歌う言葉〜明日、きみと楽屋で会おう

NHKの『ラストデイズ:忌野清志郎×太田光』を観た。番組の主
旨のひとつに忌野と太田の溝があり、そこで煩悶する太田の姿は
少なくともぼくは共鳴出来るものだった。彼の見解を纏めればお
よそこうなる。何で「トランジスタ・ラジオ」のような柔らかい
歌を作ってきた忌野が直截的な反原発歌を歌ったのか。表現者と
いうのはもっと比喩的な表現に特化すべきではないかと。ゲスト
出演した泉谷しげるも言う「気持ちは解るけれどもう少し茶化し           て欲しかった」という旨を。

むろん清志郎の意識の変化や切迫した感情にはぼくも『カバーズ
』(東芝EMIから拒否されキティから発売)当時から理解を示し
たのだが、その一方で太田や泉谷の気持ちも解るのだった。ぼく
がいつも言っていることを繰り返そう。時事的なプロテストソン
グはその只中で大衆の代弁となって消費されるかもしれない。で
もそういう歌は果たして長持ちするだろうか? 物事には必ず正義          やイシューだけでは語れない影があるのではないだろうか?

時間枠の限られたドキュメンタリーの通例として突っ込みの足らない         部分もあったけれど、一方的な清志郎讃歌で終わらない視点が鋭か
った。それにしても重い宿題を投げてくれたね、キヨシロー。でも
ぼくはきみが歌い始めた頃の歌のほうが好きだよ。

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by obinborn | 2014-05-03 00:48 | rock'n roll | Comments(0)  

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