吹きっさらしの自分

何かへの反発心が自分を奮い立たせるということがある。本当はも
っと純粋な動機があればいいのだろうけれど、悪いお手本を見るこ
とで自分はこうはなるまいと決心することは出来る。1970年代や
80年代前半を通して体験した渋谷のロック喫茶ブラックホークは、
ぼくにとって倒すべき相手であり、けっして見習おうとは思えない
教師のような存在だった。店内で会話してはいけないというスクエ
アな態度、自分たちはマイナーな音楽を愛好しているから世間一般
人よりも優れているのだと言わんばかりの倒錯した美意識、一見の
客を排除するような閉鎖性など、何から何までぼくを激しく苛立た
せた。ああ、彼らは音楽を介在者として人々に踏み絵を迫り、言葉
は悪いが、ある種の選別思想を植え付けているのだなと感じた。

むろん時代のせいもある。今のように情報が隅々にまで伝播してい
る状況とは異なり、ロック喫茶は未知の音楽との出会いの場所だっ
たから、他店との差別化を図るためにホークが”マイナーな音楽”に
特化していったという側面はあるだろう。しかしながら、ごく普通
に考えてお喋り厳禁という方針がいい聞き手たちを育てていくとは
ぼくには到底思えなかったのである。皮肉なものである。ホークで
聞けた音楽とかなり重なる”もうひとつのロック”を愛好し続け、彼
らと何らかの接点もあっただろう自分が、アンチ・ホークの思いを
抱えながら今日まで頑張ってきたなんて。

ホークの居心地の悪さに耐えられなかったぼくは、同じ百軒店界隈
のB.Y.Gによく逃げ込んだ。そこはホークとは対照的な陽性の世界
だった。そして後年そんな打ち明け話をすると、同じように感じて
いた同士たちとたくさん出会った。何のことはない。みんなホーク
の権威主義に馴染めなかったのに、当時はカッコ付けるべく痩せ我
慢していたのだ(笑)

自分を何かにアイデンティファイさせるまい。ひとりぽっちの吹き
さらしの自分こそが他の誰でもないリアルな個人の実感なのだ。そ
んな思いを掌に握ったようなアーニー・グレアムの晩秋のような歌
がぼくは大好きだった。

e0199046_8151634.jpg

[PR]

by obinborn | 2014-10-19 08:17 | one day i walk | Comments(0)  

<< 10月19日の東京ローカル・ホンク 「音楽語り:いい音LIVE!」... >>