フラーコが微笑む、私も一歩を踏み出す

テキサス・トーネイドーズの原稿を書いていると、やはりどう
しても周辺の音源を聞きたくなってきて思わず脱線してしまい
ます(笑)。今日のそんな一枚がフラーコ・ヒメネスの『Flac
o's Amigos』(88年 Arhoolie)。いやあ〜、実に久し振りに
聞き直したんだけど良かった! これからの初夏の夕暮れにこ
んな音楽を聞けたら幸せだな、そんな風に素直に頷けるほどに。

フラーコ・ヒメネスがノルターニャ・コンフント(メキシコ北
部のコンボ編成)の第一人者であることは先刻ご存知だろう。
60年代の末から、フラーコは地元のサン・アントニオでDLBな
どローカル・レーベルに多くの録音を残してきた。そんな彼が
ダグ・サームと触れ合い、ライ・クーダーと共演しながら広く
親しまれてきたことはここで繰り返すまでもあるまい。

そんなフラーコが地元での素朴な録音とはちょっとまた別の
姿を焼き付けたのがこの『Flaco's Amigos』だ。いわば良く
練られた(well producedの)アルバムだったと思う。この
盤のセッションは3つに分かれていて、従来のコンフントを
そのまま伝える1はフラーコの原点をきっかり押さえていく。
またギターの名手ピーター・ローワンを招き入れた2では、
ちょっとばかり華やいだセッションが笑みとともに用意され
た。

オイラの心を何よりも動かしたのはセッションのCだ。ここ
ではライ・クーダーのバンドと一心同体となったフラーコの
想いがしっかりと映し出されていく。とりわけソン・ハロー
チョの澄んだリズムが素晴らしいインスト曲「Jenette」の
愛おしさはどうだろう。ライ・クーダーがまるで祈りのよう
なソロ・ラインをじっくりと織り成していくボレーロ・イン
スト「Poquita Fe」の清冽な響きはどうだろう。

ものすごく正直に言えば、ぼくにも内部(コミュニティ)と
外部(およそポピュラリティのようなものだ)に関して、
真剣に討論したことがある。単に時代の貧しさがそのような
二者択一の議論を招いたのかもしれないし、白は白だと言い
黒は黒だと言い張るおよそやっかいな先輩たち(あっ、団塊
の世代ね!)をまえに臆してしまった部分も嘘ではない。

それでもなおオイラは思う。人の気持ちの柔らかさについて。
あるいは移ろいゆく感情に関して。そして音楽というどこま
でも無防備なありかのことを。


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by obinborn | 2013-04-28 20:23 | one day i walk | Comments(0)  

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