OBIN TALKS HIMSELF

佐野元春の『COYOTE』が発売されたのが07年の春でした
から、あれからもう8年ちょっと。歳月が経つのは本当に早
いですね。子供の頃は例えば夏休みに近所でキャッチボール
をしていても、学校のプールで泳いでいても、一日がずっと
長く続いていくような感覚がありました。ところが大人にな
り、しかも人生の半分以上を超えてしまうと、誰もが未来は
けっして永劫ではないことを次第に理解していきます。アル
バム『COYOTE』はそんな中年男を主人公に見立て、息苦し
い世の中を歩いていくというストーリー。その感覚は大震災
後にリリースされた『ZOOEY』にも、今年の『BLOOD MO
ON』にも引き継がれていているように思えます。だからぼ
くは勝手に”コヨーテ三部作”と呼んでいるんです(笑)

この8年でぼくを襲った感覚は、一見自由そうに見える世界
でも実際は不自由に捕われているんだな、といったものです。
90年代に推し進められた市場原理主義がそうであったし、原
発に依存してきた社会がひっくり返った現実がそうであった
し、あるいは戦後70年経った日本の民主主義という理念がそ
れほど盤石なものではなかったという苦み走った認識です。
それぞれの説明については省略しますが、あとひとつ挙げる
とすればソーシャル・ネットワークが両刃の剣だと実感した
ことも大きい。我々は今日もこうして顔馴染みの人や、そう
でない見ず知らずの人と”交信”しているわけで、そこで生じ
る誤解や不寛容に関してはもっと自覚したほうがいいと思い
ます。勿論これはぼくの方こそ相手に傷を負わせているのか
もしれない、という前提に立っているのですが。

でも一番衝撃的だったのは、原発事故後ぼくが”原発推進派”
のレッテルを張られたことでした。自分はただ「東電を解
体せよ!」といったワンイシューに疑問を抱き、もう少し
文明論として原子力を享受してきた私たちに自省を向けよ
う!と主張したのですが、それがネット空間では熟考され
ることなく、小尾=推進派という恐るべき図式がたやすく
成立してしまうんです。その音頭を取った人や、そこに「
いいね!」ボタンを押した人たちをいつまでも憎むつもり
はないけれど、結果として心のシコリになってしまった。
これは事実です。ある意味ネットという密室では辛抱強く
ディスカッションを重ねることより、「お前が敵なんだ!」
と標的を定めて、自分のカタルシスを得るような回路のほ
うがずっと楽なんです。そこには自問を深めるといったデ
ィレクションは一切存在しません。まして責任なんて誰も
負わなくっていい。時事的なことで言わせて頂ければ、オ
リンピックのエンブレム問題もそうです。誰もがデザイナ
ーに石を投げ、口汚く罵り、そのくせ自分だけは安全圏に
いると思い込んだまま。少なくともぼくが描いた未来図は
そうした薄暗いものではなかった。

市場原理主義、大震災、そして民主主義の熔解。この8年を
三つの命題として大雑把にまとめるとそんな感じですかね。
その年月を大した怪我もせず、病に冒されることもなくぼ
くは自分の日常を暮らしてきました。そうした平穏がいつ
何時決壊し、失われてしまうかは誰にも解りませんが、出
来れば、もう少し平和な日々を慈しんでいたいと思ってい
ます。

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by obinborn | 2015-09-04 13:18 | one day i walk | Comments(0)  

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