やぎたこの新しいアルバムに寄せて

 3月に池袋のポルカドッツで行われたライ
ヴの際も告知されていた”やぎたこ”の新しい
アルバムが届いた。その時に購入したファー
スト作『Can't You Hear The Steel Rails
Hummin'』を聞き始めたばかりだったぼくに
はちょっともったいないような、二年以上も
待ちわびていたファンたちがむしろ羨ましい
くらいの充実した作品集なのだが、いずれに
しても春の訪れとともにこの男女デュオの歌
声を聞けるのが嬉しい。

 カーター・ファミリーやウディ・ガスリー
あるいはフォスターなど古い時代のアメリカ
で歌われていた歌に光を当てる。現代の日本
の生活からはなかなか想像しにくい時代の暮
らしに思いを馳せる。やぎたこの音楽はそん
な動機に支えられていると思うのだが、歌っ
ているうちに気が付く叡智や、全国各地を歌
い回っていく旅の途上でふと歌い方を変えて
みる工夫もきっとあるに違いない。歌詞はシ
ンプルであるが故に含蓄に富み、そんな歌に
寄り添うように演奏には一切の虚飾がなく、
ギターやバンジョーやフィドルが、ときにオ
ートハープやダルシマーやマンドリンが、澄
んだ音色を互いに響かせ合っている。

 このセカンド・アルバムには『I'll Be Hom
e Someday』というタイトルが添えられてい
る。彼らが愛するカーター・ファミリーの曲
で、この新作の最後にも収録されているが、
「いつか家に帰りたい」というシンプルな歌
が、この二年ほどでこんなにも切実なものへ
と変わろうとは、恥ずかしながらぼくは想像
することが出来なかった。失ってから気が付
くものがあるにせよ、自分に驕りや傲慢がな
かったとは言い切れない。直接的な意味であ
っても、メタファーとしての言い回しであっ
ても、Homeという簡素な言葉に時代の影が
忍び寄り、そこにあったはずの温かさが愛お
しくてたまらなくなってくる。日本のあちこ
ちでそんな風にこの歌と触れ合う人たちも少
なくはないだろう。

 辻井貴子の朗々とした歌がいい。甘さや媚
びといった余計な添加物を取り払った堂々と
したシンギングは曇り空の彼方にある光を探
り当てるようだし、そこにハーモニーを加え
るやなぎの憂いに満ちたヴィブラートもまた
歌に含みを持たせている。主に主旋律は辻井
が歌うことが多いけれども、彼女がソロで歌
うフォスターの「No One To Love」もあれ
ば、ジョン・ハートフォードの「In Tall Buil
dings」のようにやなぎが歌う曲も味わい深
い。彼が弾くギターにしても曲ごとにマーテ
ィンとギブソンを使い分けたり、辻井が奏で
るダルシマーは、ハンマー式とマウンテン系
とで微妙な濃淡を描き出す。ここら辺のニュ
アンスは視覚的にもライヴ演奏の場でより楽
しみたいところ。彼らの車はいつも溢れんば
かりの楽器と旅の足跡でいっぱいだ。

 各自がソロとしての音楽活動をしながらも、
こうしたオールド・タイム・ミュージックに
触れる時には”やぎたこ”という男女デュオを
組み、その音楽に向かってありったけの熱意
を注ぎ込む。彼らがどういった経緯で出会い
歌を分かち合うようになったのかは知らない
が、馬が合うとはきっとそういうものなのだ
ろう。古い歌や埃に塗れた歌の数々を歌うこ
とで、それらがやがて彼らの手となり足とな
っていく。再び生命を取り戻す。そういった
歌のあり方をやぎたこは今日も探し求めてい
るのだと思う。その置き土産の一つである『
I'll Be Home Someday』の完成を心から喜
びたい。

2013年4月
小尾 隆

e0199046_14114150.jpg

[PR]

by obinborn | 2013-04-05 14:21 | one day i walk | Comments(0)  

<< Hello Old Friends 軋む時代、遥かな歌声〜中村まり >>