30年めの『VISITORS』に寄せて
RS』の過激さが最もよく反映されたのがCOMPLICATION SHAKED
OWN及びTONIGHTの12インチ・シングルだと思う。何でも地方の
放送局にこの12インチを持っていくと針飛びしたという逸話が残っ ているほどリミッターを振り切ったようなドンシャリ感が半端ない。
何しろまだ12インチ・シングルというフォーマット自体が珍しかった。 佐野元春の革新性は際立っていた。
ただしその革新性を積極的に好んだかというと、ぼくの場合はそう
でもない。とかく音楽ジャーナリズムというのは新しいこと、革新
的であることに価値を置くけれども、筆者としては佐野元春の良さ
がより自然に現われているのは次作『カフェ・ボヘミア』だと思う。
彼をずっと支えてきたザ・ハートランドの名前が初めて記された作
品だけに、”いつもバンドとともに~ALWAYS WITH A BAND "を
信念とする佐野の気持ちが少しも脚色なく伝わってきたから。
先のテキストでぼくは「動的な言葉とサウンド」と記しながら『V
ISITORS』を語ったけれども、そうした取り組みがもっとこなれた
形で結晶しているのが『ボヘミア』アルバムに収録された「99ブル
ース」や「インディヴィジュアリスト」だとぼくは考える。
そういう意味でもぼくは『VISITORS』を、佐野元春という希有の
アーティストが昨日に別れを告げ、次のステップに進むためにどう
しても記録しなければならなかった”報告記”だと思っている。その
気持ちはあれからちょうど30年の歳月が流れた今でも変わらない。
むろん『VISITORS』に愛を込めて。
小尾 隆
by obinborn | 2014-10-24 12:56 | rock'n roll | Comments(2)
私は当時は(以前もコメントしましたが)わりと自然に受け入れましたが、今あらためて聴いて、元春の作品全体を俯瞰で見てみると、やはりVISITORSは特別というか、小尾さんのおっしゃる位置づけに納得です。
でもねー、次のステップに進むためとはいえ、古いブーツを脱ぎ捨てて窓から投げ捨て、昔のピンナップはみんな捨ててしまうなんて、勇気があるというか向こう見ずというか・・・
でもこれは、若さゆえということではなく、今の元春でも、きっと必要だと思えば、またブーツを脱ぎ捨て、ピンナップも全部剥がして、New Ageを探し求める旅に出るのでしょうね。
(ところで、コメント方法が新しくなったらしく、自分の名前を入れなくてもわかるのか不安なのですが大丈夫なのかしら・・・一応、りーなです。さっきもうひとつコメント入れました)
自分なりにVISITORSの価値を理解し、彼のキャリアのなか
で位置付けているつもりですが、最高傑作という言い方は
少し違うのでは?と思ってきました。それはぼくがバンド
・サウンドが好き!という気持ちとも関係するのでしょう
ね。それでもVISITORSの”一振り”がなかったら現在の佐野
さんはいなかったと思うと、彼の野心に改めて敬意を表し
たくなります。そしてぼくは現在のコヨーテ・バンドが
今までで一番好きです。