歌が試されるその時

そういえば随分前のことになるけれど、ぼくが反原発のデモ
に関する違和感を書いたら「運動を攪乱するものだ!」と喰
ってかかってきたミュージシャンがいたっけ。正直言うと彼
が関わったCDは何枚か持っていたんだけど、それを機会に嫌
になって全部捨ててしまった。幸いレビューを書いたり、取
材したり、個人的に親交がある音楽家ではまったくない人な
ので良かったけれど、音楽家が政治的発言をする場合はこう
してファンを失うことにもなりかねない。やはり十分な思慮
が必要だと思う。

何も問題意識を持つな!とか政治的な発言をするな!と言って
いるのではない。ただ聞き手にはいろいろな立場の様々な人
たちがいるわけで、誤解を招くようなダイレクトな発言をした
り、明らかに特定の誰かを批判するような歌を歌ったりするの
は損ですよ、とぼくは言いたいのだ。かつて60年代前半に盛ん
になったフォーク音楽のなかには確かにプロテスト・ソングも
多かった。ただその潮流は長続きしなかった。言っていること
の正しさはともかくとして音楽的な魅力がなかったことも大き
い。そんな只中にいたボブ・ディランがその後どういう道を選
んでいったかは、ここで繰り返すまでもないだろう。

そしてぼくにはこんな信念がある。本当のアーティストである
ならば、比喩的な表現のなかに思いを託すのではないか。そん
な信念だ。東日本大震災以降いくつかのプロテスト・ソングも
生まれたが、残念ながらぼくの心を捉えたものは皆無だった。
ひどいのになると「一握りの人間の罪」などと歌う者までいた
が、まあその是非には個人の感じ方も関係するかもしれない。

ぼくは沈黙しているミュージシャンがノンポリだとはまったく
思わない。むしろ何かを利したり何かを害したりになりがちな
事象に彼らは慎重になっているのだ。言葉を選び、音楽家とし
て音楽に出来ることを彼らはちゃんと考えている。中村まり、
東京ローカル・ホンク、青山陽一、そして佐野元春。彼らの音
楽にぼくは明日も会いにいくことでしょう。

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by obinborn | 2014-07-13 08:50 | rock'n roll | Comments(0)  

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