いことを罵られた時さえあったが、彼らと一緒に”行進”する
ことはなかった。彼らは踏み絵を迫ったが、ぼくはその絵だ
けは踏むまいと必死に耐えた。

ただ死者の声には耳を澄ませた。”行進”の列から離れて一人
でいると、不思議なことに対岸に渡ってしまった彼らの顔が
くっきりと浮かんできた。そこには悲しい顔もあったが、楽
しそうにこっちを見つめる顔もあった。年寄りもいれば子供
もいた。ぼくのような中年男もいれば、初々しい高校生もい
た。彼ら一人一人がぼくに語りかけてくる。そんな夢を見な
がら夜明けを過ごした。そこには灯籠があった。海はとても
静かで、群青色の空にはまだ月が昇っていた。

ぼくはこれからも死者たちの声を聞き続けるだろう。
彼らの声なき声とともに歩んでいくことだろう。

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by obinborn | 2013-03-11 21:27 | one day i walk | Comments(0)  

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