その日のまえに
考える。これまで過ごしてきた歳月よりも残された時間の
ほうが少ないことに愕然としたり、残念なことに披露宴よ
りも葬儀の回数のほうが多くなってくる。少なくとも若い
頃のように未来が無邪気に微笑んでいるわけではない。
そんな思いとともに重松清の『その日のまえに』(文春文
庫 08年)を読んだ。この連作短編集の主人公はそれぞれ
の身近に故人や死にいく人を抱え込んでいて、その影に苛
まれながらも日々をやりくりし、奮闘している。
ご存知のように重松清は”泣かせの名人”である。もう少し
抑制したり抽象化すれば文学的な評価が高まるだろうにと
思うところも、あえて具体的に書き上げることで泣きの落
としどころを突きまくる。会話中心の文章や平易な文体が
それを後押しする。好みはどうであれ、それが重松という
小説家(ときにルポライターも)の作法であり、そもそも
大衆文学の生命線とはそのようなものだろう。
とりわけ妻の闘病を見守る表題作と、力尽きた日の様子を
淡々と描く「その日」、愛する隣人が去ってからの日々に
触れた「その日のあとで」の連なりが素晴らしい。他の短
編にしても、子供の頃には漠然としていた死がやがて身近
になっていく過程を伏線として忍ばせている。ここら辺の
筆さばきというかストーリー・テイルは本当に上手いなあ
としみじみ。
ぼくもいつか彼岸へと渡る日が来るのだろう。その時とも
に悲しんでくれる人はいるだろうか。一緒に涙したり、幸
せな歌の数々を口ずさんでくれる人たちはいるだろうか。
by obinborn | 2013-04-07 11:52 | 文学 | Comments(4)