ルー・リード逝く
のような語り口とシャープなギター・ロック。そんな彼の持
ち味がより研ぎ澄まされ、ヴェルベッツ伝説を超えた第三章 の幕開けとなったのが89年の『NEW YORK』アルバムだった
と思う。他にもギター・ノイズの極北『METAL MACHINE M
USIC』(75年)が時代を超えてソニック・ユースらオルタナ
ティヴ・ロックの精鋭たちへと受け継がれていったことや、
ロバート・クィンらと一丸となって強靭なロックンロールを
展開した『LIVE IN ITALY』の熱気が忘れられない。回想的な
名曲「CONEY ISLAND BABY」でふと見せた優しさも都市に
生きるロック詩人たるに相応しいものだった。まるでウォー
レン・ジヴォンと拮抗するような物語歌、皮肉と嘲笑と突き
離しの陰にはいつも必ず「個」を見つめる視線があった。そ
れはときに群衆に同調しない魂となり、ときに消費的な文明
生活への警告となって聞き手一人一人の心に火を点けたのだ。
また混血のロッカー、ガーランド・ジェフリーズとの交流も
ルーがどういう場所に立って歌を作っていたかを如実に指し
示す。あまりぱっとしない時代でさえ「ROCK N ROLL HEA
RT」(俺は不器用だけどやるぜ!)といったロック・アンセ
ムを無防備に掲げていたことを、筆者はまるで昨日書かれた
日誌のように、傷だらけの日々のように思い起こす。
by obinborn | 2013-10-28 08:15 | rock'n roll | Comments(0)