Layla and other assorted love songs

世紀の大名盤『LAYLA AND OTHER ASSORTED LOVE
SONGS』(70年)を久し振りに聞いてみたいと思った
のは、デレク・トラックス・バンドが2010年のライブ作
『ROADSONGS』の最終曲として「ANYDAY」を選んで
いたからだ。クラプトン/ホイットロックの共作となるこ
の「ANYDAY」が、発表から40年近く経って力強く甦っ
たことに筆者は思わず膝を打ったほど。加えてDTBのマ
イク・マティソンの泥臭いヴォーカルが、ボビー・ウィ
ットロックのそれを彷彿させていた点にもグッと胸が熱
くなった。さらに言えばデレクは現在のテデースキ・ト
ラックス・バンドにも、この「ANYDAY」を持ち込んで
いる。確か「クロスロード・ギター・フェス」の映像だ
ったと記憶するが、そこでは同曲の演奏中にステージの
袖でE.Cが思わず微笑む場面があり、そうした温故知新
に私はすっかりヤラれてしまったのだった。

渡米して初めて作られたソロ『ERIC CLAPTON』は、ま
だまだほんの助走に過ぎなかったのだろう。そのアルバム
にも顔を出していたウィットロック、カール・レイドル、
ジム・ゴードンといったデラニー&ボニー&フレンズの
面々とともに、E.Cがマイアミのクライテリア(サウス・
アトランティック)スタジオに入ったのは、70年の秋頃
だったとされている。プロデュース自体はドミノズ名義
になっているが、補佐役のトム・ダウドの入れ知恵があ
ったことは想像に難くない。事実このレコーディング・
セッションを特別にしたのは、ダウドの発案によって、
当時オールマン・ブラザーズ・バンドで売り出したばか
りだったデュエイン・オールマンが急遽招かれ、何日か
の実りある祝福された日々をともに過ごしたことだろう。
E.Cはこう回想する「ウィルソン・ピケットのHEY JUDE
でデュエインはギターを弾いていた。彼と一緒にレコー
ディング出来るなんて、とても信じられないよ!」

その二人の燃え尽きるようなバトルは、もう皆さんの細胞
に直接流れ込んでいるはず。だから、筆者はあえて語らな
い。むしろ今の耳で感じるのは冒頭曲「I LOOKED AWAY」
でのさり気ないミュート・ピッキングの妙であったり、当
時は自分の耳が未熟でつい聞き逃していたレイドル=ゴー
ドンによる懐深いリズム・セクションだったり、あるいは
アクースティックな「I AM YOURS」で親しげに語り掛ける
情感だったりする(私は前後で言えば「EASY NOW」とか
「LET IT GROW」といったこの手のE.C曲に弱いのだ)あ
るいはチャック・ウィルスのR&B「IT'S TOO LATE」の
愛おしさとか。

ジョージ・ハリソンはザ・バンドの『MUSIC FROM BIG
PINK』が発売された時、英国盤のそれがシングル・ジャケ
ットになりメンバーの家族の集合写真が失われてしまった
ことを嘆いた。E.Cは『BIG PINK』を聞いてザ・バンドの
メンバーになりたい!と思ったそうだ。英国の自覚的な音
楽家たち(ウィンウッドであれメイソンであれ)は、そう
した経路を辿りながら自らの進むべき道を模索していたの
だろう。英米を跨ぐ環境のなかでで音楽を積み重ねてい
ったという意味では、ローリング・ストーンズの『STICK
Y FINGERS』や『EXILE ON MAIN ST.』にも、すごぶる
近い。また同じクライテリア・スタジオで録音され、ロン
とハウのアルバート兄弟によってエンジニアリングが為さ
れたという点では、スティーヴン・スティルス一世一代の
音楽絵巻『MANASSAS』(72年)とも驚くほど共通する
肌合いがこの『LAYLA』にはある。「LITTLE WING」を
書いたヘンドリクスも、久し振りに母国アメリカのミュー
ジシャンであるバディ・マイルズらと、未来の来るべき音
楽地図をバンド・オブ・ジプシーズで描き始めたばかりの
頃だった。

そのひとつひとつの営為を私は忘れずにいたい。部屋で
聞くアルバムは「LAYLA」が終わり、終曲の「THRON
TREE IN THE GARDEN(庭の木)」が始まっている。
この曲を書いたウィットロックの言葉を借りよう「あの
歌はすべての『レイラ・セッション』が終わったあとに
録音したんだ。ぼくとエリックは暖炉を囲むように車座
になって一緒にレコーディングしたんだよ」

e0199046_1242774.jpg

[PR]

by obinborn | 2015-05-30 01:25 | one day i walk | Comments(0)  

<< 5月31日の青山陽一the B... Sweet Soul Music >>