1975年のマイルズ・ディヴィス

こうしてコールマンの代表作を聞いていると、ジャズにもクリ
エイティブな時代があったんだな、と思わざるを得ない。MET
AにしてもDANCINGにしても非常にアフリカ的なファンクネス
を感じてしまうのだ。フリージャズと言っても難解なものでは
なく、ある一定の律動を下敷きにしながら自由気ままにブロウ
しているといった感じだ。私は80年代にコールマン&プライム
タイムの日本公演を幸運にも体験出来たが、その時は強靭なリ
ズム隊に支えられて縦横無尽に吹きまくるコールマンの姿に圧
倒される思いがした。

そんなアフロ色〜ファンクネス全開の総本山と言えば、やはり
マイルズの『アガルタ』と『パンゲア』を思い起こさずにはい
られない。75年2月に大阪フェスティヴァル・ホールで行われ
た昼夜公演をそれぞれLP2枚(計4枚)に収録したもので、今
こうして聞き直していてもまったく古さを感じさせない。ハー
ド・バップ時代のようにアドリブの技巧を味わうものではなく、
激烈なリズム隊(ヘンダーソン=フォスター)に煽られたマイ
ルズは、ラップのように自らのトランペットを短く区切りなが
ら凹凸を繰り返すような演奏に終始する。そうした意味ではカ
クテル・ジャズの大人のムードとは真逆に位置するものであり、
その音楽はどこまでも挑戦的だ。

70年代初頭のマイルズはジェイムズ・ブラウンを愛好していた
り、スライ&ザ・ファミリー・ストーンに対抗してオルガンを
を弾いてみたりと、身内のジャズ・サークルよりは広くR&Bや
ファンクの新しい動きに心を寄せていた。ひょっとしたらフェ
ラ・クティ&アフリカ70のナイジェリア音楽にも関心を示して
いたかもしれない。『バンゲア』に収録された「ゴンドワPAR
T 1」に聞けるムトゥーメのパーカッションなどは、モーリス・
ホワイト(言うまでもなくEW&Fの首領)が奏でるカリンバと
の親近性を感じさせる。

トランペットの技巧的な成熟を突き詰めていけば、いくらでも
保証的な未来が約束されただろう。しかしながらそれを善しと
せず、マイルズ・ディヴィスは同時代のブラック・ミュージッ
クが呼び覚ますアフリカン=アメリカンのリズムにアイデンテ
ィファイしていった。精神が形骸した形としてのジャズではな
く、どこまでも自由な音空間を探し求める旅をマイルズは実践
していった。そのことの価値を思う。

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by obinborn | 2015-06-25 17:35 | one day i walk | Comments(0)  

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