フォザリンゲイのボックスセット『NOTHING MORE』を聞いて

フォザリンゲイのボックスセット『NOTHING MORE』が
いよいよ我が家にも到着!3枚のCDと1枚のDVDから成る
その長編記録は、まさにサンディ・デニー・ファン待望と
言えるものでとにかく嬉しい。ご存知のようにサンディは
ブリテン諸島を代表する女性シンガーであり、60年代から
ロンドンのフォーク・クラブで看護婦の仕事をしながら歌
っていた。やがて短期間ストローブスに在籍した後はエレ
クトリック・トラッドの革新的なグループであるフェアポ
ート・コンベンションへと初代のジュディ・ダイブルに代
わって参加した。しかしサンディはフェアポートで3枚の
優れたアルバムを録音したのち、69年の11月にグループか
ら脱退してしまう。何でもフェアポートの伝承曲路線に反
発し、もっとオリジナル曲を歌いたかったとか。

そんなサンディが当時恋仲だった(のちに結婚)オースト
ラリア人のトレヴァー・ルーカスとともに旗揚げしたのが
フォザリンゲイだった。元々彼女がフェアポートに参加し
て最初に持ち込んだオリジナル曲が「フォザリンゲイ」で
あり、それをグループ名に冠したことからも並々ならぬ意
欲が伺えた。ルーカスは当時エクレクションに在籍してい
たが、やはりそこでドラムを担当していたジェリー・コン
ウェイもフォザリンゲイに合流する。コンウェイと見事な
リズム隊を成すベーシストのパット・ドナルドソン、アメ
リカ人ギタリストのジェリー・ドナヒュー。彼ら計5人が
フォザリンゲイのメンバーになったが、一説によればドナ
ヒューではなく、ヘッズ・ハンド&フィート出身のアルバ
ート・リーを加える計画もあったらしい。

イングランドの凍て付いた大地を思わせるサンディの歌を
最大限に生かして評判になったフォザリンゲイだが、70年
に英ISLANDからたった一枚のセルフ・タイトル・アルバム
をリリースしたのちに解散してしまう。その音源にデモ録
音等を加えたのがディスク1だ。そしてセカンドアルバム
用にレコーディングされながらも未発表に終わった音源に
最新VERなどを加えたのがディスク2である。もっともル
ーカスが個人所有していたこの音源は以前『2』としてCD
化されたのでマニアの方には今さらかもしれない。しかし、
サンディのファースト・ソロで完成を見る曲のラフ・スケ
ッチが、JOHN THE GUNやLATE NOVEMBERなど幾つか
残されるなど、時間軸とともに彼女の着実な歩みに触れる
思いがする。70年にロッテルダムで行われた公演にBBC音
源を加え、まるごとライブで構成されたディスク3はこの
ボックスならではの最高のプレゼントだろう。このディス
ク3が聞けるだけでもマスト・バイ!であり、ビート・ク
ラブ出演時のTVパフォーマンスを収録したボーナスDVD
(曲数が少ないのが残念!)とともに、フォザリンゲイの
研究に欠かせない新たなマテリアルとなった。

フェアポート脱退後からソロ活動へと踏み出していくまで
のサンディにあった時間はわずか2年足らずであった。し
かしその間に残された音源はどれも息を呑むほどのもので
あり、彼女が音楽的キャリアの頂点へと昇り詰めていった
時期のドキュメントとして、胸が一杯になってしまった。
メアリー・ブラックやドロレス・ケーンといった後進のブ
リテン圏の女性シンガーたちが規範とした歌がまさにここ
にある。

細部まで聞き分けていくのも良し。60年代のブリティッシ
ュ・フォーク全体のなかで俯瞰してみるのも良し。先に触
れた通り、サンディはトラッド路線よりもオリジナル曲を
歌いたくてフェアポートから脱退した。しかしフォザリン
ゲイにも彼女のソロにも自作に混ざって伝承曲が採用され、
また同時代のボブ・ディランやゴードン・ライトフットの
曲もカバーされている。そんなことからもサンディがフェ
アポートを辞めた本当の理由は未だに解らない。ただ彼女
の才能が一定の枠からはみ出さざるを得ず、もっと違う外
気に触れたがっていたことは確かだろう。若き日の野心と
は往々にして自分でも説明が付かないものだから。そんな
ことを噛み締めつつ、この『NOTHING MORE』にしばら
く浸っていたい。夜明けまでずっと聞いていたい。

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by obinborn | 2015-04-17 20:48 | one day i walk | Comments(0)  

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