追悼:ポール・ウィリアムズ。個のきらめきのような人だった

既に多くの方がご存知のように、ロック批評の草分け的な
存在だったポール・ウィリアムズ氏が急逝した。

10代にして『クロウダディ』誌を刊行し、その後『アウト
ロー・ブルーズ』『ニューヨーク・ブルーズ』『一粒の砂
にさえも』『時間の轍』など数々の著作で親しまれたウィ
リアムズだが、最後まで一貫していたのは”自分で感じたこ
とを書く”というある種の哲学に他ならなかった。

その作品を読んだ誰もが、彼の瑞々しい感性と深い洞察力
に唸らされた。それはときに権威へのアンチテーゼとなり、
ときに知の結晶となった。ウィリアムズの口ぐせは「聞か
なくては何も始まらない」という一見何の変哲もない命題
だったが、それはとりもなおさず音楽を繰り返し聞くこと
で生まれる心のさざ波を信じている人の言葉だった。

もしウィリアムズに不幸があったとしたら、そのきらめき
が知識や情報を最優先する音楽ジャーナリズムのなかで、
時代とともに隅っこに追いやられてしまったことだろう。
いわゆるロック博士は60年代以降多く出てきたものの、彼
のようにまっさらな気持ちでロック音楽を受け止めた者を
ぼくは他に知らない。社会状況や文化論としてロックとい
う現象を語る批評家は他にもいたが、ウィリアムズが最初
から最後まで信じていたのは”個人”に沸き立つ感情であり、
その窓から彼が見渡す世界には一点の曇りもなかった。

そんな意味でウィリアムズはロック批評に於けるホールデ
ン・コールフィールドであり、勇敢な開拓者であり、その
土地が枯れないように耕し続けた守護者であり続けたのだ
と思っている。そう、彼の音楽評論は我々をハイスクール
時代へと連れ戻したり、ジングル・ジャングルの朝という
時の迷宮に誘ったりする。

今は彼の死を受け止めるだけで精一杯だが、かつて『ニュ
ーミュージック・マガジン』に訳出されたウィリアムズの
幾つかのテキストや『アウトロー・ブルーズ』に於ける
何物にも代え難い”個のさざ波”をぼくはけっして忘れるこ
とがないだろう。

これまでの感謝とともにご冥福を心からお祈り致します。

小尾 隆

2013年3月の終わりに。

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by obinborn | 2013-03-29 11:46 | rock'n roll | Comments(0)  

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