ロニー・バロンの旅

ドクター・ジョンとともにコンビを組み、ドリッツ&ドレイ
ヴィ名義でシングルをリリースしたり、ともにスタジオ・ミ
ュージシャンとして働いたり、ドクターとは50年代から師
弟関係でもあったのがロニー・バロンだ。

そのドクターをはじめ、ハロルド・バティスト・ジュニアや
ジェシー・ヒルなどニューオーリンズの優秀な人材が、やが
てロスアンジェルスへと活動拠点を移していったが、バロン
もまたLAで音楽活動を再スタート。デッカと契約して71年に
この初めてのソロ・アルバム『リヴァレンド・イーサー』を
発表した。

自ら弾くピアノやオルガンの弾力に富んだ演奏も、粘っこい
ヴォーカルも文句なし。ミュージシャン・クレジットがない
のは残念だが、女声コーラスと掛け合う「Let It Shine」のゴ
スペルもいいし、パーカッションやスライド・ギターが絡ん
でいく「Eighteen Sixty Two b.p.」の展開は、リトル・フィ
ートの面々が参考にしたのでは? と思わずにはいられない。
プロフェッサー・ロングヘアの”ティピティーナ・シンコペイ
ト”を拝借した「Duke Of Crenshaw」では、教授の口笛まで
真似するというご愛嬌。「Happy,Happy,Happy」の夜風が
頬を撫でていくような甘く切ない響きも格別だ。

このアルバムを発表した後に、バロンがポール・バタフィー
ルドの新しいグループ、ベターデイズに参加したことはよく
知られるところだろう(そこで歌われていた「Louisiana Fl
ood」も初出はこのデッカ盤となる)。また久保田麻琴と夕
焼楽団の『ディキシー・フィーヴァー』への参加をきっかけ
に日本人ミュージシャンとの交流も始まり、78年には日米の
共同体制で久し振りのソロ作『ザ・スマイル・オブ・ライフ』
も実現した。キーボード奏者としてはトム・ウェイツのバン
ドに在籍していた時期もある。

かくの如くニューオーリンズを振り出しに、ロスアンジェル
ス、ウッドストック、そして日本と鮮やかな音楽地図を描い
ていったバロンだけに、その早過ぎた死が惜しまれてならな
い。

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by obinborn | 2013-04-10 00:56 | one day i walk | Comments(0)  

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