マック、いつかまたきみに会えると思っていたよ
脳卒中による合併症のためテキサス州オースティンで亡くなり
ました。奇しくも3日は久し振りの北米ツアーが始まる初日。
レーベルメイトであるニック・ロウをオープニング・アクトに
迎えた各地での演奏は、誰よりもマック本人が楽しみにしてい
たことでしょう。今年は最新ライブ・アルバム『ラッキー・ラ
ウンジ』とスタジオ作『ユナイテッド・ステイツ』がリリース
されるなど、彼とバンプ・バンドの充実した姿が伝わってきた
ばかりだっただけに、この突然の訃報にとても驚いています。
スモール・フェイシズでのモッズ時代から世界一大酒飲みのパ
ーティ・バンドだったフェイシズ、あるいはローリング・スト
ーンズのサポート・メンバーとして、キースとロンのニュー・
ヴァーヴァリアンズの一員として、輝かしいキャリアを積み重
ねてきたマックだけに、今こうしてネットを検索しているだけ
でも世界中から悲しみの声が聴こえてきます。
フェイシズ解散後は母国イギリスを離れ渡米し、自分のキャリ
アを一からやり直した人でもありました。最初はロスアンジェ
ルスに赴き、リッキー・ファターや小原礼らとバンブ・バンド
を結成。その鋭くしなるようなビートに惚れ込んだボニー・レ
イットは彼らを従えて傑作『グリーン・ライト』を生み出した
ほどです。その後もジャクソン・ブラウンやデヴィッド・リン
ドリーのツアーに帯同するなど、彼の歌心溢れる鍵盤プレイは
圧倒的な信頼を勝ち得てきました。
「ぼくは音楽は大好きだけど、音楽ビジネスには疎くってね」
そんな告白をしたこともあるマックは、やがて音楽産業のメ
ッカであるLAを離れ、テキサス州オースティンに安息の地を
見出します。そこは計らずもマックの親友であり、かつての
バンドメイトでもあったロニー・レインが行き着いた土地で
もありました。オースティンでは最初こそ「あのフェイシズ
のマックが町に来ているぜ!」という話題に終始しがちだっ
たそうですが、いつしか彼は当地の優れたギタリストである
スクラッピー・ジャド・ニューコムらとともに新たなバンブ・
バンドを結成しました。
近年届けられてきたマックとバンプ・バンドの作品には無邪
気な青年だった彼が歳月と経験を経た姿が記録されています。
単に優れたプレイヤーというだけでなく、酸いも甘いも噛み
分けた大人ならではのソングライティングが彼自身の歌とと
もに、じわりと染み込むようになったのです。誰かが言って
いました。楽しい歌を聞いていると悲しくなる。悲しい曲を
聞いていると案外人生それほど悪くないと思えてくる、と。
一概には言えないことかも知れませんが、優れた音楽にはそ
のような相反する気持ちをそのまま受け止めてくれるような
大きさがあると私は思っています。
楽しいロックンロールの影に悲しみの気配がある。ハッピー
な宴が終われば一人帰路に着き、幾つかの痛みとともに朝を
迎える。ただ自分という名の足音だけがどこまでも聞こえて
くる。思えばそんなことを教えてくれたのもフェイシズであ
り、イアン・マクレガンの音楽でした。マック、いつかまた
きみに会えると思っていたよ。
by obinborn | 2014-12-04 18:37 | rock'n roll | Comments(2)
ただ、当人が亡くなったとしても、残された作品についてその魅力を(特に若い世代の皆さんに)伝え広めていくことの必要性は変わることはありませんし、それが音楽評論におけるひとつの重要な責務(宣伝のための無節操な提灯記事は論外ですが)だと思います。少し話は外れましたが、小尾さんにはそこを期待したいものです。
個人的な感傷はともかく、次の世代に伝えていく責任を感じて
います。というのも、私が普段接している音楽が必ずしも若い
人たちに浸透しているわけではないことをとみに痛感させられる機会が多くなってきたからです。拙書『パブ・ロックのすべて』も、そのような気持ちから生まれたことを汲んでくだされば嬉しいかもしれません。