ティム・ハーディンのこと

以前ジョン・セバスチャンに取材した時に60年代
のグリニッチ・ヴィレッジのことへと自然に話は
及んだのだけれど、そのなかで彼がしきりにティ
ム・ハーディンの影響力を語っていたのが印象に
残っている。ジョンたちが結成したラヴィン・ス
プーンフル65年のファースト・アルバムでも、ジ
ャケットを裏返せばティム・ハーディンの文字が
落書きされた壁を背にメンバーたちがふざけ合っ
ていたっけ。

そんなティム・ハーディンが60年代のヴィレッジ
でボブ・ディランと人気を二分していたなんて今
の若い人たちには信じられないのかもしれない。
かく言うぼくだって実際にリアルタイムで体験し
た訳ではなく人から伝え聞いただけなのだが、そ
れ程影響力のあるフォーク・シンガーだったとい
うことはどうか記憶に留めて欲しいと思う。当時
のディランはまだ多くのプロテスト・ソングを歌
っていたけれども、ハーディンはどこまで意識し
ていたのかは解らないが、個人的な体験に基ずく
ラブソングに取り組む姿勢を見せた。また音楽的
にはアコースティック・ギターをプラグド・イン
して電気化に取り組んだり、ブルーズやジャズの
語法を積極的に活用するなど斬新な音楽性を示し
ていった。そんな意味では70年代に開花するシ
ンガー・ソングライターの先駆的な存在だったの
かもしれない。

ティム・ハーディンのなかでも一際印象的なのが
67年にリリースされたセカンド・アルバム『ティ
ム・ハーディン2』(Verve Forecast)だ。彼
の短かかった生涯のなかでも多くを占めたスーザ
ンという女性との束の間の幸せは、彼女がお腹に
新しい生命(ダミアンという息子)を宿したジャ
ケットからも伝わってくる。恐らくロン・セクス
ミスにもインスピレーションを与えたであろう俯
くような歌声、耽美的な作風(洒落たコードも)
など彼の魅力が凝縮されたアルバムだ。

それでもいい時は長くは続かない。恋愛に始まり
があるように残酷なことに終わりもある。例えば
後年のアルバム『スーザンとダミアンのための組
曲』(69年)で聞き出せるハーディンの失意には
他人の日誌を覗いてしまったような気まずさばか
りを感じる。しかしまるで自己申告のようにスー
ザンへの愛と失意をつつみ隠さず歌にしていった
ティム・ハーディンはごく正直な男であった。ま
た音楽産業とうまくやり合っていけるほどタフ・
ガイでもなかったに違いない。

1980年の12月はジョン・レノンの襲撃事件が世
を賑わせた。その喧噪の最中、ティム・ハーディ
ンはひっそりと息を引き取った。死因はドラッグ
のオーバードーズ。スーザンの裏切りと息子ダミ
アンへの思いが増せば増すほど、ハーディンの摂
収量は増えていった。

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by obinborn | 2014-01-03 10:25 | one day i walk | Comments(0)  

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