思慮深い詩人と剥き出しのギター・ロック

 サイケデリックなギター・アルペジオに導かれ、キーボードが次第に重なり合いつつ、色彩感溢れる音の像を描き出す。オープニングの「世界は慈悲を待っている」はかくの如く始まるのだが、まるで瞬時に羽根を広げて飛び立っていく鳥のような高揚感を伝える。歌のなかでは21世紀という荒れ地も仄めかされるが、そこに込められた願いこそが佐野元春の音楽たる所以なのだろう。彼の新作『Zooey』はそんな希求や力強い響き、そして剥き出しのギター・ロックに満たされている。

 佐野より一世代若いコヨーテ・バンドの面々が初めて招集された『Coyote』アルバムからおよそ6年。その間には古い歌に新しい気持ちを吹き込んだセルフ・カバー集『月と専制君主』もリリースされたが、コヨーテ・バンドとがっちりタグを組んだ待望のスタジオ・レコーディングとして遂に『Zooey』が発売された。当初は深沼元昭、高桑圭、小松シゲルによるトリオ編成だったこのコヨーテ・バンドは、始まりの頃のライヴでは稚拙な部分もあったのだが、やがて渡辺シュンスケと藤田顕を迎い入れながら次第に音を固め、今ではすっかり逞しいサウンドを聞かせるようになった。とある日スタッフから「彼らはホーボー・キング・バンドが始まった頃といま同じ歳なんです」と伺った時、ぼくは佐野がこのバンドをゼロの地点から辛抱強く作り上げていったことに彼の情熱を改めて強く感じたものだった。

 この『Zooey』にはここ数年の佐野とコヨーテ・バンドの経験と成果が詰め込まれている。佐野の音楽活動30周年を祝った2010年から2011年にかけてのアニヴァーサリー・ツアーを経てからも、彼とコヨーテ・バンドは休むことなく12年のアーリー・サマー・ツアーへと繰り出し、まだ手応えも生々しいウィンター・ツアーをこの2月まで行ったばかり。わずか半年の間に二度にも亘って全国を疾走した彼らだったが、その期間を縫いながらレコーディングされたこの『Zooey』に活力が漲っているのは当然のことなのかもしれない。『Zooey』の初回版ではレコーディング・ドキュメントのDVD映像も楽しめるが、そのなかで深沼が今回の録音に関して”野性的だった”と語っているのも印象深い。

 パート1と記されたアルバムの前半を聞いていくと、広く世界を見渡した「世界は慈悲を待っている」や「La Vita e Bella」が、日常にふと足を止めた「虹をつかむ人」や「愛のためにできたこと」と交互に立ち現れることに気が付く。いわば遠近法を使った歌詞やサウンドへのアプローチによって、自分の置かれた身近な風景を広い世界のなかで認識するといった視点が生まれてくる。リズムの面から見ても、頭から順にファスト、ミディアム、ファスト、3連のスローとビートを巧みに変化させていく手法がどこまでも鮮やかだ。そして疾走感溢れる「ポーラスタア」の後には「君と往く道」がゆっくりと語り出す。”散歩しよう”と。

 コヨーテ・バンドならではのラウドでザラザラした手触りで貫かれた「ビートニクス」から始まるパート2にしても、およそパート1と同じチェンジ・オブ・ペースで起伏豊かにアルバムは進んでいく。「ビートニクス」での8ビートの次には切迫した感情を伝える「君と一緒でなけりゃ」の16ビートの濃やかなさざ波があり、「詩人の恋」と「スーパー・ナチュラル・ウーマン」の連なりは、まるで北風と脱ぎ捨てるコートの関係のよう。そしてスカ・ビートとビートルズのノウハウが手を携えた「食事とベッド」が軽快に終わると、”well~”の掛け声がまるでジョン・レノンを思わせるブルージーでヘヴィなやけっぱちロック「Zooey」(歌われていることはとても真剣だ)が最後に控えているといった具合である。

 雄大な叙事詩とでも言うべき「詩人の恋」がとりわけ素晴らしい。ぎりぎりにまでシンプルに削ぎ落された歌詞が、かえってイマジネイションを駆り立てるというポエトリーの結晶であり、前作での「コヨーテ、海へ」と響き合うような旅人の心情が歌われている。その旅人とは言うまでもなく21世紀という荒れ地を今日も彷徨うぼくやあなた自身なのだが、この生まれたての名曲によって気持ちを新たにする聞き手も少なくないだろう。

 海は荒れ狂い、波が町を襲う。世界は憎しみの連鎖で荒れ果て、人々の祈りは届かない。束の間の幸せの彼方では今日も瓦礫の前に立ち尽くし、涙に暮れる人たちがいる。ぼくは「詩人の恋」を聞いているうちにそのような感情に囚われてしまい、一篇の詩を書き留めずにはいられなかった。最後になってしまったが、その詩をアルバム『Zooey』に捧げたいと思う。

 歌われる愛によって この荒れ地を思う
 願われる希望によって この冷えきった手足を思う
 束ねられた光によって 沈んでいった死者たちを思う

 慈しまれる日々によって 自分の知らない土地を思う
 隣人へと保たれた目線によって 彼方に旅する人を思う
 ともにいる喜びによって もう永遠に語ることのない
 人々を思う

 (「Zooeyのために」)


*佐野元春のオフィシャル・サイトで特集された”Zooey
を巡って”に寄稿させて頂いたテキストを再録しました。
ご了承ください(小尾)。


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by obinborn | 2013-06-02 16:26 | rock'n roll | Comments(0)  

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