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傷だらけのニール・ヤング

ニール・ヤングを聞いていると自分のなかの不純物のような
ものが、どんどん洗い流されていくような気がする。

だいたいこの人はみんなが若さに酔いしれたり若さ故に声高
に主張していた時代に「砂糖の山では二十歳のままでいられ
るけど、それは束の間のことさ」と歌い、人生の旅を探し求
める過程でも若さに寄りかからず「ぼくは歳を取っていく」
と不安の表情を隠さなかった。誰もが愛という標語に同化し
ていた季節には「愛だけがきみを傷付けるんだよ」とLOVEの
二面性へと目を向けた。愛に関していえば「愛は薔薇のよう
なもの。刺があるんだ」とも歌った。

そんな彼だからこそ、若さという特権を失ってからも若くい
られた。愛という言葉の裏にある暗闇に松明を灯すことが出
来た。レコード会社にプレッシャーを掛けられれば本気で怒
ったし、気まぐれのようにヴォイス・モジュレーターと遊ん
だり、その一方でウィリー・ネルソンとカントリー音楽をの
んびりと歌ったりもした。友人の死に際しては泥酔した真夜
中のセッションで本当に泣きながら「スクール・ボーイの頃
に戻りたい。川に行って裸足でパチャパチャと小銭を鳴らそ
うよ」と青臭いまでの表情で歌った。

「鉛の兵隊たちが4人の学生を射殺した」とオハイオ大学で
の悲劇に対してエレクトリック・ギターで激しく怒りをぶつ
けた姿は、後年になってアルバム丸ごとをイラク・ウォーに
ついてメッセージする彼へときちんと結び目を作る。60年代
の音楽遺産に関しては「丘の向こうから今でもサイケデリッ
ク・ミュージックが聞こえてくるぜ」とレスポールを焦燥と
ともに掻き鳴らすことで、自分がどういう場所から音楽を始
めたのかと初心に立ち返る。誰も理解してくれなかったノイ
ズ・エクスペリエンスの物語「ARC」にしても、ソニック・
ユースら若い世代から受けた刺激を音の塊として託しただけ
だった。ジョニー・ロットンの悲劇をまるで自分の痛みのよ
うに引き受け、カート・コバーンに誤解された「燃え尽きて
しまいたい」の歌詞を逡巡する。

そんな風にしてニール・ヤングは歩んできた。誰もが避けた
がるような泥道にあえて踏み込んでいく”ぶきっちょさ”は、
もう彼の血脈や遺伝子のようなものだ。

そしてぼくは今日も問い掛ける。果たして自分はニール・ヤ
ングのように正直だろうかと。佳き人々の背中をきちんと押
して、そうでない魔物に関してどこまで果敢に立ち向かえる
のだろうかと。声にならない小さなものに耳を傾け、大きく
勇ましい叫びのなかで震えている遥かな声を聞き取っている
のだろうかと。

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by obinborn | 2013-06-07 12:09 | rock'n roll | Comments(0)  

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