通りは陽射しに満ちて

ネットという匿名性の高い環境で不特定多数の人たちとやり取
りしていると、ときどき砂を噛むような気持ちに陥ってしまう。
多少俗っぽく言ってしまえば、あの人は俺のことを理解してく
れるけど、あいつはまったく解っていないんじゃないかといっ
たことだ。実際に会うこともある友人が10人だとして他の90人
は知らないのだから仕方ないのかもしれないが、そういう疑心
暗鬼はひたすら消耗戦になるだけなので疲れてしまう。そして
そんな時はパソコンの電源を落とし、散歩に出掛け、外の空気
に触れる。ささやかではあるけれど大事な叡智だと思う。

皆さんがとうにご存知のように、世の中本当にいろいろな人が
いるなあ〜と実感する。いろいろな人がいる以上にいろいろな
感じ方や違う社会的立場があるわけで、すべての人と十全に理
解し合えるわけないよなあ〜などとネガティヴな気持ちになっ
てしまう時もある。それを象徴したのが昨夜の「強行採決」だ
ったといえば解り易いだろうか? ぼくのBlogやFBそしてTW
は音楽のことだけじゃなく、ときにシビアに社会的・政治的な
ことも追求しているから、なおさらなのかもしれない。

それでも断絶よりはなるべく共通項を見つけていこうと思う。
無慈悲な砂漠を一人彷徨うよりは、何かシェア出来ることを探
していこう。少なくとも我々はかつて無邪気な子供たちであっ
たわけであり、多少のすれ違いがあったとしてもおおむね仲良
く遊んできたはず。知らない人や立場が異なる人々を値踏みし
たり猜疑心を働かせると気持ちが暗くなる。しかしその一方で
「最高だよ!」と解り合えた時の青空のように晴れ渡っていく
高揚感がある。ぼくは躊躇なく後者のほうに賭ける。あまりに            幼稚で青臭いことを言っているのかもしれないが、何かの縁が            あってここに集まってくれた人はまさか敵ではあるまい。

先に挙げた岡田さんのテキストに凛とさせられた。我々は残さ
れた時間のなかで内ゲバをやっている場合ではない。横並びで
悪口を言い合っている状況でもない。子細を突くあまり大きな
うねりを見失ってはならない。あなたやぼくは隣人を愛してい
るだろうか? 最初に出会った時のように音楽を聞いているだ
ろうか? 冷笑や諦観のなかに未来の地図はないはずだ。

ぼくは今日マーサ&ザ・ヴァンデラスのDancing InThe Street
を聞いた。1964年の夏に全米チャートを駆け巡ったモータウン
・ナンバーだ。その歌にはこういう歌詞がある。「あなたがニュ
ーヨーク出身であろうとニューオーリンズ出身であろうと関係な
い。一緒になって表通りで踊ろうよ」そこに込められた人種融和
の願いは尊いものだ。もう遥か彼方の光景なのかもしれないが、
ぼくは今日もその歌を口ずさむ。そしてこの歌が 佐野元春の「
君が気高い孤独なら」とソング・サイクルのように連鎖している
ことを知る時、温かい思いに包まれていく。

小尾 隆
2013年の冬に

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by obinborn | 2013-12-07 18:20 | rock'n roll | Comments(1)  

Commented by obinborn at 2013-12-08 05:00
補足:文中にある岡田氏のテキストは以下のものです。すごくいい内容
なのでぜひ読んでみてください。
http://okadakenji.blogspot.jp/2013/12/blog-post_7.html

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