ティム・ハーディン再び

今年の正月もおおむね家でのんびり過ごした。
実際に外出といえば、実家に帰って墓参りを
したことくらいだが、大掃除をし部屋をそれ
なりに片付け、新しいレコード針へと取り換
えてから聞く音楽はやはり気持ちのいいもの
だ。

ただ時は確実に重ねている。ここ数年著名な
音楽家の訃報を耳にすることが以前にも増し
て多くなっただけでなく、実家に帰ってみて
も地方の停滞のせいかどうかバス路線の幾つ
かが廃止(もしくは変更)され、かつて新興
住宅地だったところは寂れ、何より自分自身
が歳を重ねた。テレビでは大晦日に渋谷に繰
り出す若者たちの姿を映していたが、そうし
た喧噪とはやはり距離を感じてしまう。

昨秋行われたポール・マッカートニー久し振
りの来日公演に関して、死が近くなっている
との旨を新聞に寄稿していた方がおられた。
ジョンが殺されジョージが闘病の果てに力尽
き、また多くの仲間もまた別れを告げるなか
ポールは死の儀式をしている。そんな見方だ。
あの陽気で快活なポールの音楽や彼のライブ
という祭典にさえ、死の影が忍び寄っている
という指摘。それがいささか悲観的なものだ
としても、会場を埋めた多くの観衆たちにと
って他人事ではなかったはず。

そんなことを漠然と感じながら見る冬景色も
悪くない。日々のウォーキングをこなしなが
ら町の様子を窺うのも案外楽しみだ。血圧が
少々高めなのは心配だが、それでも手足は自
在に伸びるし、思考回路が錆び付いたわけで
もない。古い音楽を繰り返し聞くことによっ
て若い時には気が付かなかった感情の襞に触
れてみるのは、遅まきながらささやかな徳の
ようなものかもしれない。

薔薇の儚さを恋人に譬えたティム・ハーディ
ンのMisty Rosesを聞いていると、この人に
は20代の頃から鋭利に未来の怯えを感じ取
る能力があったのだなと感心する。俯きが
ちな歌声からは束の間の幸せが、ウッドべー
スやヴィブラフォーンの鼓動とともにじわり
じわりと伝わってくる。ぼくはロン・ディヴ
ィスによるカバー・ヴァージョンも好きだが、
やはり作者版にはハーディンでしか描けない
世界があるのでは、と語り掛けたくなる。

これから本格的に冬が訪れる。樹木は枝を枯
らし、大地は大いなる眠りへと付く。薔薇は
まだ蕾を閉じたままだ。

e0199046_1594380.jpg

[PR]

by obinborn | 2014-01-06 02:07 | one day i walk | Comments(0)  

<< トルーマン・カポーティと私 ティム・ハーディンのこと >>