どこかの教祖になりたいか だれかの神になりたいか

”どこかの教祖になりたいか だれかの神になりたいか”
佐野元春の新しい曲「誰かの神」には、そんな辛辣なリ
フレインがある。抽象度の高い歌詞に好みは分かれるだ
ろうが、音楽家としてはギリギリのところまでよく踏み
込んだと思う。たまに佐野に対して、もっと具体的なメ
ッセージ・ソングを書けとか、今こそ政治的なステイト
メントを発しろとか言う人達がいる。まったく愚かなこ
とだと思う。かつて60年代初期のボブ・ディランは公民
権運動の旗手として祭り上げられたことがあった。とこ
ろがディラン本人がそうしたパブリックイメージに嫌気
が差してしまい、フォークからロックに転向する経緯を
辿っている。IT AIN'T ME BABE(それはぼくじゃないん
だ)という彼の歌はいわば自己告白であり、65年を境に
ディランにあくまでもプロテスト・ソングを求めるファ
ンは離れていった。しかしむしろその後の彼の歩みのほ
うが若者の心を捉えていったことは、今や広く知られる
ところ。冒頭に挙げた歌詞に則してみれば、佐野はどこ
かの教祖になる必要も、だれかの神になる義務もない。
どこかの団体のアイコンになったり、誰かの代弁者とし
てもて囃されることの危うさ。それはきっと佐野本人が
一番よく判っているのだろう。そういう意味でも本当に
賢明で辛抱強く、信頼に値するアーティストだと思う。

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by obinborn | 2015-07-24 00:54 | rock'n roll | Comments(0)  

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