佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド、2014年秋ツアー・ファイナル
が会場に響き渡り客電が落とされると、「ナポレオンフィッシュ
と泳ぐ日」が轟音とともに始まる。会場の興奮が一気に高まり、
コヨーテ・バンド剥き出しのロックが奏でられる瞬間だ。そんな
逞しく地響きのような音を背中に感じながら、主人公は果たして 一体何を思ったことだろう。30日に渋谷公会堂で行われた佐野元
春&ザ・コヨーテ・バンドのツアー・ファイナルは圧倒的な音の
渦に包まれた。およそ7年間に亘って佐野が辛抱強くコヨーテ・
バンドの5人と築き上げてきた音と詩のタペストリーの数々に、
思わず息を吞まずにはいられなかった。
やはりここ最近のアルバムからの曲目が表情豊かに演奏されたこ
とがすごく心に残った。07年の『COYOTE』及び13年の最新作
『ZOOEY』は佐野とコヨーテ・バンドの21世紀になってからの
記念碑的な名作だが、それら2枚のアルバムからの曲群をど真ん
中に据えることで、今現在の佐野元春のありようを誠実に伝え切
っていたと思う。"うまく行っている奴とか調子のいい奴なんて
どうでもいい。それよりも現実と上手く渡り合えない友だちのた
めに”といった旨のMCが語られた「呼吸」、”歳を取っても失く
してはいけない大事な気持ちを込めました”というアナウンスに
導かれた「黄金色の天使」の気高さはどうだろう。佐野がデビュ
ーした80年代初期に比べれば歌詞は簡素になっているものの、そ
れに代わる苦みと経験が歌に真実味を与えている。サキソフォー
ン抜きの簡潔なバンド・サウンドがそれを後押しする。東日本大
震災という代償を払うにはあまりに大き過ぎる事件を通過した『Z
OOEY』からの楽曲もまた然り。「La Vita e Bella」のなかにある
”打ち上げられた魚のように”というリリックが自分の現実として
染みてくる。「詩人の恋」にある”あとどれくらい一緒にいれるか
なんて誰もわからない”という一行が抜き差しならない思いとして
説得力を増してゆく。
ぼくが言いたいのはおよそこんなことだ。世紀が変わってから生ま
れたそうした曲の数々が、佐野の若き日の「悲しきレディオ」や「
アンジェリーナ」といった無邪気なロックンロールと地続きのよう
に演奏されたことで、ぼくたちもまた自分たちが通り過ぎてきた歳
月を反芻し、そしてまだ書き込まれていない明日のことを思う。
by obinborn | 2014-12-01 07:50 | rock'n roll | Comments(2)